朝の郵便と一通の封筒
午前九時、事務所のポストに放り込まれていた一通の封筒を手に取る。表書きは丁寧な筆跡の内容証明、差出人は聞き覚えのある名前だった。サトウさんが先に目を通し、俺に言った。
「シンドウさん、ちょっとこれは一筋縄じゃいかないかもしれませんよ」 彼女がそう言うときは、たいてい面倒な話だ。
届いた内容証明にサトウさんが顔をしかめた
文面を読むと、かつて相続放棄をしたはずの長男が、遺産の一部に手を出しているという。妹からの通知だ。もし事実なら、それは法的にも倫理的にも問題がある。
「放棄した者が遺産を処分?ありえませんね」 サトウさんが静かに、しかし確信をもって言った。
依頼人は元不動産業者の遺族
依頼人の女性は、元不動産業者の娘だった。父親が亡くなり、相続人は兄と彼女の二人。兄は三年前、借金の問題から相続放棄を選択したと聞く。
「でも兄は、最近になって父の土地を勝手に貸し始めたんです」 妹の言葉には怒りと、わずかな諦めが混ざっていた。
遺産を放棄したはずの長男の行動
どうやら兄は、父の死亡後に放棄したにもかかわらず、固定資産税を払い続け、他人に駐車場として土地を貸していたらしい。これは、放棄ではなく単なる“口だけ放棄”か。
「名探偵コナンの犯人でも、もっと計画的にやるでしょ」 サトウさんの皮肉が冴える。
相続放棄の確認と矛盾
家庭裁判所に提出された書類を確認する。確かに放棄の申述はなされていた。しかし、気になるのは提出された印鑑証明の日付だ。 それは父の死後半年以上経っていた。
「その時点での放棄は、ちょっと怪しいですね」 俺の頭にも疑念が広がり始めていた。
提出された家庭裁判所の書類に不審な点
さらに追い打ちをかけるように、印鑑証明に添えられた住民票の写しが、なぜか数年前の住所になっている。現在の住所と一致しない。誰が、どこで、どうやって申請を?
「偽装登記の匂いがしてきましたね」 サトウさんの目が鋭く光る。
司法書士事務所の調査開始
やれやれ、、、ここからは俺の出番だ。元野球部の俺の足腰は、こんなときだけ役に立つ。市役所、法務局、家庭裁判所と三点セットで回るルートに出ることにした。
「不動産登記のほうも洗いますね」 サトウさんはパソコンの前でタイプを始めた。
古い登記簿とサザエさん的ご近所情報網
土地の登記簿には、三年前から名義は空白になっている。つまり、相続登記未了。サザエさんなら、波平さんがすぐに説教を始める事案だ。 そして町内会長の話では、兄が近所に堂々と「うちの土地」と言って貸していたらしい。
「これは立派な不実の表示ですね」 法律的にもアウトな行動だ。
サトウさんの冷静な推理
「兄は相続放棄したと言いつつ、実際は放棄届の提出が無効になってるかも。たとえば、財産に手を出した時点で“法定単純承認”になりますよね」 サトウさんは白板に矢印を引きながら説明を始めた。
俺は半分くらいしか理解できなかったが、うなずいておいた。
一枚の写しと消えた委任状
問題の決定打は、家庭裁判所にある「提出済み」の委任状がコピーだったこと。しかも、兄のサインが明らかに他と筆跡が異なる。 これ、もしかして妹が勝手に…?
「いや、それはないですね。妹さんには偽造の動機がない」 サトウさんの判断は早かった。
隠された借金と名義変更
兄は放棄することで債権者から逃れたかった。しかし現実には、土地を貸すことで現金を得ていた。それは、立派な“利益享受”だ。 つまり放棄は成立しない。
「これ、ルパン三世でも盗まない類のズルさですよ」 思わず苦笑した。
相続放棄の裏で動いていたもう一つの契約
実は兄は、土地を借りた相手と裏で簡易な借用書を交わしていた。俺の知り合いの司法書士が、その登記未済の土地を担保に貸金業者が動いた形跡を見つけたという。
やれやれ、、、これは完全に黒だ。
やれやれ司法書士の出番です
法務局に提出する登記更正の準備、家庭裁判所への放棄無効申立書、そして弁護士への引き継ぎメモ――一気に仕事が山積みだ。俺の肩はすでにバキバキである。
「シンドウさん、コーヒー淹れておきます」 サトウさんのその一言が、唯一の癒しだった。
元野球部の足で役所を回る午後
午後は各役所を回って証明書と謄本を取って回る。野球部時代に鍛えた脚力が、こんなところで役に立つとは思わなかった。 しかし、階段の上り下りはもう膝にくる年齢だ。
「こんなときだけ、タフですね」 とサトウさんに言われたが、褒められてない気がした。
長男が仕掛けた嘘と動機
兄は、父の土地に小さなビルを建てる資金のために、駐車場収入を数年貯めていたらしい。だが、それは妹には一切知らされていなかった。放棄しておいて遺産を利用? これは道義的にも法的にも通らない。
「犯人は……お兄さんです」 誰かの声が脳内で響いた。
遺産をめぐる兄妹の過去
子供のころから、兄は父に厳しく育てられ、妹は自由に育ったという。父の死後、解放感からか兄は“自分のために父の土地を使いたかった”のかもしれない。
だが、法は感情より冷静だった。
サトウさんの一言で真相に迫る
「すべての資料を揃えて、私が報告書をまとめます」 サトウさんは、まるでキャッツアイのように静かに、そして正確に動く。俺はただ、最後の登記申請書を確認するだけ。
「やっぱり、あなたは頼りになりますね」 そう言ったが、返事はなかった。 彼女は既に次の案件を見ていた。
嘘は登記簿を隠せない
どれだけ巧妙に立ち回っても、不動産の登記簿には正直が求められる。結局、兄は放棄を主張しつつ、遺産に手を出したことで全てを失うことになるだろう。
俺はため息をついた。「やれやれ、、、司法書士って職業は、ほんと割に合わないな」
結末と依頼人の決断
妹は、兄を法的に責任追及する道を選んだ。俺たちは淡々と必要な書類を揃え、しかるべき専門家へとバトンを渡すことにした。 事件は一件落着、というには後味が少し苦い。
「サザエさんの世界なら、波平さんがビシッと叱って終わりなんですけどね」 サトウさんがボソッと言って、俺たちは事務所の窓を開けた。夏の風が入ってきた。