「ネットで見たんですが」——その言葉にひそむ違和感
電話の冒頭や相談の入り口で、「ネットで見たんですが」と切り出されると、私は少しだけ身構えてしまいます。情報を自分で調べてくれるのはありがたいことです。ただ、その“ネット情報”が私たちの実務と微妙にズレていたり、極端に簡略化されたりしていることが少なくありません。そして、ズレた理解を前提に話が進むと、そこから丁寧にほどいて説明する時間と労力が必要になります。たとえるなら、違う設計図を持ってきた大工さんと一緒に家を建てるような感覚。うまく説明しないと、こっちが間違ってるように見えてしまうのがつらいところです。
言葉の裏にある“確信”が怖い
「ネットで見たんですが…こうなんですよね?」という口調には、単なる質問以上の“答えありき”の雰囲気を感じることがあります。つまり、すでにご自身の中で「こうである」という確信を持って来られるケースです。これは、こちらが別の説明をしても「でもネットにはそう書いてありました」と言われる展開になりがちです。私も過去に、登記の必要書類についてネットで見た情報を信じている方に、法務局の最新の運用を説明しても受け入れてもらえず、結局1時間以上も押し問答した経験があります。ネットの“情報”が“確信”になった瞬間、それはもう事実以上の力を持ってしまうんですよね。
正しい知識が逆に武器になるとき
厄介なのは、そのネットの情報が“まったくの嘘”ではないケースです。たとえば「〇〇の手続きは簡単にできます」というような記事。確かに状況によっては簡単かもしれません。でも、細かな例外や地元の法務局の運用、本人確認の事情など、現場の実務では“簡単”では済まない場合も多いのです。そういった話をしようとしても、「ネットにはこう書いてありました」と返されると、なんだか私が難しくしてるだけみたいになってしまう。結果、こちらが悪者のような空気になる。正しい知識が“盾”ではなく“剣”になってしまう瞬間って、ほんとにつらいです。
半分だけ合ってる情報の厄介さ
半分正しい情報、というのが一番ややこしい。以前、「法定相続情報一覧図は一回取ればずっと使える」とネットで見たというお客様がいました。確かに、手続きによっては使い回せます。でも、金融機関によってはコピー不可だったり、原本提出が必要だったりすることもある。つまり「ケースバイケース」なのですが、それを伝えると「でも他のサイトにはこう書いてた」と話が戻る。ネットの情報って、こういう“部分正解”が多いんですよね。だから説明にも時間がかかるし、誤解をほどくのが大変なんです。
情報の出所がわからない不安
「ネットで見た」という言葉の中には、「誰が書いたか」は含まれていないことが多いです。それが匿名の個人のブログなのか、士業の監修が入った専門サイトなのか、果てはのようなAIによる生成なのか、ほとんどの方が気にしていない印象です。だからこそ、こちらとしては「その情報、どこで見ました?」と探るところから始まるのですが、それを聞くと相手が不機嫌になることも。いや、責めたいわけじゃないんですが…。見えない誰かと戦っているような感覚に、妙な疲れを感じます。
誰が書いたか不明な記事の影響力
たとえば以前、「〇〇の手続きに収入印紙はいらないって書いてましたよ」と主張されたお客様がいたんですが、後で確認するとその記事は6年前の個人ブログでした。法改正の影響も受けていて、現在とはルールが違う。けれども、ネットではそれが未だに検索上位に表示されている。しかも、見た目が綺麗だから信じやすい。こうなると、こちらが最新情報を出しても信じてもらえないことすらあるんです。ネット情報の“見た目”って、ほんと侮れません。
見えない相手との代理交渉
私たち司法書士がやっているのは目の前の依頼者とのやりとりですが、そこに“ネットで見た誰か”が割り込んでくると、見えない相手と代理で議論しているような気持ちになります。たとえるなら、合コンに来てない元カレと比較されてるような居心地の悪さ。もちろん依頼者に悪気はない。でも「ネットのほうが信用できる」みたいな態度を感じてしまうと、心の中では「じゃあその人に頼めばいいのに…」と毒づきたくなってしまいます。
ネットの知識VS.現場の現実
ネット情報は便利で有益なものも多いです。でも、あくまで「知識」であって「実務」ではないことが多い。私たちは現場で、書類が一枚足りなかっただけで登記が跳ね返されたり、印鑑のかすれ具合で怒られたり、ということを日常的に経験しています。こういった“現実”がネットでは伝わりにくい。だからこそ、私たちはプロとして説明しなければならないのですが、それが理解されづらいもどかしさを、毎日のように感じています。
理想と現実のギャップがもたらす混乱
ネットの記事って、基本的に「不安を解消するため」に書かれていますよね。だから「簡単」「すぐできる」「安心」などの言葉が踊ります。でも、実際の現場はもっと泥臭くて、人によって事情も違う。だから一律の解決策なんて存在しないのに、ネットの情報を信じた人からすると、「なんでこの先生、話が違うんだ?」となる。そのギャップの埋め方に、毎回苦労するんですよ。期待値を下げてから説明を始めないと、信頼を得るのが難しいって、なんか変な話ですよね。
「こうすればいいって書いてましたけど」問題
「こうすればいいって書いてましたけど」というフレーズも、よく聞くやつです。書いてあった通りにやったのにうまくいかなかった、だから自分は悪くない、という言い分。でも、実際に書いてある通りにやっていたら、むしろ手続きが進まなかった原因だった…なんてこともあります。書類の書き方、出す順番、管轄の違い。細かいことですが、それが命取りになります。ネットの情報は“ざっくり”書かれているだけに、そのズレが怖いのです。
無料情報の落とし穴
ネットの情報は基本的に無料です。そして、無料には無料なりの理由があります。もちろん親切で役立つ記事もたくさんありますが、それでも全体の状況や背景まではカバーしきれない。だからこそ、「無料情報を使うのは構わないけど、それだけを信じるのは危険」という話になるわけです。なんというか、“無料”っていう言葉は便利ですが、現場でリスクを取っている私たちにとっては、ちょっとだけ重い言葉でもあります。
じゃあどうすればいいのか?という問いへの自分なりの答え
文句ばかり言ってきましたが、じゃあどうすればいいんだよ、という話ですよね。私なりに出した答えは、「情報を否定しない。でも、鵜呑みにもしない。そして、相手が“自分で選べるように”支えること」。司法書士として、情報を正すのではなく、寄り添って理解を広げていくこと。言うは易し、ですが、結局それが一番の近道なんだと思っています。
否定せず、飲み込みすぎず、静かに受け止める
「ネットで見た」と言われたとき、ついムッとしてしまう自分がいます。でも、まずは「ちゃんと調べてくださったんですね」と一度、感謝の意を表すようにしています。情報を持ってきた時点で、もう一歩踏み込んだ関心があるということ。その一歩を無駄にしないよう、丁寧に、時に冗談も交えながら軌道修正していく。そういうやり方が、結局はお互いにとっていい結果になるんですよね。
まず「情報収集できる人」として尊重する
ネットで調べるという行動自体、決して悪いことではありません。むしろ、自分で調べて考えようという姿勢は、私自身も見習いたいくらいです。だからこそ、「ネットのせいで面倒なことになった」と捉えるのではなく、「この人は情報収集ができる人なんだ」と捉え直すようにしています。そのうえで、プロとしての視点で、実際にはこういうこともありますよ、と加えていく。相手を“修正する”のではなく“広げる”姿勢で関わっていくことが、今の私にできるせめてもの誠意だと思っています。
“でも”より“そうですね”から始める話し方
「でも」と言われると、どうしても人は身構えてしまいます。私も言われるとイヤですから。だから自分が話すときも、「でもネットの情報は間違ってますよ」とは言わないように気をつけています。代わりに「そうですね、確かにそう書いてあることもありますね」と一度受け止めたうえで、「実は、実務上はこういう点もあるんです」と話すようにしています。否定ではなく、追加。修正ではなく、補足。そういう言い方ひとつで、こちらへの信頼感がまるで違ってくるんです。