一人の方が楽だよねと思う瞬間
「一人の方が楽だよね」──気がつけば、口をついて出るようになったこの言葉。別に誰に言うわけでもなく、独り言のように、時には心の中で呟いている。事務所の中は静かで、パソコンのタイピング音だけが響いているような時間が長い。自分のペースで仕事ができるこの環境は確かに“楽”だ。誰にも急かされず、誰にも干渉されず、失敗も成功も、全部自分次第。それって一見、理想の働き方に思えるけれど、そんな毎日が続くと、ふとした瞬間に心がぽっかり空く。
誰にも気を使わなくて済むという錯覚
若い頃はチームプレーが当たり前だった。野球部での上下関係や礼儀、声を掛け合って作戦を立てるのが日常だった。それが、司法書士として独立してからは、一人ですべてをこなす世界に変わった。誰かに気を遣う必要がないというのは、一見楽そうに見えて、実際には“誰も自分のことを気にしていない”という孤独でもある。たとえば、風邪気味で少し弱っていても、誰もそれに気づかない。気を使わない=見られていない、そんな事実に気づくと、「一人の方が楽だよね」なんて言葉は、少し空しく響く。
失敗しても自分だけの責任だから気が楽
仕事でミスをしたとき、誰かを巻き込まなくて済むのは確かに気が楽だ。誰にも謝らなくていいし、迷惑をかける心配もない。でもその反面、失敗の重みを分け合えない辛さもある。たとえば、登記で補正がかかったとき、自分の不備であっても、事務員には言いづらい。結局「全部自分が悪い」で片付けてしまうから、どんどん自分を追い詰める。チームで仕事をしていれば、相談したり、原因を一緒に探ったりできるのに。一人の気楽さは、責任の孤独と紙一重だ。
事務員にも気を使ってしまう小心者
一人事務所と言っても、事務員が一人いる。けれど、気を使わない相手ではない。むしろ、雇っている側であるがゆえに、余計な気を使ってしまう。忙しそうにしていても声をかけられなかったり、自分のミスをカバーしてもらったときの申し訳なさだったり。だからこそ、彼女が帰った後に「やっぱり一人の方が楽だな」なんてつぶやいてしまう。自分がもっと器用な人間なら、違う言葉を選んでいたかもしれない。
たまにやってくる気まずい沈黙との戦い
事務所内で二人きり。お互いに黙々と作業をしているとき、ふと訪れる気まずい沈黙。話しかけるタイミングを逃して、気まずさだけが膨らんでいく。その沈黙を破ろうとして雑談を振っても、うまく続かないと逆に疲れてしまう。そんな時も、「あー一人の方が楽だったかもな」と思ってしまう。だけど、心のどこかでは会話が続く関係性に憧れていたりもする。不器用な自分が、またここでも顔を出す。
本当に楽なのかと問い直す日々
「一人の方が楽」という言葉が口癖になっていた時期がある。でも、その“楽”は果たして本当の意味での楽だったのか。体力的には余裕があっても、心の中は常に張り詰めていて、息抜きの仕方もわからなくなっていた。人と関わることの面倒臭さを避けた結果、自分の世界はどんどん狭くなっていったようにも思う。人付き合いは確かに面倒だけど、面倒の先にある“安心感”を、自分は捨てていたのかもしれない。
誰かに頼ることへの苦手意識
昔から、誰かに頼ることが苦手だった。野球部時代も、エースで四番の先輩に頼りたくても言い出せず、自分一人で空回りしていた。今も同じ。事務員に少し頼めばいいことを、自分で全部抱え込んでしまって、結果として効率も悪くなる。それでも「迷惑をかけたくない」という気持ちが先に立ってしまう。だから一人の方が楽──と思っていたけど、それは単なる“頼れない自分”を正当化する言い訳だったのかもしれない。
会話のない日が増えていく怖さ
最近、事務所での会話が減ったことにふと気づいた。自分から話しかけないと、事務員も静かに仕事をしている。帰り際に「お疲れ様でした」と交わすだけの日もある。最初は楽でいいと思っていたけど、それが続くと“人としての温度”がどんどん下がっていく気がして怖くなる。自分はこのまま、誰とも心を通わせずに年を重ねていくのだろうか──そんな不安が、夕暮れ時の事務所にぽつんと浮かぶ。
「楽」と「孤独」は似て非なるもの
「楽」と「孤独」は似ているようで、決定的に違う。楽は選べるけれど、孤独は気づいたらそこにあるもの。気づけば土日も誰とも話さずに過ぎていた、ということがよくある。そのとき初めて「自分は楽を選んだつもりで、孤独に囚われていたのかもしれない」と思った。誰かと関わることは、確かに労力を要するけど、その先にあるつながりの温かさは、孤独には絶対にないものだ。
LINEの未読に怯える独身男の心情
休日に誰かと連絡を取ろうとLINEを送っても、既読がつかない。数時間、スマホをちらちらと見てしまう。自分が送ったメッセージが重かったのか、返信が面倒だったのかとぐるぐる考える。そんなとき、「あーやっぱり一人の方が楽だったな」と口にしてしまう。でも本音では、少しのやり取りだけでも、誰かとつながっていたかった。独りでいたくて独りでいるわけじゃない。そんな気持ちを隠すための言葉が、「一人の方が楽だよね」なのかもしれない。
一人の方が楽だよねの裏にあるもの
この言葉の裏には、たくさんの“本当の気持ち”が隠れている。自分を守るための防衛線であり、弱音を吐けない自分の代弁でもある。誰かと一緒にいることの難しさを知っているからこそ、あえて「一人がいい」と言ってしまう。でも、心のどこかでは、誰かに「そうだよね、でも一緒にいてもいいんだよ」と言ってほしい自分がいる。きっと、それが本音だ。
言葉にしない寂しさと不安
「寂しい」と言うのは、どうにも苦手だ。そんな弱い自分を見せたくないし、見せられる相手もいない。だから、無意識に「一人の方が楽」と言い換えてしまう。でもそれは、寂しさを抱え込んだまま、蓋をしてしまうだけ。本当はもっと、素直になれたらいいのかもしれない。たとえ小さなことでも、「寂しい」「助けてほしい」と言えるようになれたら、もう少し楽な人生になるのかもしれない。
本当は誰かと分かち合いたい日常
司法書士という仕事は、黙々とこなすことが多い。だけど、成功したとき、トラブルを乗り越えたとき、誰かに「よかったね」と言ってもらいたくなる。嬉しいことも悲しいことも、誰かと分かち合える日常こそ、本当の“楽”なんじゃないかと思う。何も特別な関係じゃなくていい。ただ、隣で「あー今日も疲れたね」と言える人がいれば、それだけで随分救われる。
愚痴をこぼせる相手のありがたさ
昔はよく、野球部の仲間と銭湯帰りにラーメンをすすりながら愚痴を言い合った。あの時間は、どれだけ支えになっていたか。今は誰に愚痴を言えばいいのか分からない。事務員にすら、仕事の愚痴はなかなか言いづらい。SNSに書くわけにもいかないし、結局自分の中で飲み込んでしまう。だからこそ、あの頃の何気ない会話が、今になって宝物のように思える。
それでも一人を選び続けてしまう理由
分かっている。誰かと一緒にいたほうがいいときもあるし、本当はそっちの方が温かいって。でも、自分の不器用さや臆病さが、それを選べなくしている。だから、今日も口癖のように「一人の方が楽だよね」と呟いてしまう。それは、他人を拒絶しているのではなく、自分を守ろうとしているだけ。ただ、いつか素直に「誰かと一緒がいい」と言えるようになりたいと思っている自分も、確かにここにいる。