序章 眠れぬ夜の来客
夜の事務所は静寂に包まれていた。エアコンの唸る音だけが、かすかに響いている。そろそろ帰ろうかと思ったその時、インターホンが鳴った。
こんな時間に来客だなんて、ロクな話じゃない。カップ麺を流しに置いて、渋々ドアを開けると、スーツ姿の中年男性が立っていた。目は血走り、スーツには雨の跡が残っていた。
深夜に鳴ったインターホン
「こんな時間に」と彼は言った。「どうしても急ぎで確認したい登記があります。明日の朝までに必要で…」 よくある焦った依頼だろうと、高を括っていた。だが、男の持つファイルを見たとたん、空気が変わった。
ファイルには、築30年の一戸建ての登記簿謄本。そして奇妙な契約書の写しが挟まれていた。誰かが無理やり書かせたような署名欄と、違和感のある日付。
依頼人の怯えた表情
「妻がいないことに今朝気づきました」と、男は呟くように言った。「この家に関わる何かを隠していた気がして…」 彼の目には恐怖と罪悪感が入り混じっていた。何が彼をここまで追い詰めたのか、それは登記簿が語るはずだった。
過去を辿る不動産の謎
机に広げた登記簿には、確かに奇妙な点があった。所有者が3年前に変更されていたが、住所も氏名も微妙に一致していない。 たった一文字違うだけなのに、別人として扱われていた。
登記簿に刻まれた不可解な移転
「こういうパターン、詐欺や名義貸しの温床ですよ」とサトウさんが冷たく言った。「気づいてるんでしょう、あなたの奥さん、何か抱えてたんじゃないですか?」 依頼人は押し黙り、窓の外を見つめたままだった。
不自然な名義変更の履歴
平成から令和へと元号が変わった頃、この家は一度、まったく無関係な法人名義になっていた。しかも、1ヶ月足らずで個人名義に戻されている。 登記簿の流れを辿るだけで、不自然な臭いがぷんぷんした。
サトウさんの冷静な分析
「この法人、調べたらペーパーカンパニーですね。代表者の名前、聞き覚えないですか?」 モニターに映された人物は、依頼人の義理の弟だった。
数字のズレに光を当てる
「固定資産税の評価額、去年から跳ね上がってます」とサトウさん。「理由は、地下室の増築が確認されたからみたいです。許可申請は出てませんけど」 地下室。思わず依頼人の顔色が変わった。
元所有者の行方
「前の名義人、実はまだ生きてるみたいです。老人ホームに名前がありました」 つまり、この家の名義変更は真正な意思に基づいていない可能性があった。しかも、それを裏で動かしていたのが依頼人の身内だとしたら…。
契約書に隠された罠
契約書は一見、法的に整っていた。ただし、サトウさんが指摘した“あの部分”を除いては。 「この但し書き、不自然すぎます。財産権放棄条項なんて、家庭内で使う文言じゃありません」
細字で書かれた一文
「建物地下に設置された構造物について、所有権を放棄する」 その細字の一文に、すべての答えが詰まっていた。地下には何かがある。何かを“封じる”ような目的で。
押印の微妙な違和感
契約書の押印は、確かに依頼人の妻のものに見えた。しかし印影がややにじみ、微妙に歪んでいた。 それは、本人ではなく“誰か”が押した証拠でもある。
シンドウの過去の記憶
「俺がキャッチャーやってた頃な、ピンチのときにこそ冷静さが試されたんだよ」 無意識に口から出た昔話に、サトウさんが目を細めた。「だから今も、焦って動かないんですね」 やれやれ、、、昔取った杵柄が役に立つ日が来るとは。
あの球場のベンチの記憶
サヨナラの場面でサインミスしたあの試合。あの失敗を思えば、今のほうがまだマシかもしれない。 人生、どう転ぶかわからないけど、やり直せるならやり直したいことばかりだ。
真相と結末
地下室には、防音施工された部屋があった。そこには、依頼人の妻が身を隠すように暮らしていた。 義弟の不正を知り、身の危険を感じていたのだという。
登記簿が導いた裏切り
すべては登記簿に書かれていた。見落とされがちなその紙片こそ、真実を語る証人だった。 そして、サトウさんの推理がなければ、この夜はただの「失踪」として処理されていただろう。
静かに終わる深夜の契約
「契約ってのは紙だけじゃないんですよ」とシンドウは言った。「信頼とか、覚悟とか、そういうもんも含めての“契約”だと思うんです」 サトウさんはうなずきもせず、静かにコピー機のスイッチを入れた。「感情論、いらないんで」 やれやれ、、、今夜も彼女には敵わない。