ケーキに気づいたのは日付が変わった後だった

ケーキに気づいたのは日付が変わった後だった

誕生日すら見逃すほどの山積み書類と僕の現実

いつからか、誕生日という存在が自分の中で「記念日」ではなく「ただの締切前日」になってしまった。地方の司法書士事務所で、事務員一人と回している毎日は、驚くほど静かで、驚くほど騒がしい。目の前には山積みの登記書類。机の左端には手付かずの郵便物。その奥に、ひっそりと置かれていた箱。それが、僕の誕生日ケーキだった。気づいたのは、日付が変わった深夜1時。自分で自分に笑ってしまった。

事務所に届いた小さな箱 それがケーキだったなんて

その箱は、朝届いていたらしい。事務員が「冷蔵庫に入れときましたよ」と何気なく言ったのを、僕は「はいはい」と流してしまった。思い返せば、その時の彼女の声、ちょっとだけ優しかった気がする。でも、そんな心の揺らぎすら感じ取れないほどに、目の前の案件に没頭していた。依頼者の要望、銀行との連絡、決済の準備――そのすべてが終わった頃には、冷蔵庫の中にあるそれが「何かの差し入れ」であることすら、すっかり忘れていた。

書類の間に埋もれる祝福 誰にも責められない寂しさ

「お誕生日、おめでとうございます」って、書かれていた手書きのメモ。事務員の字だ。たったそれだけなのに、妙に胸に刺さった。僕は人に祝われるような性格じゃないし、そんなに気の利く人間でもない。でも、自分が自分を置いてきぼりにしていることには、ちゃんと気づいていた。祝われないことに文句を言う前に、自分が自分を祝ってない。そう思ったら、ケーキの甘さがやけに重たく感じた。

ローソクではなくインク切れの警告音が響く夜

ケーキのローソクを立てる間もなく、プリンターが「インク切れ」と無慈悲に告げる。現実は残酷だ。ロウソクの灯りじゃなくて、プリンタのエラーメッセージがこの部屋を照らす。誕生日ってなんだっけ?と思いながら、ひとりでケーキの箱を開ける。チョコレートケーキだった。ふと思い出す。小学生の頃、野球部仲間とバカ騒ぎしてたあの誕生日。いまの自分には、そんな時間も空気もない。

忙しさに飲み込まれる日々 司法書士ってそういうもんか

この仕事を始めたときは、「人の役に立ちたい」「自分でやるからにはしっかり責任を持ちたい」と思っていた。でも、実際に開業して十数年が経ち、気づけば書類の海で泳ぎ続けている。誰かに感謝されることもあるけれど、それよりも圧倒的に多いのは「なんでまだなんですか?」という催促の電話。目をつむれば「正確で早く、でも安く」と言われ続ける声が頭の中にこだまする。

祝日も盆もない 地方事務所の宿命

地方で一人で事務所を切り盛りしていると、世間のカレンダーはまるで別世界の話に感じる。お盆休み?年末年始?そんなものは、こちらの繁忙期と重なるだけ。特に高齢の依頼者が多いと「年内に片付けたい」という希望が殺到する。そうすると、休みは後回し。祝日が月曜日だと知ったのは、水曜日にコンビニでおにぎりを買っているときだったりする。社会とのズレにすら慣れてしまう怖さがある。

事務員ひとりで回す現場の限界

うちにも事務員さんが一人いてくれて、日々支えてくれている。ただ、彼女にすべてを任せるには限界があるし、何よりも僕が「自分でやらなきゃ気が済まない」タイプだ。それが良くないのかもしれないけれど、責任の重さがそうさせてしまう。ちょっとした打ち間違い、伝え漏れ、それだけで全体が狂ってしまう。それを恐れるあまり、いつまでも僕の机は空にならない。

依頼は途切れないが人生の余白はどんどん削られる

依頼があるのはありがたい。開業したての頃は電話が鳴らずに落ち込んだ日もあった。それが今では「電話が鳴らないとホッとする」なんて思ってしまう。この矛盾が、すべてを物語っている気がする。依頼が増えるほど、自分の時間はなくなる。夜遅くまで働き、気づけばコンビニの冷蔵ケースをぼんやり見つめている。人生の「余白」がなくなってきているのを、肌で感じる。

人に祝われることに慣れていない自分に気づく

実のところ、祝われ慣れていない。高校時代は野球部、誕生日といえば練習試合かランニングだった。チームメイトが冷やかしてくれて、監督がジュースを奢ってくれたりしたのが、いちばん記憶に残っている。社会人になってからは、誕生日=ただの業務日。誰かに覚えてもらおうとも思っていなかった。それが、ふとしたメモの「おめでとう」に心が揺れるなんて、自分でも驚いた。

野球部時代の誕生日は皆でふざけていた

部室でカップラーメンにロウソク立てられて、「これで十分だろ」って笑われたあの日。あれはあれで、幸せだったと思う。誰かが、自分のことを思い出してくれていた。それだけで嬉しかった。今、その代わりがケーキになっただけ。でも、あの時はみんなと笑って食べた。今は、ただ机の上でフォークを動かすだけ。味は美味しい。でも、味覚じゃなくて感情が鈍くなっている気がした。

いまはLINEも鳴らない静かな夜

LINEは既読無視が日常。グループも消え、通知も静かになった。寂しい?と聞かれたら、正直寂しい。でも、それを埋めようとするほどの元気もない。誰かに話すより、書類を片付ける方が早い。そんな日々に慣れてしまった自分に、ふと怖くなる。「おめでとう」と言われる機会がなくなると、人は本当に孤独になる。たった一言の重さを、こんな年齢になって知るなんて。

誰もいない机にケーキと自分だけの拍手

ろうそくは立てなかった。でも、ケーキを一口食べたとき、小さく手を叩いて自分に言った。「おつかれさま」。たぶん誰も見ていないからできたこと。誰かがいたら恥ずかしくてできなかった。でも、それで少し救われた気がした。頑張っている誰かに届くなら、この言葉を贈りたい。「あなたも、ちゃんとお祝いされるべき人です」。それを忘れないでください。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。