司法書士事務所の朝は静かに始まった
蝉の鳴き声が窓越しに響く中、シンドウ司法書士事務所はいつものように静かな朝を迎えていた。
古びたエアコンが軋む音だけが、事務所の空気にリズムを与えていた。
シンドウは机の上に山積みとなった書類に視線を落とし、ひとつ深い溜息をついた。
サトウさんの無言のコーヒー
無言で差し出されたコーヒーカップ。
「ありがとう」と言おうとして、塩対応の目線に負けて声がかすれる。
彼女の一日が始まる合図は、いつもこの無言のカップからだった。
登記の訂正印に違和感
ふと見た書類の端に押された訂正印。その印影に、どこか違和感を覚えた。
訂正箇所の文言は些細なものだったが、押印された位置と日付が微妙にずれている。
書類の持ち主は、数日前に他界したはずの人物だった。
奇妙な依頼人
昼過ぎにやってきた男は、喪服姿で頭を下げてきた。
「父の相続の件でご相談がありまして」そう切り出した男の目は、どこか泳いでいた。
彼の出した遺産分割協議書には、すでに全員の印が押されていたが……それが問題だった。
遺産分割協議書に潜む違和感
「これ、全部ご本人が押したんですか?」と尋ねると、男は「はい」と頷いた。
だが、その中の一人――すでに亡くなった父の訂正印が含まれていたのだ。
亡くなった日付と訂正印の日付がどう考えても合わない。
「訂正印は私が押しました」の一言
「あ、訂正印ですか?あれは父が押したものではなくて……私が代わりに」
その一言に、サトウさんの手が止まり、明らかに空気が変わった。
シンドウは机の角で頭をぶつけそうになりながら、立ち上がった。
誰が、いつ、訂正したのか
訂正印の押印日を確認するため、事務所のコピーを探し始める。
「この前の控えがまだ残ってるはず」と、サトウさんが冷静に言い放った。
すぐに出てきたコピーには、訂正印のない原本が記録されていた。
書類に残された赤い印
その赤い訂正印は、他の誰かがあとから押したものである可能性が濃厚だった。
しかも使われた印鑑は、印影の線が微妙にぶれていた。
「これ、100均の訂正印じゃないですか」と、サトウさんがぽつり。
過去の登記簿を洗い直す
「過去の登記も、この印で申請されてるのがあるかもしれませんね」
調査のため、古い登記情報を洗い直すことになった。
一枚一枚確認する作業は地味だが、確実な証拠をつかむためには避けられない。
古い手帳と亡き兄の秘密
依頼人の持ってきた父の遺品の中に、古い手帳が見つかった。
その中に、「○月×日 訂正印借用」と書かれた一文が残されていた。
訂正印はどうやら家族の中で回し使いされていた節がある。
日付と印影が一致しない
確認した印影と、役所に届け出された印影を照合した結果、一致しなかった。
「これは、別人が使ったに違いありません」とサトウさんが言う。
つまり、相続書類は偽造の可能性があるということだった。
不動産屋の証言と矛盾
調査の中で、過去に父と取引のあった不動産屋に話を聞くと、
「亡くなる前の半年は入院していて、自宅には戻っていませんよ」と証言された。
となると、誰がその書類に印を押したのか――すべての矛盾が浮き彫りになった。
決定的証拠は机の奥にあった
依頼人の家に残されていた古い帳簿。その引き出しの奥に、使用記録があった。
「〇月〇日 印鑑使用 弟」と記されていたのだ。
すべての証拠が、依頼人自身が訂正印を不正使用したことを物語っていた。
訂正印の保管簿に記された記録
印鑑の保管簿を見ると、亡くなる数日前にはすでに返却されていたことになっていた。
つまり、死後に押された印は正規のものではない。
「これで相続の同意書は無効ですね」とサトウさんが断言した。
真実が明かされたとき
依頼人は観念したのか、静かに頷いた。
「弟が全部持っていこうとしてたんです、悔しくて」
動機は単純だが、行為は重い。登記の訂正印は、嘘を暴く道具にもなる。
相続人の中にいた犯人
結局、訂正印を使っていたのは依頼人本人だった。
まるで少年探偵団の推理漫画のような展開に、少しだけ胸がざわつく。
しかし現実は淡々と、重たい責任を突きつけてくる。
静かな午後とひとつの溜息
事件が終わり、事務所にはまた静寂が戻ってきた。
冷めかけたコーヒーをすすりながら、シンドウは椅子にもたれかかる。
「やれやれ、、、今日もまた余計な仕事を拾ったな」と、呟くしかなかった。
サトウさんの冷たいひと言
「それ、最初から気づいてればもっと早く終わったんですけどね」
鋭すぎるツッコミに、ぐうの音も出ない。
シンドウはうなだれながら、また机の書類に向き直った。
「やれやれ、、、また書類整理か」
新しい依頼の書類が届いたという知らせに、立ち上がるシンドウ。
コーヒーを飲み干しながら、遠い目をして呟く。
「やれやれ、、、また書類整理か」。日常は、また地味に続いていくのだった。