『おたくとは違う方に頼もうかと思って…』の破壊力
その一言で背筋が凍った、ある夏の午後
「あの、正直に言うと…おたくとは違う行政書士さんに頼もうかとも思ったんですよね。」
そう言われた瞬間、私は思わず口の中がカラカラになった。真夏の午後、エアコンの効いた事務所の中で冷や汗をかいたのは久しぶりだった。相手は何気ない様子で語っていたが、こちらとしては「浮気宣言」に近い。もちろん恋愛関係ではない。だがこの一言には、信頼の綻びと、こちらへの不満が含まれていた。ああ、これはきっとどこかで心が離れていたのだ。そう確信した私は、なぜこの状況になったのかを振り返ることにした。
原因はどこにあった?気づかぬうちの“距離感”
今思えば、依頼人とのやりとりにどこか「雑さ」が出ていたのかもしれない。メールの返信が遅れた日が何度かあったし、「確認しておきます」と言っておきながら翌週になってしまった書類もあった。こちらは毎日が忙殺されていて、どの案件も必死でやっているつもりだが、それは依頼人には関係のない話だ。
まるで、恋人に「最近LINEの返事遅くない?」と詰められるような感覚。「いや、忙しかったんだよ」と言っても、気持ちはもう冷めている。行政書士の仕事は法律と手続きだけじゃない。「この人に頼んでよかった」と思ってもらえるかどうかがすべてだと、今さらながら思い知った。
ライバルの存在に初めて意識を向けた日
「実は、知り合いに紹介された先生がいて…」と言われた瞬間、頭の中で警報が鳴った。まさかとは思っていたが、他の行政書士と比較検討されていたのだ。まあ当然と言えば当然なのだが、自分の中ではどこかで「この依頼はうちで決まりだろう」と思い込んでいた部分があった。
その「紹介された先生」は、都内で評判の事務所のようだった。ホームページを見たら、洗練されたデザイン、分かりやすい料金表、そして“親しみやすい雰囲気”が前面に押し出されていた。……なるほど、これは確かに魅力的だ。
ただ悔しかったのは、負けたことではなく、自分がその勝負に気づいていなかったことだった。
“信頼”は言葉で伝えるものじゃない
あらためて考えると、「信頼関係」は口で築くものではない。書類が正確に整っていること、期日に間に合うこと、相談した時にすぐ対応してくれること。こうした小さな積み重ねが「この人に任せてよかった」という安心感になる。
私はその日、自分の対応を根本から見直すことを決めた。忙しくても、事務員任せにせず、最後は必ず一言メッセージを添えることにしたし、期限が短くても必ず途中経過を伝えるようにした。
信頼は、手続きの中に宿る。誠実さは、無言のうちに伝わる。恋人同士ではないが、心がすれ違えば「他に頼もうか」と思われるのは当然のことなのだ。
小さな裏切りが、大きな学びに変わる
あの一言をきっかけに、私は自分の仕事の姿勢を見つめ直した。結果的にはその依頼人は、引き続き私に依頼してくれた。でも、おそらくあの時、私は一度“振られかけた”のだと思う。そしてその経験が、自分の甘えや思い込みに気づかせてくれた。
行政書士の仕事は、人と人との信頼のうえに成り立っている。「浮気されそう」と焦った経験は、自分の“気の緩み”を浮き彫りにしてくれた。
だからこそ、今後は同じ失敗を繰り返さないようにしたい。書類は完璧に、でも心も添えて。そんな原点を、あの夏の午後に取り戻した気がする。