封印された相続台帳

封印された相続台帳

朝の来客と冷めたコーヒー

朝9時、事務所の扉が静かに開いた。いつものように冷めたインスタントコーヒーをすすりながら、今日も誰にも頼られない一日が始まると諦めていたところだった。

現れたのは黒いスーツに身を包んだ女性。目元に疲れをにじませながら、無言で一通の封筒を差し出してきた。そこには「相続登記のご相談」と走り書きされていた。

「やれやれ、、、」思わず声が漏れた。コーヒーはさらにぬるく感じた。

依頼人は黒いスーツの女だった

彼女の名前はカワグチ。亡くなった祖父の相続について相談したいとのことだったが、話の端々に何かを隠している様子が見えた。目を逸らすタイミングが妙に一定で、あれはウソをつく人間のリズムだ。

「正直に話してくれた方が手間が減りますよ」と言ってみたが、カワグチは首を横に振るばかりだった。さて、どうしたものか。

サトウさんが静かにタイピングを始めていた。情報収集はもう始まっているようだった。

一枚の登記簿謄本が告げた違和感

提出された登記簿謄本を眺めていたが、どうにも腑に落ちない。「被相続人」とされた人物の住所が、最後まで変更されていなかったのだ。亡くなるまでずっと同じ住所? そんなこと、あるにはあるが、、、

それよりも、問題は「相続人の記載」にあった。カワグチの名前は確かに載っていたが、それ以外の兄弟姉妹が一切記載されていない。たしかに単独相続というケースもあるにはあるが、、、

だが、何かが引っかかった。司法書士の勘は、こういうとき外れない。

消されたはずの名前

過去の戸籍を調べていくと、一人の名前が浮かび上がった。「カワグチ アヤ」。カワグチの妹だったが、なぜか途中から戸籍にその名前がなくなっていた。

除籍されたのか、分籍されたのか。理由がまったく見つからない。しかも役所で請求した改製原戸籍には、そのアヤの名前が最初からなかった。

誰かが意図的に戸籍の流れを操作している? その可能性がよぎる。

戸籍にいない相続人の存在

昔、ドラえもんで「タイムふろしき」を使ってモノを元に戻すシーンがあったが、あれと逆のことが起きているような感覚だった。「存在をなかったことにする」など現実では不可能と思っていたが、、、

実は、それをやろうとした人間がいた。しかも、わりと近くに。

相続人を一人消す。それは土地の独占を狙う人間にとって、極めて魅力的な選択だったのだ。

封筒に挟まれた法定相続情報一覧図

カワグチが提出した封筒の中に、一枚の法定相続情報一覧図が入っていた。それを見て、すべてが確信に変わった。そこには、確かに妹の名前が最初から記載されていなかった。

そして作成者として記載されている司法書士の名前に見覚えがあった。地元では知られた「簡略化専門」の某事務所。怪しいと噂は聞いていたが、ここまでとは。

これが「封印された相続台帳」か。まさに書類上の完全犯罪だった。

サトウさんの推理と皮肉

「名前が消えてるんじゃなくて、最初から“なかったこと”にされてますね。雑ですね、手口が」

サトウさんが小声で呟いた。すでに彼女のモニターには旧戸籍データの画面が並んでいた。

「アヤさん本人、今どこにいるか探してみましょうか」その目が静かに光っていた。

手がかりは「余白」にあり

一覧図のフォーマットには余白があった。その位置、本来なら相続人がもう一人書かれるはずの欄。そこが妙に空いている。

「あえて空欄にして、そのまま提出すれば気づかれないと思ったんでしょうね。役所も形式チェックしかしませんし」

サトウさんが軽くため息をついた。まるで『キャッツアイ』の瞳のように、真実を見逃さないまなざしだった。

やれやれ、、、また厄介なパターンか

本人確認のため、戸籍と住民票、改製原戸籍、除籍簿、あらゆる書類を取り寄せる。役所とのやりとりは5回目。印鑑証明は期限切れ、固定資産税の課税通知も相続人名義になっていない。

「やれやれ、、、こりゃ週末つぶれるな」と独りごちる。元野球部だった体も今や肩が凝るばかりだ。

だが、証拠はそろった。次は動かす番だ。

昔の除籍簿に埋もれた謎

町役場の倉庫で、古い除籍簿を閲覧した。薄茶色に変色したその紙には、明確にアヤの名前が記されていた。しかも、相続権を放棄した記録も、除籍理由も記されていない。

つまり、現在も「相続人」であることに変わりはない。

封印された名前は、しっかりと公的な帳簿に刻まれていたのだった。

町の古い司法書士が残した証言

問題の法定相続情報を作成した司法書士を訪ねた。高齢で引退間際のその人物は、すぐに白状した。「依頼者が“兄妹は絶縁している”と言うから、確認せずにそのまま作った」

なんとも軽率な判断だった。だが、その証言が決定打になった。

「人間、歳とると書類より人の顔を信じちまうんだよ」その言葉がやけに重く響いた。

過去の登記と現在の矛盾

実は、15年前にカワグチ家の土地が名義変更されていた。その時の登記原因証明情報には、アヤの署名があった。つまり、当時は存在が前提になっていたのだ。

今の一覧図と整合性がとれない。完全に破綻している。

カワグチは言い逃れできない状況に追い込まれていった。

不自然な名寄せと改製原戸籍

市町村合併の影響で改製された戸籍。その過程で、アヤの名義が漏れた形跡が見つかった。だが、それは故意による削除ではなかった。むしろ、そこに便乗した形跡があった。

誰かが「ちょうどいい機会だ」と考えた。封印は偶然と意図の狭間で成り立っていたのだ。

これで動機が補強された。

裏で動いた行政書士の影

さらに、登場人物が増えた。カワグチが提出した資料の作成日、同日に別の行政書士の印鑑が押された書類があった。

どうやらアヤに連絡が取れないことを逆手にとって「もういない」ことにしていたらしい。利害関係が一致すれば、倫理はすぐに置き去りにされる。

登場人物は、登記簿の外にもいるのだった。

真相と決着

アヤは健在だった。地方の小さな町で一人暮らしをしていた。彼女自身は相続に興味もなく、誰にも連絡しないまま年月が過ぎていた。

だが、相続人である以上、その意思確認は不可欠だった。最終的にアヤの同意を得て、改めて遺産分割協議をやり直すことになった。

カワグチは平謝りだったが、罰則までは問えなかった。それでも、全てを明るみに出せたのは大きな前進だった。

相続を拒む理由

アヤは「もう家族じゃない」とだけ呟いた。過去に深い確執があったようだが、それは語られなかった。

だが、彼女は最後に一言だけ言った。「だけど、名前を消すのは違う」

その言葉が、全てを象徴していた。

静かな午後と報告書

事件が終わった午後、事務所には静けさが戻っていた。エアコンの音だけが微かに響いている。

私はパソコンに向かい、事件の経緯を報告書にまとめていた。誤記やらミスやら、書いては消しての繰り返しだった。

そのとき、サトウさんがぽつりと呟いた。「登記って怖いですよね」

サトウさんは一言だけ言った

「一行抜かすだけで、人生が変わるんですから」

その冷静な声に、私は背筋が少しだけ伸びた。

封印された相続台帳。その中に書かれなかった名前が、今日、ようやく表に出たのだった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓