書類に残った名前が心をざわつかせる
事務所に舞い込んだ一枚の書類
午後三時、ちょうどコーヒーが冷めきった頃だった。FAXの音が鳴り、いつも通り登記関連の依頼かと覗き込んだ私は、思わず目を細めた。登記申請書、住所変更、名義人……そしてその名前を見た瞬間、指先がわずかに震えた。
見慣れたフォーマットに異物のような違和感
名前の書かれた欄に、確かに「片瀬真希」とあった。十七年前、大学時代に付き合っていた彼女の名前だ。全国に同姓同名などいくらでもいる。そう思い込もうとしたが、申請者の旧住所が決定打だった。あのワンルーム、同棲していた部屋の住所。
懐かしすぎる名前が目に飛び込む
「あー、なんだか、胸が苦しいわね」とサトウさんが言った。モニター越しに映った表情はどこか楽しんでいるようでもある。「センチメンタルな風邪、引いちゃいました?」そう茶化されて、私はわざとらしく咳払いをした。
記憶と登記簿が重なる瞬間
彼女は昔、言っていた。「いつか小さなカフェを開きたいな」って。あの住所にあるのはどうやら店舗兼住宅らしい。登記簿は語らないが、私は勝手に物語を想像していた。
十七年前の恋と住所変更の謎
恋愛は登記されない。だが、確かにそこに“記録”は残るらしい。
元恋人の名義変更?偶然の一致?
「この依頼、あえて俺が処理すべきなのか?」とつぶやくと、「逆に処理しないで何をするんですか。恋は失効してても義務は有効です」とサトウさんは即答した。さすがである。やれやれ、、、こちらの感情などお構いなしで合理的だ。
登記内容に残された不可解な一文
添付された委任状の右下に、別人の名前が書かれていた。代理人、伊丹優作。どこかで見覚えがあるような……ああ、そうだ、大学時代に彼女が「バイト先に優しい先輩がいる」と言っていた名前だった気がする。
法務局ではなく心がざわついた
この瞬間、自分がサザエさんで言うところの「ノリスケおじさんポジション」だと自覚した。蚊帳の外の人間が、蚊の鳴くような声で人生のページをめくる。無力で、だがやけに落ち着いている。そんな気分だった。
サトウさんの冷静すぎる推理
「まあ、そりゃ昔の女の名前出てくりゃ誰だって動揺しますけどね、先生。で、これ、明日までに処理っすよ」——サトウさんはもはや、コナンくんのごとき冷徹な真実を突きつけてくる。
「これはただの手続きです」その一言が突き刺さる
そうだ。ただの手続き。ただの変更申請。ただの……ただの過去、なのだ。
想い出補正と現実のズレ
あの頃の彼女は、こんなにも冷静に書類をまとめる人だっただろうか。いや、きっと違う。私の記憶が甘く包み込んでいるだけなのだ。
恋と登記は別物だと知った日
法的には完璧なこの書類に、感情の余白はない。だが、その余白を読み取ってしまうのが、年を重ねた司法書士の悪い癖だ。
記憶の片隅に残った違和感の正体
自分が誰かの物語の端役になった気分。サブキャラのくせに、モノローグだけは長い。まるで探偵漫画の脇役のような、、、いや、私は「シンドウ探偵事務所」じゃなくて、ただの司法書士だ。
当時の不動産契約と共有人物
気になって過去のデータを調べた。すると、大学時代のあの部屋、私と彼女の共同名義だった時期があったことを思い出す。やれやれ、、、自分の過去のミスまで掘り起こすことになるとは。
そして浮かび上がる新たな関係者
伊丹優作。その名義で店舗の登記がされている。そういうことだろう。彼女の夢は、叶ったのかもしれない。少なくとも、私以外の誰かと。
まさかの遺言執行が絡む展開へ
だが、最後にひとつだけ妙な点があった。書類の端に、遺言執行人として別名が載っていたのだ——「片瀬真希(故)」と。夢は叶ったが、彼女はもう、この世にはいなかった。
私はゆっくりと椅子にもたれ、天井を見上げた。「やれやれ、、、」と小さくつぶやいたあと、黙って書類を綴じた。記憶にも登記にも、きちんと整理が必要だ。