笑っているつもりが顔が引きつっていた日
笑っていたはずが自分でも違和感に気づく瞬間
ふとした瞬間、自分の顔が笑っていないことに気づく。いや、笑っているつもりではいた。でも、鏡に映る自分の顔はどこかひきつっていて、目も口元も固い。つい最近、相続の相談で来られたお客様に「先生、今日はお疲れですか?」と聞かれたとき、笑顔のつもりで「いえいえ、大丈夫です」と返した。けれど、あのときの相手の反応――どこか申し訳なさそうに微笑んでいた――を思い出すと、自分の表情がちゃんと伝わっていなかったことがわかる。いつからだろう、自然な笑顔が出せなくなったのは。
お客様の前でふと感じた顔のこわばり
登記相談の最中、相手の話に頷きながら、自分の顔が引きつっていることに気づいた。目の奥が痛いような感覚。表情筋がうまく動かない。あれ、おかしいなと思ったが、そのまま相談は続く。終わってからトイレの鏡を見て「ああ、こりゃダメだ」と思った。笑ってるつもりの顔が、全然笑っていなかったのだ。もはや疲労が顔に出るレベルを超えている。事務所で一人きりで事務員に気を遣いながら、休みの日も連絡が入り、食事はコンビニ。そんな生活を続けていれば、そりゃ顔も固まる。
あの頃は自然に笑えていたのに
新人の頃は、笑顔なんて意識しなくても自然に出ていた。相談者の話に素直に共感して、「大変でしたね」と口にするのも、なんの力みもなかった。でも、今は違う。仕事に慣れてしまったのか、それとも余裕がなくなってしまったのか。何かにつけて「ミスできない」「ミスったら信用が落ちる」「怒られるのは全部自分」と思うようになり、表情に余裕がなくなった。そんな自分に気づいたとき、少し悲しかった。頑張っているつもりだったけど、無理してたのかもしれない。
忙しさと疲れが感情にまで及んでいた
日々の業務に追われて、感情を味わう余裕なんてなくなっていた。疲れていてもやるしかない、泣きたくても笑って返す、それが自分の仕事。そう思っていた。でも、身体は正直だった。笑顔が引きつるという現象は、心と体のギャップが限界に達しているサインだったのかもしれない。お客様に気づかれるようになって、ようやく自分でもその異変を認めざるを得なかった。
無理して笑う日々が続いた結果
「笑顔でいなければ」と思いすぎていたのだと思う。司法書士はサービス業でもあるし、相談に来る方は不安な気持ちでいっぱい。だからこそ、こちらは安心感を与える存在でなければならない。そう自分に言い聞かせて、無理にでも笑っていた。それが日常になっていた。
心がついてこないままの応対
本当は休みたい日も、頭が回っていない日もあった。でも「今日も予約が入っている」と思うと、無理にスイッチを入れるようにして笑顔を作っていた。相談者の話を聞きながら、別の案件の期限が頭をよぎることもあったし、電話が鳴ればまた気持ちを切り替える必要があった。そんな中で、自分の心がついてこなくなるのも当然だったのかもしれない。
「感じよく対応を」が逆にプレッシャーに
「感じの良い先生ですね」と言われるたびに、嬉しい反面、「このイメージを崩せない」と無意識にプレッシャーを感じていた。ちょっと機嫌が悪そうに見られたら口コミに書かれるかもしれない、紹介が途絶えるかもしれない。そんな不安が積み重なって、ますます作り笑いが板についてしまった。そして、いつの間にか「感じよく」いること自体がしんどくなっていた。
職業的な笑顔の限界とは
笑顔も仕事の一部だと割り切れるうちはよかった。でも、それが自分の内面とズレてくると、だんだん苦しくなる。「自分が壊れてしまいそう」と思う瞬間が増えてきて、あるときついに笑顔を保てなくなった。笑顔が引きつるというのは、ある意味で心が助けを求めているSOSだったのかもしれない。
笑顔の裏に隠れていた自分の本音
心から笑えていない日々が続くと、次第に「そもそも自分は何のためにこの仕事をしているんだろう?」という疑問が浮かぶようになる。たまに、「辞めてしまいたい」と思うことすらある。もちろん現実的には無理だとわかっていても、心の中ではそんな声が小さくささやいてくる。
「もう限界かも」と感じるとき
事務所の電気を一人で消した帰り道、コンビニ弁当を片手に歩きながら、「今日、俺笑ったっけ?」と思った夜がある。笑った記憶がない。人と話した記憶も、正直なところあまりない。無表情で仕事をこなし、黙って家に帰る。そんな日々が続くと、「これ、ちょっと危ないな」と思うようになる。身体の不調も出てきて、笑顔が引きつるどころか出せなくなる。
愚痴を言えない立場のつらさ
所長という立場上、誰かに弱音を吐くことが難しい。事務員に心配かけたくないし、同業者に愚痴っても「それはあなたの責任でしょ」と思われるかもしれない。だから結局、誰にも話せず、ひとりで抱え込んでしまう。SNSにでも吐き出せば少しは楽になるかもしれないが、そんな余裕もない。
引きつった笑顔が教えてくれたこと
そんな自分に変化が訪れたのは、ひとつの出来事がきっかけだった。ある日、勇気を出して事務員に「最近、ちょっとしんどいんだよね」と言ってみた。すると彼女は「わかってましたよ、顔がちょっと怖かったです」と笑いながら言った。それで少し救われた気がした。
無理に笑うより素直に話す方が楽だった
それ以来、無理して笑顔を作るより、ちょっと疲れてる日は「今日は少し調子悪くて…」と伝えるようになった。もちろん限度はあるけれど、それでも正直になることで気が楽になった。自然と、笑顔も戻ってきた気がする。人に頼ること、少し弱みを見せることも必要だと、ようやくわかってきた。
ちょっとした正直さが救いになる
相談者にも、少し自分の事情を話すことがある。「今日はちょっと寝不足でして」とか「最近、暑くてバテ気味です」といった些細なことでも、それがきっかけで会話が柔らかくなる。無理な笑顔より、等身大の自分の方が、人に伝わるのかもしれないと実感した。
それでも今日も笑顔でいる理由
笑顔が引きつる日がある。それでも、笑顔でいようとする理由がある。誰かの力になれること、相談してよかったと言ってもらえること、その一言があるだけで続けられる。完璧な笑顔じゃなくても、精一杯の気持ちが伝われば、それで十分なのかもしれない。
一人事務所でも誰かの支えになっている実感
忙しさに押しつぶされそうになるときもあるけれど、「あなたにお願いしてよかった」という言葉があると、不思議と元気が出る。自分ひとりの事務所でも、誰かにとっては大切な場所なんだと思える瞬間がある。だから今日も、できる限りの笑顔で過ごしてみようと思う。
同じように頑張っている誰かに届けばいい
もしこの文章を読んで、少しでも「わかる」と思ってくれる人がいたら、それだけで書いた意味がある。笑顔がひきつる日もあるけれど、それでも続けていくことには価値がある。誰もが無理せず、少しずつでも本当の笑顔に近づけますように。