登記簿が語る母の遺言
午前10時、事務所のポストに厚手の封筒が差し込まれていた。差出人の名前は無記名。手に取ると、ずっしりとした重みがあり、中には一通の遺言書と数枚の登記簿謄本が入っていた。
「また妙なのが来たな」と漏らすと、サトウさんがちらりと目線を上げた。「その書類、偽物の匂いがしますね」。朝から冷たい指摘である。
事務所に届いた一通の封書
遺言書は公正証書形式だったが、妙に新しい。日付は去年。にもかかわらず、登記簿には今年に入って相続登記が完了した旨の記載があった。何かがおかしい。
依頼人の名前も、依頼書もない。ただ、同封されていた手紙には「母の死にまつわる事実を知ってください」とだけ記されていた。
遺言執行依頼の背後にある違和感
通常、司法書士に対する遺言執行の依頼には、相続人や遺言執行者の指定が必要だ。しかし今回は、遺言の内容も誰に何を渡すのか曖昧で、法的には不備がある。
「これ、登記簿と一致してません」とサトウさんがページをめくりながら指摘する。どうやら、土地の名義が変わるタイミングが死の記録よりも早い。
相続人のいない家
問題の家は、地元でも有名な空き家だった。だが昨年のある日、ひっそりと名義変更がなされていた。申請人の名前は「アライ タクミ」。
「誰だっけ、そんな名前……」記憶の中を探るが見当たらない。法務局で申請書の写しを請求してみると、そこに押された印鑑が奇妙だった。細工されたように見える。
調査で浮かび上がる空白の30年
被相続人の“母”とされる女性は、30年ほど前に突然姿を消したと記録されている。死亡届もなければ戸籍上の異動もない。まるで“消された”ようだった。
登記上の履歴はそこから更新がなく、つい最近になって突如動きが出た。誰かが「死んだこと」にして相続を進めた形跡が濃厚だった。
サトウさんが発見した謎のメモ
「引き出しの裏に、こんなのが…」と彼女が差し出したのは、劣化した便箋に書かれた走り書き。「嘘の死。本当の逃亡。誰も信じないで」とある。
「こりゃ、サザエさんでいえばカツオが三回連続で0点取ってるレベルの異常事態ですね」と言いながら、苦笑するサトウさんを見て、少しだけ心が和んだ。
被相続人は本当に死亡しているのか
死亡届を提出した人物は「アライ タクミ」。だが、住民票も戸籍も存在しない。偽名の可能性が高い。なのに、火葬許可証まで取得されているのが不可解だ。
「ねぇ、焼いたって証拠あるんですか?」サトウさんが鋭く問いかけた。実は、火葬記録そのものが市役所には残っていなかった。
火葬許可証と死亡診断書の矛盾
死亡診断書を出した医師も見つからなかった。調べてみると、その医師は5年前にすでに廃業しており、届け出のない場所で記載されていた。
「やれやれ、、、またインチキ医者パターンか」と呟きながら、まるで昔読んだ『金田一少年の事件簿』を思い出す。あっちは高校生、こっちは疲れた中年だが。
死者の名義で移転された不動産
名義が変わった不動産は、すでに第三者に売却済みだった。不動産業者の話によれば、「確かに本人に会ってる」とのこと。だが、それは果たして誰だったのか。
「まるで死者が生き返ったみたいですね」と、サトウさんが淡々と返す。現実の方がよほど推理漫画より複雑で、陰湿で、厄介だ。
ご近所さんの証言が揺らす真実
近所の高齢女性が語った。「え?あの人なら去年、うちの畑の横で草抜きしてたわよ」。死人が草取りとは、なんとも皮肉な話だ。
つまり“母”は生きていた。だが、なぜ今さら“死んだこと”にされ、しかも名義が他人に移っているのか。この謎のカギは、“家族”の存在だった。
偽装死亡と保険金の匂い
保険会社に照会をかけた結果、大手保険から1000万円が支払われていた事実が浮かび上がった。受取人は「アライ タクミ」。やはり偽名だ。
そして、この人物が相続登記にも関与している。目的は土地ではなく、金だった。だが、そのためには「母」が“本当に死んだ”ことにする必要があった。
真犯人は誰なのか
登記簿、保険金、そして遺言。それらを操っていたのは、実の妹だった。疎遠になっていたが、家族関係の書類上ではまだ「姉妹」だった。
彼女は、母を監禁し、死亡を偽装し、すべてを計画的に進めていた。だがサトウさんの指摘と、俺のうっかり見落とした“住所のふりがな”が決め手になった。
法律の裏をかいた巧妙な計画
登記申請時の住所と、保険契約時の住所が一致していなかった。“ふりがな”が異なっていたため、同一人物として扱えなかったのだ。
そのミスを突いて、こちらは警察に証拠提出。妹は逮捕された。母は保護され、事件はようやく終息を迎えた。
登記簿が照らした家族の真実
法的手続きはすべて完了し、母はようやく自分の名前で生活を取り戻した。俺は最後に登記簿を閉じて、深くため息をついた。
「シンドウさん、いつもより2日で終わったのは奇跡ですね」とサトウさんが皮肉交じりに笑う。「奇跡、か……」そう呟きながら、外に出た。
シンドウの帰り道と一抹の寂しさ
夕焼けに照らされた道を歩きながら、ふと考える。「人ってやつは、誰かの死にすら嘘を重ねるんだな」。登記簿は、黙ってすべてを記録しているだけだ。
やれやれ、、、今日もまた、少しだけ人間が嫌いになった気がする。