逃げたくなる業務ほど毎日やってくる
司法書士の仕事は多岐にわたるが、全部が全部「やりがいがある」わけではない。むしろ、「この業務だけは本当に好きになれない…」というものほど、なぜか毎日のように目の前に現れる。僕の場合、それがまさに相続関係の書類整理だ。戸籍の取り寄せ、読み解き、計算、申述書の作成…。もちろん必要な業務だとわかっているし、依頼人には重要なことだと頭では理解している。だが、どうしても好きになれないのだ。
書類を作っても感謝されない虚しさ
登記が完了すればお客さんから「ありがとう」のひと言をもらえることもある。でも、相続の資料を黙々と作っていると、そんな感謝の瞬間すらないことが多い。たとえば、戸籍のミスを防ぐために何度も役所に確認し、資料の抜け漏れがないよう神経をすり減らしているのに、それが当たり前だと思われている。「よくやってくれたね」と言われるどころか、「これだけ時間かかるんですか?」と嫌味を言われた日には、正直やる気を失う。裏方仕事の悲しさを毎回味わう。
業務の成果が見えづらいからこそのモヤモヤ
登記完了通知のように「ゴール」が明確な業務とは違い、相続整理や準備作業は、どれだけ頑張っても外から見えにくい。誰にも見えない努力が積み重なるだけで、成果物はせいぜい申述書1枚。しかもその価値を説明しても、納得してもらえるとは限らない。達成感が薄いまま次の案件が来て、結局また同じループが始まる。だから「この仕事が好き」とはどうしても思えない。
誰のためにやってるんだろうと思う瞬間
夜遅くまで机に向かって戸籍の山とにらめっこしていると、「自分、これ誰のためにやってるんだろう」とふと思う。もちろん依頼人のためだし、仕事として報酬ももらう。だが、感謝もなく、評価もなく、自己満足すら得られないとなると、モチベーションはどうしても下がる。真面目にやるほど空しくなる、そんな業務が司法書士の世界にも確かに存在する。
苦手な業務と得意な業務のギャップに疲れる
例えば不動産登記なんかは、依頼内容も明確だし、進捗もわかりやすくて好きな部類に入る。だけど、こと相続や遺言、後見関係になると、急に「自分はこの仕事に向いてないな」と感じることが多くなる。特に人間関係が絡む案件では、自分の感情も乱されるからなおさらだ。不得意な仕事をこなすだけで体力も気力も削られていく感覚がある。
登記と違って頭を切り替えられない仕事
登記案件なら、書類さえ揃えば流れ作業のように進められる。だけど、相続関係や成年後見は違う。感情が渦巻いている現場で、書類の前に人と向き合わないといけない。戸籍以上に人間関係の複雑さが絡んできて、終わりが見えにくい。登記業務で頭を切り替えたいと思っても、切り替えられない。だから苦手な業務を抱えていると、一日中それに引っ張られる。
向いてないとわかってるのに避けられない現実
「これ、俺には向いてないな」と思っても、断れないのが現実だ。地方の事務所では特にそう。来た案件は基本的にすべて受けざるを得ない。苦手な業務も誰かに回せるほどのスタッフがいるわけじゃない。逃げ道がないから、嫌でも目の前の業務と向き合うしかない。向いてなくても、やるしかない。それがつらさの正体かもしれない。
苦手な業務を押しつけ合えない職場事情
うちは僕と事務員1人の小さな事務所だ。だから分業なんて贅沢は言ってられない。嫌な業務が来ても、「これお願い」と事務員に回すわけにはいかないし、かといって彼女も得意不得意はある。だから僕が我慢してやるしかない。そしてその我慢は、知らないうちに少しずつストレスとなって蓄積していく。
事務員はいても結局ほぼワンオペ状態
事務員がいるとはいえ、実務の責任を取るのは僕一人。法的なチェックも、最終判断も、結局は自分の肩に乗っかっている。事務員はとてもよくやってくれているけれど、それでも任せきれない業務は多い。ワンオペ状態で全部対応するのは、正直きつい。苦手な業務が重なると、「もう今日は帰りたい」と思うことが本当に増えた。
分担できるようでできないこの規模感
「分担すればいいじゃない」と言われることもあるけど、うちのような小さな事務所ではそれが難しい。業務の多くが専門知識を必要とするし、責任も伴う。外注するにもコストがかかるし、結局は自分でやった方が早いという結論に至ってしまう。この中途半端な規模感が、一番しんどいのかもしれない。
結局「自分がやるしかない」の思考回路にハマる
苦手な仕事も、忙しい仕事も、時間がかかる仕事も、結局「自分がやるしかない」と思ってしまう。誰も助けてくれないわけじゃないけど、頼るのも気を遣ってしまう。自分がやれば早いし、確実。でもそれが自分をどんどん追い詰めている。誰かに任せる勇気を持たないと、結局苦手な業務からも、自分自身からも逃げられない気がしている。
嫌な仕事にこそ潜んでる気づきもある
正直、好きになれない仕事ばかりだとやる気は削がれる。けれど、そういう業務にこそ、自分に必要な何かが隠れているような気もする。たとえば、どうやったら無駄なストレスを減らせるかとか、どこで手を抜くべきかとか。苦手な仕事と向き合うなかで、自分自身のクセや限界が見えてくるのだ。
苦手な業務で「自分の限界」が見える
得意な仕事だけしていると、自分の限界はなかなか見えない。だけど、好きになれない仕事に取り組むと、明らかに集中力が続かないとか、思考が停止するとか、普段気づかない弱点が浮き彫りになる。たまにはそれも悪くない。自分の弱さを受け入れて、それをカバーする工夫を考えるきっかけになるからだ。
好きになれないけど放っておけない性分
文句を言いながらも、ちゃんと仕事はこなしてしまう。それは、たぶん性格なんだと思う。ほっとけないし、途中で投げ出せない。昔からそうだった。野球部時代も、嫌な練習をサボれずにいたタイプだったから。結局、好きじゃなくてもやるしかないし、やるならきちんとやりたい。そんな不器用さが、今も残っている。
仕事と割り切っても割り切れない部分
「仕事だから仕方ない」と思っていても、心のどこかで「これは本当にやりたいことなのか?」と問い続けてしまう。割り切れないのは、きっとこの仕事にどこかで誇りを持っているからなんだと思う。好きになれなくても、手は抜きたくない。それが苦しさにもつながるけれど、同時に自分を保つ支えにもなっている。
モヤモヤとうまく付き合っていくしかない
嫌いな業務がなくなる日は来ないだろう。だからこそ、そのモヤモヤとうまく付き合う術を見つけるしかない。僕はそれを「どうにかなるか」とつぶやくことで誤魔化しているけれど、人によっては音楽だったり、散歩だったり、仲間との愚痴だったりするかもしれない。逃げずに、でも抱え込まずに。
「どうせ誰もわかってくれない」の壁を越えて
苦手な仕事の話をしても、共感してくれる人は少ない。とくに外からは「司法書士ってカッコよさそう」と思われがちで、裏方の苦しさは伝わらない。でも、同じように頑張っている誰かがこの記事を読んで、「あ、自分だけじゃないんだ」と思ってくれたら、それだけで少し救われる気がする。
愚痴を言える場があるだけで救われる
僕はこうやって、愚痴を書けるだけでも少し楽になる。実際、酒場で愚痴をこぼすように文章にしてみると、「意外とたいしたことなかったかも」と思えるときもある。誰かに聞いてもらう、理解してもらう。それだけで苦手な業務も少しは軽くなる気がしている。
一人でもやれるけど一人じゃ乗り越えられない
仕事は一人でもやれる。でも、気持ちまでは一人じゃ支えきれない。僕がそうだったように、頑張っている人ほど「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせてしまう。でも、弱音を吐いたっていいし、苦手なものは苦手だと認めたっていい。そうやって、少しずつ前に進んでいけたらいい。