異性と会話しても敬語が抜けない

異性と会話しても敬語が抜けない

なぜかいつも敬語になる――それが僕のデフォルト

若いころから、なぜか異性と話すときには自然と敬語になってしまう。それがクセというより、もはや僕の基本設定のようなものだ。相手に気を遣いすぎてしまうのか、それとも嫌われるのが怖いのか。少なくとも、「ため口で軽快に会話する」なんて芸当は僕には縁がない。そもそも、誰かと気軽に雑談を交わす経験自体が少なかった。今では司法書士としての職業柄、常に敬語を使う環境にいるため、余計に抜けなくなってしまった気もする。自分でも情けないとは思うが、これが現実なのだ。

学生時代から染みついた「丁寧さ」という呪い

中学、高校、大学と、僕はいわゆる「真面目系男子」だった。無遅刻無欠席、先生に対しても友人に対しても、なるべく礼儀正しく接することが自分のモットーだった。異性に対しても同じで、敬語で話すのが礼儀だと疑わなかった。友達に「もっと砕けて話せばいいのに」と言われても、「そんなことして嫌われたらどうするんだ」と心のブレーキがかかってしまう。結局、そのまま社会人になり、敬語癖はさらに強化されてしまった。気が付けば、カフェで隣に座る女性にも「お先にどうぞ」と言ってしまうほどだ。

恋愛経験の少なさが作った壁

正直に言えば、これまでの人生で恋愛経験はほとんどない。告白をしたことも数えるほどで、付き合った期間も短い。付き合っている間ですら、敬語が抜けずに「今日はお越しいただきありがとうございます」なんて冗談まじりに言ってしまって、相手に引かれたこともある。今思えば、もっと自然体でいればよかったのだろうが、当時の僕にはそれができなかった。親密な関係になるほど、言葉の距離を詰めることに不安を感じてしまう。恋愛を通して築くべき「親しさの表現」が、僕には未だに欠けている気がする。

告白さえ敬語だった黒歴史

忘れられない思い出がある。大学3年の冬、勇気を振り絞って好きだった同級生に告白したときのことだ。「もしよろしければ、僕とお付き合いしていただけませんか?」と、つい敬語が出てしまった。相手は一瞬きょとんとしたあと、「あ、ごめんなさい」と静かに断ってくれた。別に敬語だったから断られたわけではないと頭ではわかっている。でもあのとき、もっとフランクに「好きだから付き合ってほしい」って言えてたら、結果は違ったかもしれないと思うこともある。あの頃から、僕の敬語スイッチは壊れたままだ。

「失礼があってはいけない」が先に立つ

そもそも、僕の根っこには「相手に不快な思いをさせたくない」という強い意識がある。だからこそ、会話でも言葉遣いには細心の注意を払う。それが過剰になると、どんな場面でも敬語になってしまうのだ。相手が年下であっても、つい「○○さんはどう思われますか?」なんて聞いてしまう。もちろん相手は「そんなにかしこまらなくても…」と苦笑い。これが続くと、相手との間に見えない壁ができてしまうのを感じる。わかっていても、どうにもならない。癖というのは本当に厄介だ。

仕事モードが私生活を侵食する瞬間

司法書士という仕事をしていると、常に丁寧な言葉遣いが求められる。お客様とのやりとりでは、言葉ひとつで信頼を損なうこともある。だからこそ、慎重に、丁寧に、正確に話す癖がつく。それがそのまま私生活にも染み出してしまっているのだ。たとえば、友人の紹介で食事に行った女性と会話していても、「本日は貴重なお時間をいただきまして…」なんて言ってしまう。相手は明らかに引いていた。頭では「普通に話せ」と思っても、体が勝手に敬語を選んでしまう。情けない話だけど、これが現実なのだ。

司法書士という職業が拍車をかける「かしこまり体質」

僕の敬語体質には、司法書士という仕事の影響も大きい。日々の業務では、お客様、金融機関、役所の担当者など、あらゆる人と丁寧なやりとりを求められる。自然と「失礼のない言葉」が口癖になり、言葉を崩すことに抵抗すら感じるようになってしまった。おそらく、無意識のうちに「ラフな会話=仕事に悪影響」と思っているのだろう。それは仕事に対する誠実さの表れかもしれないが、私生活ではただの不器用な中年男だ。職業が人格を形作ることもあるのだと、日々実感している。

お客様対応=敬語スイッチの常時オン状態

毎日、朝から晩までお客様対応に追われる。電話、窓口、書類説明…すべてにおいて、言葉選びには神経を使う。「こちらのご案内でお間違いないでしょうか」「ご不明点があれば何なりと」など、言葉に丁寧さが滲み出る。それを10年も続けていれば、そりゃ敬語も体に染み込むわけだ。だから、プライベートの場面でも急には切り替えられない。まるでスーツを着たまま布団に入るような、そんな窮屈さを感じる。もっと気楽に、くだけた会話を楽しめたら…とは思うのだが、それができない自分がもどかしい。

プライベートでも「先生扱い」される弊害

地方の小さな町では、司法書士という肩書きはそれなりに目立つらしい。何かと「先生、先生」と呼ばれてしまう。たとえば知人に誘われて参加した食事会でも、「先生って普段どんなお仕事なんですか?」と敬語で話しかけられる。そんな調子だから、こっちも自然と敬語で返してしまう。気が付けば、その場に馴染めないまま終わることも少なくない。せっかくの出会いの場も、「先生」としてしか見られず、自分自身として関係を築くのが難しいのだ。こうして、僕の孤独はまた一段深くなる。

飲み会でも崩せない言葉遣いの違和感

たまに誘われる異業種交流会や飲み会。そういう場では皆、気軽に話し、笑い、くだけた言葉を交わしている。でも僕はといえば、つい「お仕事はどのような分野で…?」などと堅苦しい聞き方をしてしまう。そうなると、相手も構えてしまって、なかなか会話が弾まない。何度も「もっとラフにして大丈夫ですよ」と言われたことがあるが、そう簡単に変えられるなら苦労はしない。いつも心のどこかに「間違ったことを言ったらどうしよう」という不安がある。だから言葉が、敬語に逃げ込んでしまうのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。