このまま一人で老後を迎えるのかなと不安になる

このまま一人で老後を迎えるのかなと不安になる

静まり返る夜にふとよぎる将来のこと

日中は登記の書類とにらめっこ、夕方にはお客様への電話や市役所とのやり取り。目の前の仕事に追われていれば、「不安」なんて言葉を思い出す暇もない。けれど、一日の終わり、事務所の電気を落として玄関を閉め、家に帰る道すがら。誰もいない自宅の鍵を回す瞬間に、ふと頭をよぎる。「このまま、誰とも暮らさず、老後を迎えるのかな」と。テレビの音すら虚しく響く夜は、そんな思考に引きずり込まれる。

仕事帰りのコンビニ、独り言が増える理由

「あ、牛乳買っとこう」なんて、小さな声で独り言をつぶやきながら店内を歩く自分にふと気づいて、笑えてくる。誰にも話す相手がいないから、自然と自分に話しかけてるんだろう。レジで若い店員さんに「ポイントカードありますか?」と聞かれて、ちょっとした会話が嬉しくなる自分が、少し情けない。でも、こんな小さな接点すら、今の自分には貴重なコミュニケーションだ。

レジ袋越しの孤独感

持ち帰ったレジ袋の中には、いつもと同じお惣菜とビール。食卓に並べてテレビをつけて、何となくスマホをいじる。それでも寂しさは消えない。料理の香りがしない家、洗い物も最小限。片付けもあっという間。誰かと食卓を囲むことのありがたさに、40代を過ぎてから気づいた。でも、それを口に出す相手もいない。

「あ、箸いりません」の後の沈黙

「あ、箸いりません」——レジでそう言った後、店員さんの無表情な返答。「かしこまりました」。それで会話は終わる。買い物は済んだはずなのに、心の奥にはぽっかりと穴が開いたまま。帰り道に、またつぶやいてしまう。「今日も会話、これだけか」。たったひと言のやりとりで、自分の孤独を再確認する瞬間だ。

結婚しなかった選択と、しなかったわけではない現実

よく「独身を貫いたんですね」と言われるが、そんなカッコいいものじゃない。ただ、タイミングを逃し、気づけばこの年齢になっていた。結婚願望がなかったわけじゃない。けれど、忙しさを理由に、恋愛を後回しにしてきたのが本音だ。

気がつけば、仕事に逃げていた

20代の頃、友人の結婚式に呼ばれるたびに、自分の将来について考えた。でも、事務所を立ち上げたばかりで時間も余裕もなかった。あの時「今は仕事が大事」と言い訳していたけれど、結局は誰かと真剣に向き合うのが怖かっただけかもしれない。仕事に逃げて、感情に蓋をしてきたのだ。

土日も事務所で過ごす日々

誰かと過ごす休日を想像したこともある。でも現実は、書類の山と格闘する日々。土曜も日曜も変わらず、事務所の椅子に座ってパソコンを叩いている。電話が鳴らない休日はかえって落ち着かず、「やるべきことがある」と自分に言い聞かせて、心の空白を埋めていた。

婚活はした、でも上手くいかなかった

一度だけ真剣に婚活サイトに登録したことがある。プロフィールを何度も見直して、写真も撮り直して。何人かと会ってみたけれど、どこかうまく話が合わない。仕事のことを話すと「難しそう」と言われ、休みが合わずに疎遠になった。気づけば、またひとりで過ごす時間に戻っていた。

「一人で生きる力」は、意外と脆い

「一人で生きていける」と思っていた。料理も洗濯も掃除も、それなりにこなしていた。でも、ちょっとした風邪をひいただけで、その自信は音を立てて崩れていった。熱が出ても、誰も気づかない。ポカリを買うのさえ、しんどいのだ。

風邪をひいたときの絶望感

38度を超える熱。寝ていても頭がボーッとして、意識も朦朧とする。こんな時、「誰か、ちょっとでいいから来てくれたら」と思った。でも頼れる相手もいない。実家の母に電話するのもためらわれる。結局、自分で冷えピタを貼って、コンビニに行くしかない。涙が出そうになった。

買い物もままならない現実

体調が悪いと、すべてのことがハードルになる。食べ物も、水も、自分で用意しなければ誰も代わってくれない。Uberを使う気力もなければ、スマホ操作すら億劫になる。こういう時、夫婦って支え合うってことなんだなと、ひとりで納得して、またベッドに潜り込むしかない。

事務員さんとの距離感と寂しさの境界線

唯一、毎日顔を合わせるのは事務員の女性。彼女は真面目で礼儀正しい。でも、それ以上でも以下でもない関係。話しかけたら迷惑かもしれない。そんな気持ちが先に立って、距離が縮まらない。

人付き合いの苦手さが滲み出る

学生時代から、深い関係を築くのが苦手だった。表面上はうまくやれるが、どこか踏み込むのが怖い。事務員さんにも、雑談以上のことは話せない。仕事の話をして「お疲れさまでした」で一日が終わる。それ以上のことを求めるのは、わがままなのかもしれない。

話しかけたいのに、言葉が出ない

朝、「おはようございます」と言われても、「あ、はい」としか返せない。もっと気の利いた会話ができればと思うけど、言葉が出てこない。仕事以外の話になると、頭が真っ白になるのだ。結局、その沈黙が距離をつくってしまっている。

老後資金はある。でも不安は消えない

コツコツと積み立てた年金、保険もいくつか入っている。老後に困らないだけの貯えはある。それでも、「安心ですか?」と聞かれたら、首を縦には振れない。お金では埋まらないものが、たしかに存在している。

お金では埋まらないものがある

いくら通帳に数字があっても、ひとりで病院に通い、ひとりで老いを迎えることの心細さは残る。誰かに「今日あったこと」を話すだけで心が軽くなることもある。けれど、それすら叶わない未来が、どこかで待っているのかもしれない。

「寂しさ」に耐性はないまま

若い頃は「寂しいなんて甘えだ」と思っていた。でも今ならわかる。寂しさに強い人なんて、いない。むしろ、誰かと過ごす時間の大切さを知っている人ほど、その感情に敏感になるのだ。強がってはみるけれど、本当は誰かに寄りかかりたい気持ちを抱えている。

誰にも看取られない未来への覚悟

人生の最期をどう迎えるか、考える年齢になってきた。延命治療を望むか、誰に何を残したいか。でも、それを記しておく相手すらいない現実。エンディングノートを開いては、また閉じる日々だ。

エンディングノートを書く勇気が出ない

数年前に買ったエンディングノート。机の引き出しに入れたまま、一度も開いていない。書き始めたら「終わり」を認めるようで怖い。でも、何も書かないままだと、最期に迷惑をかけるのは誰なのだろう。せめて、準備だけはしておこうと思いながら、今日もページは白紙のままだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。