気がつけばまた研修会に足が向いていた
週末にぽっかり空いた午後。「久しぶりに婚活パーティーでも行こうか」と思ってスケジュールを確認したら、その日はちょうど司法書士会の研修があった。しかもテーマは「不動産登記法改正の実務対応」。つい、そっちに足が向いてしまった。誰に頼まれたわけでもないのに、研修を優先してしまうこの性格。自分でも少し呆れる。でも、不思議と罪悪感はない。むしろ「参加してよかった」と毎回思うのだ。
土曜の午後に迷った選択肢
その日は午前中で業務を終わらせて、午後は空けておいた。駅前のホテルで開かれる婚活イベントの案内はメールで来ていて、申し込みもギリギリまで迷っていた。でも、研修の案内メールを見た瞬間に「これは行かないと」と思ってしまった。おかしな話だけど、恋愛よりも法改正の話のほうが自分にとって“安心できる場所”に感じてしまったのだ。たぶん、自分から不器用さを選んでいる。
友人の誘いを断った言い訳
その婚活イベントは、地元の友人が主催側で関わっていて「お前もそろそろ参加しろよ」と言われていた。でも「ごめん、研修が入ってて」と伝えた瞬間、電話の向こうで苦笑いしてるのが分かった。言い訳っぽく聞こえたんだろう。たしかに言い訳かもしれない。でも、どっちを選んだほうが“自分らしい”かを考えると、どうしても研修だった。そういう自分の選択を、今さら変えるのも難しい。
「その日は登記の最新情報があるんだよ」
「その日は最新の登記情報が聞ける日なんだよ」と自分に言い聞かせるようにして参加した研修会。出席者の多くは見知った顔ぶれで、妙な安心感があった。婚活会場の未知の空間より、こちらのほうが自分には居心地が良かった。結局、私は“世界を広げる”よりも“世界を深掘りする”タイプなんだと思う。恋愛のきっかけより、条文の解釈に心が惹かれる。そういう人間も、たまにはいていいはずだ。
恋愛と研修なぜか天秤にかけられない
普通の人なら、「出会いのチャンス」と「仕事の勉強」なら、前者を優先するのかもしれない。でも私は、どちらかを選べと言われたら、迷いなく研修を選んでしまう。恋愛を否定しているわけじゃない。むしろ羨ましいと思う。でも、恋愛の場では自分の不器用さが露呈してしまうことが多く、どこかで距離を置いてしまっているのかもしれない。だから私は今日も研修の資料に目を通す。
期待されても応えられない自分
家族や知人には「そろそろ誰かいい人いないの?」と聞かれるけれど、正直どう返したらいいのかわからない。誰かを好きになることもあるけれど、それをどう表現すればいいかが分からない。下手に行動すれば傷つけてしまうんじゃないか、そんな思いが先に立つ。結局、自分が期待される役割には応えられず、静かに距離を取ってしまう。そんな自分に嫌気が差すこともある。
会話よりレジュメを読み込む時間が心地いい
婚活イベントで何を話せばいいのか分からない。趣味?休みの過ごし方?それをうまく話す自信がない。でも、研修会では講師の話を聞きながらレジュメにメモを取っている時間が本当に心地よい。孤独ではあるけれど、そこには自分を責める視線も、期待に応えなきゃというプレッシャーもない。そういう安心できる空間を、私は恋愛の場に求めきれなかったのだと思う。
成長してる気がするのは仕事の方だけ
仕事ではそれなりに成長してきたという自負がある。開業当初よりも顧客の数は増え、事務員にも助けられて業務も回っている。でも、プライベートはどうかと聞かれると、返事に困る。大人としての成長が、仕事だけに偏っているような気がしてならない。人間としての幅を広げられていない気もするけれど、目の前の業務に全力で向き合っているだけで精一杯というのが正直なところだ。
研修会に救われたことも確かにある
人と話すのが苦手な私にとって、研修会は「黙っていても同じ方向を向ける場所」だった。無理に社交的にならなくても、ただそこにいるだけで仲間意識が生まれる。そうした空気に何度も助けられた。特に落ち込んでいた時期、孤独感に押しつぶされそうだったとき、研修会の存在は思った以上に支えになっていた。
誰にも言えなかった業務の悩み
独立して数年、抱え込む仕事が増えるにつれて、業務上のストレスも積み重なった。でも、事務員にも家族にも、あまり弱音は吐けなかった。だからこそ、研修のあとに立ち話する同業者との何気ない会話が、妙に心に沁みた。あのとき「ああ、自分だけじゃないんだ」と思えたことは、今でも忘れられない。
そこにいた同じように疲れた誰か
疲れた顔でレジュメをめくっていた隣の席の先生が、講義終了後にふと「最近、ちょっときついですよね」と声をかけてくれた。その一言が救いだった。話してみると、同じような悩みを抱えていて、気がつけば30分も話し込んでいた。あの日のあの出会いが、研修会という場に持つ意味を深く教えてくれた気がする。
「ああ自分だけじゃなかった」と思えた瞬間
「自分だけが苦しい」と思いがちな日常の中で、誰かと感情を共有できる瞬間があるだけで、ずいぶん救われる。研修会という場は、知識を得るだけでなく、そうした共感やつながりを感じる場所にもなっていた。出会いの種類は違っても、心が少し軽くなること。それこそが、私が研修を選んでしまう本当の理由なのかもしれない。