依頼人は急にやってくる
朝のコーヒーをひとくち啜ろうとしたその瞬間、事務所のドアが唐突に開いた。無言で立っていたのは、やや痩せた中年の男性だった。手には分厚い封筒を持っている。
「登記のことで…」とだけ言って、男は椅子に腰を下ろした。目を合わせることもせず、ただ机の上に封筒を置いた。こりゃまた一筋縄じゃいかない予感がする。
午前九時の無言の訪問者
封筒の中には土地の権利証、固定資産税の納付書、そして色褪せた地図が入っていた。男は「父の家を相続したい」と言ったが、その声には妙な棘があった。
「弟と揉めてましてね」と、口を開いたとたん、状況がややこしくなりそうな空気が漂う。これは、登記だけじゃ終わらないやつだ。
机に置かれた一通の封筒
中を確認すると、遺言状らしき書類がある。だが封が破られておらず、公正証書ではない。怪しさ満点の自筆証書だ。「未開封だから大丈夫です」と男は言ったが、その自信の根拠が見えない。
これはサザエさんで言えば、波平さんが隠していた若き日のラブレターがタラちゃんにバレるくらいの大ごとになるかもしれない。
古びた家の相続登記
現地調査のため、その土地へ向かった。案の定、古びた一軒家がぽつんと建っていた。草は伸び放題、窓も一部割れている。中に入れば蜘蛛の巣が歓迎してくれる。
調べてみると、その家は未登記。つまり、誰の名義にもなっていない。ここから始まるのは、ただの登記ではなく、泥沼の家族劇だ。
未登記のまま残された土地
被相続人である父親は十五年前に亡くなっていた。それなのに、いまだに登記がされていないということは、兄弟間で何かしらの争いがあったのだろう。
法定相続情報を取り寄せてみると、長男と次男、そして既に他界した長女の子が相続人となる。問題はここからだった。
名義人は十五年前に死亡
登記簿には被相続人の名前が残ったままだが、その下に小さく「仮登記抹消済」の文字が見える。これが気になる。仮登記の記録が消されているのは、不自然だ。
「あの時、確か父は何かを準備してた気がするんですよ」と依頼人が呟いた。やれやれ、、、また厄介な過去を掘り起こすことになりそうだ。
兄弟の主張と食い違う記憶
後日、弟が事務所に現れた。兄とは正反対に、穏やかで礼儀正しかった。しかし、語られる記憶は兄と全く異なっていた。
「父は相続は平等にって言ってました。遺言なんて初耳です」と弟は言い切る。兄弟の主張がこうも食い違うと、まるで某有名探偵アニメのエピソードのようだ。
長男は「父の遺言がある」と言う
長男が持っていた遺言には、土地をすべて長男に相続させると書かれていた。しかし、日付も署名も中途半端で、証人の欄は空白だった。
さらに言えば、遺言が書かれたとされる日付に、父親は入院していた可能性が高い。これは無効の可能性が高い。
次男は「そんなのは聞いてない」と語る
次男は、父親が書類を残していたとは一度も聞いたことがないという。「むしろ、あれは兄貴が無理やり持ち出したものじゃないか」と疑っていた。
登記という名の地味な世界にも、ドラマは隠されている。いや、むしろ表面に出てこないからこそ、厄介なのだ。
登記簿の一行に見えた違和感
どうしても気になるのは、過去に一度だけ仮登記がされ、抹消された痕跡。過去の登記官の記録に何か残っていないか、法務局へ問い合わせることにした。
誰も気づかないようなわずかな「ズレ」が、真実の入り口になる。これが司法書士の勘というものだ。
なぜか消えていた仮登記の記録
法務局で調査すると、仮登記の原因は「遺贈を前提とした仮契約」によるものだった。ところがそれは、なぜか抹消されていた。理由は「本人意思不明確」とされている。
抹消申請をしたのは長男本人。つまり、彼は父の遺志を否定していたのだ。サトウさんがそれを見抜いていた。
サトウさんの冷静な指摘
「これ、仮登記のときと筆跡が違いますね」と、サトウさんが一言。まるで探偵マンガの助手のような鋭さだった。
長男が出した遺言は、父の筆跡を真似て書かれた可能性があった。そこから、全ての糸がほどけ始めた。
十五年前の登記官を訪ねて
昔の資料を頼りに、退職した元登記官を訪ねた。公園で将棋を打っていたその人は、最初こそ口を濁したが、昔の記録を覚えていた。
「あのときの依頼、なんか変だったんだよね」と彼は言った。まるで刑事ドラマの回想シーンのようだった。
古い事件簿に残された手書きの走り書き
手帳の片隅に、確かにあの仮登記に関するメモが残されていた。「次男の意思確認要」と書かれている。それは、登記が完全ではなかった証拠だ。
つまり、長男だけで処理を進めた結果、無効とされたのだ。遺言も、結局は無効。父の本当の意志は、誰にも伝えられなかったのかもしれない。
真実を語ったのは誰か
事件は終わった。だが、後味は決してよくない。誰も悪人ではなかった。ただ、少しだけズルくて、少しだけ寂しい人たちが、残された家を巡って争っただけ。
サトウさんは静かにパソコンを閉じた。「結局、登記って人間が出るんですね」とだけ呟いた。
やれやれ、、、またかと俺はため息をついた
依頼は無事終わった。だが、俺の机にはまた新たな封筒が届いていた。内容を見る前に、俺は椅子に深く腰掛けた。
やれやれ、、、いつになったら平穏な日が来るのやら。まあ、それが司法書士の宿命ってやつか。
一通の遺言と一通の通知書
結局、土地は法定相続人である兄弟三人で共有となった。誰か一人に偏ることのない、ある意味一番公平な解決だった。
そして、通知書には次の依頼が記されていた。今度は空き家の名義変更。また一波乱ありそうだ。
決着とその後の静けさ
帰り際、サトウさんがぽつりと呟いた。「今日はカツ丼弁当でしたね、明日はサバ味噌にしましょうか」
俺はうなずいた。何かを成し遂げたときの晩ご飯は、案外こういう何気ないものがいい。事件は終わった。だが、日常は続く。
サトウさんの意外な一言
「シンドウ先生、あの筆跡、たぶんボールペンの角度で判別できますよ」
俺は苦笑した。やっぱり、俺の事務所の探偵役はサトウさんだったらしい。次の事件も、また彼女の洞察に頼ることになるだろう。