朝の依頼人
その朝、私はいつものようにコーヒーをすすりながら、書類の山を前にため息をついていた。そこへ、どこか疲れた様子の中年男性が扉を開けて入ってきた。無精ひげを蓄え、古びた図面を差し出してきた。
「この土地、誰の名義になってますかね?」彼の声はかすれていた。図面は黄ばみ、端が丸まり、長年の時を物語っていた。
不機嫌そうな男が残した一枚の図面
地番が読みづらく、縮尺もあいまいな手描きの図面だったが、私は目を細めてスキャナーに通した。「この土地は……今は空き地になってますが、登記簿上は家が建っていたようです」
男はうなずきもせず、黙って立ち上がった。「何か分かったら連絡ください」そう言って、連絡先も残さずに出て行った。
土地の名義に潜む違和感
何気なく登記簿を見直していた私は、ある違和感に気づいた。平成の初期に建物表題登記が抹消されており、それ以降、家の存在が完全に消えていたのだ。
しかも土地の名義は十数年前から一度も変わっておらず、相続もされていない。まるで時間が止まっているようだった。
相続人のいない不自然な登記
固定資産税の滞納もない。となると、誰かがそのまま払い続けているのか? それとも自治体が把握していない? サトウさんに軽く相談してみたが、「調べれば出ますよ」と塩対応。
やれやれ、、、また手間のかかる案件に首を突っ込んでしまったかもしれない。
現地調査と消えた家
私は現地へ向かった。ナビでは目的地に到着したことになっているが、目の前にあるのはただの雑草に覆われた空き地だった。地元の人に尋ねると「昔は家があったけど、随分前に取り壊された」とのこと。
しかし、取り壊しの記録がどこにも残っていない。行政の記録にも登記簿にも、なぜか建物の痕跡はなかった。
あったはずの家がないという矛盾
近所の古老が語るには、「その家は戦後すぐに建てられたもので、五年前までは人が住んでいた」という。だが、五年前にはすでに登記簿上に家の記載はなかったはずだ。
何かが食い違っている。サザエさんの家のように、時代が進んでも風景だけは変わらない、そんな奇妙な違和感があった。
サトウさんの冷静な分析
事務所に戻ると、サトウさんがパソコンをたたきながら淡々と言った。「旧土地台帳と閉鎖登記簿、見てみました。何度か仮差押えされてますね。登記の抹消、意図的かもしれません」
その言葉に背筋が寒くなった。意図的? 誰かがこの家の存在を消したということか。
旧土地台帳と登記簿の食い違い
資料を並べていくと、昭和の終わり頃に行われた所有権移転登記が不自然に抹消されていた。しかも、筆界未定とされた周辺地と地続きで、古い地目は「宅地」と「田」が混在していた。
これは素人ではなく、明確な知識を持った誰かが仕掛けた操作に見えた。
やれやれから始まる再調査
もう一度現地を訪れ、自治体の固定資産課を訪ねた。紙の資料を引っ張り出してもらうと、未登記の建物として記録が残っていた。課税対象になっていたのは数年前まで。
「あるにはあった。でも書類上はなかった」──それがこの家の実態だった。
元住人と近所の証言
元住人の行方を探してみたが、すでに他界していた。相続人も不明。近所の人は「息子さんが東京にいる」と話していたが、詳しいことは誰も知らない。
家の記憶だけが、この町の空気にふわりと残っていた。
相続登記の落とし穴
数十年放置された不動産に関する法律の盲点が、この件にも現れていた。相続登記義務化の前、誰も手続きしないまま土地と家は半ば幽霊のように存在していた。
そこに目をつけた誰かが、そっと家を壊し、登記を整理した。だが、土地の名義は動かさなかった。それが、かえって真相への鍵になった。
公示送達のタイミングに隠されたからくり
閉鎖された登記簿にあったのは、公示送達による抹消登記だった。しかも、同時期に隣地が転売されている。つまり、誰かがこの土地の価値を引き上げるために、周到に準備していたことになる。
やれやれ、、、まるで怪盗キッドが仕掛けたトリックのようだ。
土地を狙った人物の影
その人物が誰かまでは特定できなかった。ただ、複数の名義を利用して不動産を動かしている事業者が浮かび上がってきた。表には出てこないが、法務局でも注意人物としてマークされている。
私はその情報を依頼者へ伝えようとしたが、連絡先がわからない。いや、最初から彼はこの結末を知っていたのかもしれない。
誰が何のために家を消したのか
家を消したのは、たぶん誰かの「善意」だったのだろう。相続人がいない家を放置せず、解体して土地を整える。そう考えれば、正義と悪は紙一重だった。
それでも、手続きの闇は残る。私たちはその痕跡を記録に残すしかない。
古い地目と新しい地番の罠
昭和の頃の地番と、平成以降の住居表示制度。二つの制度が交差する場所では、土地の所在が曖昧になりやすい。今回の件も、そこに付け込まれた形だった。
本来ならば登記官が気づくべきだった。しかし、それが見逃されたことで、この幽霊屋敷は本当に幽霊になった。
筆界未定地に仕掛けられた偽装
筆界未定の区域をまたいで水道管が引かれていた。普通なら工事は許可されないはずだが、それも古い契約書によって正当化されていた。書類上、全てが整っていた。それが一番怖かった。
偽装は、完璧だったのだ。
サザエさん的どたばた調査劇
途中、地元の古地図館に足を運んだ際、私は足を滑らせて井戸に落ちかけた。井戸のふたがずれていたのだ。腰を打ちつけ、全身泥まみれになってしまった。
それを見たサトウさんは「なぜそうなるんですか」と冷たく言い放った。まるで波平がカツオに怒鳴るように。
シンドウが井戸に落ちる日
後日、地元の新聞に「司法書士が井戸に転落寸前」という小さな記事が載った。私はあれ以来、現地調査のときはスニーカーをやめている。
やれやれ、、、ほんとうに骨の折れる仕事だ。
真相と責任の所在
事件とは呼べないが、放置すれば大きな混乱を生む可能性があった。誰の責任でもなく、誰も悪意を持っていたわけでもない。だからこそ、慎重に処理しなければならなかった。
私は静かに調査報告を綴り、登記簿に経緯を添えて記録した。
登記簿が導いた家族の記憶
最後に記された一文には、その土地に住んでいた家族の名前が残っていた。父と母、息子、そして祖母。登記簿の片隅に、確かにその家族は存在していたのだ。
記録が記憶になる。その一歩手前で、私は司法書士としての仕事を終えた。
後日談と塩対応
「なんでそんな泥だらけになって帰ってきたんです?」サトウさんは顔ひとつ変えずに言った。私は言い返す元気もなく、ソファに崩れ落ちた。
「まあ、ちゃんと処理できたならいいですけど」彼女のその言葉に、ほんの少しだけ救われた気がした。
サトウさんからの一言と静かな余韻
私はそっと机に肘をつき、コーヒーを飲んだ。「やれやれ、、、また一歩、過去に触れてしまったな」
今日もまた、記録と記憶の狭間をさまよう一日が終わった。