午前九時の訪問者
朝のコーヒーを淹れたばかりだった。曇天の空の下、事務所のドアが控えめにノックされた。 玄関に現れたのは黒いワンピースを着た中年の女性だった。彼女の目には、何かを飲み込んだような沈黙があった。 「土地の名義について相談したいのです。父の家なんですが……変なことが起きていて」。
突然現れた依頼人
名乗った名字には聞き覚えがあった。地元で一時話題になった“あの家”の遺族だ。 「火事のあった家ですね」と問いかけると、女性は頷いた。「でも、あの家はまだ登記上、父の名義のままなんです」。 火事から十年、誰も住んでいない家。にもかかわらず、最近誰かが出入りしているという噂もあるらしい。
不自然な相談内容
家を相続したいのかと思いきや、女性はそれを望んでいなかった。ただ、名義をはっきりさせたいと言う。 「誰かが勝手に住んでいる気がするんです。鍵は確かに閉まっていたはずなのに」。 言葉の裏に、どうしようもない不安が滲んでいた。やれやれ、、、これは普通の名義変更では済まなそうだ。
古びた一軒家の謎
昼過ぎ、依頼人から渡された地図を頼りに例の家へ向かった。雨がぽつぽつと降り始めていた。 家は予想よりもずっと古く、敷地には雑草が茂っていた。門柱はひび割れ、ポストには何年分ものチラシが詰まっている。 だが、地面には新しい足跡があった。
登記簿に刻まれた空白
事務所に戻り、登記簿謄本を確認すると、不思議なことがあった。 本来、死亡届が出れば登記簿には相続の登記がなされる。だが、彼女の父の死亡記録すら記載がない。 住民票は除かれているのに、登記上はまだ生きていることになっていた。
誰も知らない名義人
もっと奇妙なのは、登記上の住所変更が一度行われていたことだった。十年前の火事の前に、名義人が他の住所に移っていたのだ。 「それ、お父さんの筆跡じゃないですね」――そう言ったのはサトウさんだった。 塩対応な彼女が、書類を睨みつけながら、ぴしゃりと断言した。
サトウさんの疑問
サトウさんは、筆跡を過去の遺言書と照らし合わせていた。 「これ、別人ですよ。ついでにこの変更申請、司法書士が関与していない」。 やれやれ、、、余計に面倒なことになってきた。
不動産の履歴に潜む違和感
過去の登記記録を洗い直すと、不審な点がいくつか浮かび上がった。 途中で一度、所有者の住所が変わっているが、それに対応する委任状が存在しない。 つまり、誰かが勝手に申請を出した可能性が高いということだ。
塩対応からの鋭い指摘
「これ、法務局に持ち込まれてますけど、提出印が欠けてます。受付も形式だけ。たぶん、誰かとグルだった」。 冷静な分析に、俺はただ唸るしかなかった。 「サザエさんでいうところの、カツオが波平の印鑑使って悪さしてるレベルですね」と、サトウさんは冷たく笑った。
シンドウの現地調査
鍵を手に再び現地へ。古びた玄関を開けると、埃の中に人の気配が残っていた。 靴跡、最近の雑誌、そしてテーブルの上に置かれたコンビニ弁当の袋。 誰かがここで生活している。それは、名義人ではない“誰か”だった。
雨に煙る庭と沈黙の玄関
雨が強くなってきた。裏庭には物干し竿があり、最近洗濯された形跡があった。 家の中はカビ臭かったが、一部の部屋だけが不自然に綺麗だった。 その部屋には、写真立てがあった。家族三人、しかし中央に立つ男性の顔が塗りつぶされていた。
封印された離れの部屋
母屋とは別に小さな離れがあった。南京錠で閉じられていたが、鍵は錆びていた。 中に入ると、山積みの書類、手帳、そして未提出の遺言書。 依頼人の父が書いたものに間違いなかった。筆跡も一致している。
近隣住民が語る過去
隣家のおばあさんに話を聞くと、十年前の火事には妙な噂があったという。 「火なんて出てなかったわよ。警察も来なかったし、ただ、家族が急にいなくなっただけ」。 つまり火事は偽装だった可能性がある。
十年前の火事の記憶
当時、町内会では「あの家は呪われてる」と囁かれていたらしい。 夜な夜な物音がする、誰もいないはずの部屋の灯りがつく。 迷信めいているが、登記簿と噛み合ってくる。
孤独死と誰かの影
後に分かったことだが、依頼人の父は火事の数年後に別の場所で孤独死していた。 だが、死亡届を出した者の記録が存在しなかった。つまり“誰か”が彼の死を隠した。 そして今も、彼の名前を利用し続けている者がいた。
登記簿の空白を埋める鍵
未提出の遺言書には、家を娘――依頼人に譲ると明記されていた。 印鑑も押され、日付も有効。これを提出すれば、現在の“偽名義人”の嘘は剥がれる。 だが、相手が黙っていればの話だ。
旧姓と婚姻と消された記録
登記簿には載っていないが、依頼人は一度結婚し名字が変わっていた。 その記録が抹消されたかのように消えていたのも、不自然だった。 どうやら、父と縁を切ったという形に偽装されたらしい。
遺言書が語る真実
遺言書には「娘よ、私はお前を愛していた」と綴られていた。 家を残し、過去を清算したかった父の最後の意志。 その思いを隠蔽しようとしたのは、父の再婚相手の息子だった。
依頼人の正体
依頼人は事務所を再訪した。 遺言の提出と相続登記をすることを決めたようだった。 「父を憎んでいたけど、あの手紙を読んで、もういいかって思いました」。
名義人との血のつながり
DNA鑑定までは不要だった。登記簿と手紙がすべてを語っていた。 彼女は名実ともにその家の相続人だった。 「これでやっと、あの家とも決別できます」と穏やかに笑った。
相続を巡る沈黙の動機
結局、再婚相手の息子が父の死を隠し、家を乗っ取ろうとしたのが真相だった。 法務局の担当者とも顔見知りで、軽く処理させていたらしい。 すべてが明るみに出た今、彼はそのまま警察に引き渡された。
サトウさんの推理
「やっぱり裏がありましたね」と、サトウさんは淡々と告げた。 「名義にこだわる人って、だいたい何か隠してるんです」。 本当に恐ろしいのは、静かな嘘だと彼女は言った。
矛盾を突く一言
「普通、火事があった家に人は寄りつきません。でも、犯人はそこにこだわり続けた」。 家ではなく“名義”に固執していた理由、それが彼の欲望そのものだった。 その一点を見抜いたのが、サトウさんの冷静な観察だった。
過去と現在を繋ぐ線
「過去を消して未来を作るなんて、登記ではできませんよ」。 彼女の言葉が、妙に胸に残った。 やれやれ、、、俺ももう少し頑張らないとな。
シンドウの決断
遺言書とともに相続登記を申請した。必要書類はすべて揃っている。 名義は依頼人へと正式に移る。これで“沈黙した家”は終わりを迎えた。 何より、彼女自身の心に区切りがついたのだろう。
真相を明かす登記申請
提出書類に印を押しながら、俺は少し手を止めた。 登記簿というのは、事実を記すだけの無機質なものだ。だが、時にそれは物語を語る。 そしてその物語が、人を救うこともある。
遺産ではなく贖罪として
彼女は最後にこう言った。「あの家は、売るつもりです。父の過去を背負いすぎた場所だから」。 だが、その目はどこか晴れやかだった。 登記が終わると、すべてが始まるのかもしれない。
やれやれ、、、また一件落着か
事務所に戻ると、サトウさんが冷めたコーヒーを差し出した。 「コーヒーの味がしない」と愚痴ると、「いつも言ってますけどね」と返された。 やれやれ、、、俺の人生、相変わらず苦い。
事務所に戻った静かな午後
外では蝉が鳴いていた。書類の山に埋もれながら、静かな午後が過ぎていく。 一件の事件が終わり、また次の相談が待っている。 誰かの過去と、誰かの未来が、また登記簿に刻まれていく。
サトウさんの冷たいコーヒー
「次の相談、もう来てますよ」と言われ、重い腰を上げた。 「今度は離婚とペットの名義ですって」「……ペットの名義?そんなのあるのか?」 やれやれ、、、今日もまた一日が始まる。