不動産の名義変更に現れた依頼人
「この家の名義を、私に変更したいんです」
目の前の中年男性は、少し緊張した面持ちで言った。手には数枚の古い戸籍謄本と、登記識別情報通知書が握られていた。
地方の田舎町にしては珍しく、案件の背景が見えづらい。違和感を覚えた私は、すぐに詳細を確認することにした。
古びた家屋と妙な沈黙
対象物件は、町はずれの山沿いにぽつんと立つ古民家だった。表札は朽ちて読めず、近所の住人にも住人の話を聞くことはできなかった。
「近所づきあいなんて、とっくに無いですよ」と苦笑する依頼人の態度にも、どこか作り物めいた印象が拭えなかった。
こういうときに限って、サトウさんは目を光らせている。
依頼内容に漂う違和感
提出された戸籍に目を通していくうちに、私はある事実に気づいた。被相続人の死亡日が、まるで計算されたかのように不自然だった。
書類の体裁は整っているが、違和感はぬぐえない。昭和の怪盗ものなら、ここで「何かが消えた」というセリフが決め手になりそうだ。
司法書士としての勘が、どこかのピースが欠けていると告げていた。
相続登記の書類に潜む歪み
戸籍の記載を見る限り、相続人は依頼人一人で間違いないように思える。しかし、戸籍の流れにはなぜか妙な間があった。
まるで、誰かの存在を意図的に切り離したような——それは、誰かを消そうとした者の意思のようだった。
「サザエさんの世界なら、波平さんが一言で見抜くところだな」と、無駄に想像してしまう。
戸籍の連なりにぽっかりと空いた空白
改製原戸籍と現在の戸籍の間に、転籍が繰り返されている跡がある。これは、何かを隠すための工作かもしれない。
事務所でその旨を話すと、サトウさんは「除籍謄本、こっちの自治体にも取ってみましょうか」と言った。
私が考えるより数手先を読む、サトウさんの鋭さには毎度のことながら感服する。
登記簿謄本から消えた名前
法務局で登記簿を確認すると、かつての所有者として記載されていた別の人物の記録が、ある時期を境にごっそりと削除されていた。
名義変更の理由は「相続による単独所有」とあるが、その肝心の相続登記が、どうにも不自然な構成になっている。
司法書士として、これは見逃せない。
サトウさんの冷静な指摘
「この除票、消された人物が生きてる可能性ありますよ」
淡々とサトウさんが言った。提出された死亡届に添付された除票には、死亡の記載がなく「転出」と書かれていた。
「生きてる人を死んだことにして登記を進めたんですかね。……犯罪ですよ」とサトウさんは続ける。背筋が凍った。
一通の除票が告げた事実
さらに調査を進めると、除票の出された転出先が判明した。そこには、確かに“被相続人”の名前が現存していた。
つまり、この相続登記は虚偽の事実に基づくものだったのだ。
やれやれ、、、まさかこんな地方の登記案件で、こんなトリックを見せられるとは。
不審な死亡届の届出人
死亡届の届出人欄には、依頼人の名が記されていた。しかし、役所の記録では本人確認がされていないまま受理されていた。
昔なら怪盗ルパンの変装で通ったかもしれないが、現代でこれはただの犯罪行為だ。
私はその足で役所に連絡を入れ、誤記の可能性と、届出人本人の意図を確認するよう依頼した。
役所を巡る地道な聞き込み
役所の窓口職員は、「確かにその方が来ましたが、本人確認書類は持っていませんでした」と言う。
死亡確認をせずに届出を受け付けたこと自体、問題だったが、今はそれよりも事実の究明が優先されるべきだった。
私とサトウさんは、その足で転出先の町へ向かった。
元隣人の証言に揺らぐ相続の正当性
転出先のアパートで、かつての隣人に話を聞いた。「ああ、あのおじいさん、今も元気に畑やってるよ」
その証言で、すべてが確信に変わった。登記手続きは完全に無効だった。
司法書士としての正義感が、ここでようやく役立った気がした。
生きているはずの被相続人
その“被相続人”は健在だった。少し耳は遠くなっていたが、話すとしっかりと自己紹介してくれた。
「わしが死んだことになっとるのか? そりゃ、おったまげたな」
いや、それはこちらのセリフだ。こんな茶番を仕掛けてくるとは思わなかった。
真実に辿り着くための一手
私は事務所に戻り、依頼人に事情を説明した。彼は観念したようにうつむいた。「兄は長生きしすぎたんです」
確かに、不動産をめぐる思いと時間は時に人を狂わせる。でも、それを利用してはいけない。
虚偽登記は犯罪。私は通報と訂正登記の準備を同時に進めた。
古い住宅地図が導いた鍵
ちなみに、サトウさんが参考にしたのは、図書館で見つけた古い住宅地図だった。
その地図には、対象不動産に「S氏方」と書かれていた。今の登記名義人とはまったく別の名字。
その気づきが、真実を明らかにする鍵になったのだ。
本人確認の電話と意外な声
私が被相続人に電話で直接確認を取ったとき、向こうの声は明瞭で、落ち着いていた。
「まだ死ぬ予定はないよ。少なくとも登記ではね」
冗談交じりにそう語る声に、思わず苦笑いを返してしまった。
隠されたもう一つの登記申請
驚くことに、登記官から連絡が入り、「同一人物名義で、以前にも登記申請が却下された記録がありました」と言う。
つまり、今回が初めてではなかった。手法を変えて、何度も名義を手に入れようとしていた。
司法書士の目がなければ、これも通っていたかもしれない。
登記官とのやりとりで見えた背景
登記官もまた、「これは悪質な例だ」と言っていた。死亡届の偽造と虚偽の申請。
私は、正直言って疲弊していた。だが、サトウさんは「こういうときのために私たちがいるんですよ」ときっぱり。
やれやれ、、、最後に格好をつけるのは、やっぱり彼女だ。
職権抹消と名義回復の手続き
誤って登記された名義は、登記官の職権で抹消されることになった。
私たちは、被相続人の真実の名義に戻すための正規の手続きを整えた。
「ちゃんとやってくれて、ありがとう」と当人が言ってくれた時、ようやく肩の荷が下りた。
やれやれと言いながら向き合う現実
その日の帰り道、夕日が事務所のブラインド越しに差し込んでいた。
私は机に突っ伏して、「やれやれ、、、」と小さくつぶやいた。
サザエさんのような平和な日常は、もう少し先かもしれない。
サザエさん的日常には戻れない午後
テレビの中ではオチのある毎日が繰り返されている。でも、現実はそんなに都合よくいかない。
サトウさんが「コーヒー、飲みますか?」と聞いてきた。私は「甘めで」と答えた。
その一杯が、やけにしみた。
それでも司法書士は書類を綴じる
事件は終わったが、仕事は終わらない。私は登記記録を綴じ、次の申請書類を用意した。
サトウさんのキーボード音が、リズムを刻んでいる。
司法書士の毎日は、こうして続いていく。