週末、どこ行った?――司法書士のため息がこぼれる月曜日の朝に

週末、どこ行った?――司法書士のため息がこぼれる月曜日の朝に

土曜の朝は、自由の香りがした

土曜の朝は、なぜあんなに優しいのか。平日とは明らかに違う空気が流れていて、朝の光でさえ柔らかく見える。いつもより少し遅く起きて、目覚ましの音に起こされないというだけで「今日は自由なんだ」と実感できる。でもそれも束の間。頭の片隅には「来週の予定」がちらついて、完全な開放感にはなれない。司法書士という職業は、時間の使い方が上手なようでいて、実は土日さえ“タスクに追われているふり”をしてしまう。私はまだその“ふり”をやめられずにいる。

目覚ましを止めるしあわせ

「目覚ましをセットしないで寝る」というだけで、これほど贅沢な気持ちになるものかと、毎週末に感動している。平日は朝5時に起きて書類を見直したり、早く事務所に行って相談準備をしたりと、時間に縛られてばかりの生活だ。だからこそ土曜の朝の“無音”は、私にとって貴重な癒しの時間になっている。けれど不思議なもので、せっかく目覚ましが鳴らなくても、結局いつもの時間に目が覚めてしまう。身体にしみついた職業習慣というやつだろう。

コーヒーをゆっくり飲むだけで満たされる

そのまま起きて、近所のコンビニで買っておいた豆を挽き、ドリップする。この一連の流れが、もう儀式のようになっている。窓の外をぼんやり見ながらコーヒーをすする瞬間、「自分は生きている」と確認できる気がする。こんな静かな時間は、週末しか味わえない。平日は一口飲んだだけで、机に向かい、電話に出て、また飲みかけのまま冷めるのがオチだ。たかがコーヒー、されどコーヒー。ここにしかない贅沢がある。

それでも頭の片隅に「来週の予定」がある

とはいえ、完全にはオフになれないのがこの仕事の難しさだ。目の前に予定表があるわけでもないのに、自然と「あの案件、月曜どうするかな」「あの人から連絡来てたな」と考えてしまう。せっかくの自由な時間にも、心はどこか拘束されている。他人には見えない鎖で、自分を縛っているのは自分自身かもしれない。

日曜の午後には、憂鬱が忍び寄る

日曜の午後になると、もうすでに気持ちは“月曜日”に向かって動き出している。たとえカレンダー上ではまだ休みでも、心は完全に平日モードに切り替わっているのだ。だからこそ、「休日なのに休めていない」という感覚に襲われる。これは私だけじゃなく、多くの士業の人に共通する“あるある”じゃないだろうか。まだ仕事はしていないのに、もう疲れている。これが日曜の午後の怖さだ。

「休めた」という実感のなさ

一応、休んではいる。どこかに出かけたり、本を読んだり、少しだけ昼寝もしたりする。それでも、心のどこかで「今週はちゃんと休めたか?」と自問してしまう。そして大抵、その答えはNOだ。頭が休んでいないからだろう。休むというのは、体だけじゃなく、心も止まる必要がある。それができないのが、この仕事の辛いところだ。

「あの仕事、来週どうしよう」と検索履歴が物語る

日曜の夜、スマホを見ていて気づく。検索履歴が「相続 登記 必要書類」「未成年 後見人」など、完全に業務関連のワードばかりになっている。無意識に調べているのだ。休みのはずの時間に、脳が勝手に仕事を始めている。この時点で、もう「オフ」とは言えない。やっぱり、土日だけで疲れは取れないんだと思い知らされる。

散歩すら、現実逃避の一部になっている

何も考えたくないから外に出る。適当に歩いて、近くの川辺まで行ってみる。けれど結局、歩きながらも考えているのは「来週の打ち合わせで何を話すか」だったりする。周囲の景色が変わっても、頭の中は何も変わらない。気分転換のつもりが、仕事の下準備になっている。これでは本末転倒だ。

なぜ週末はこんなに短く感じるのか

本当に、週末ってこんなに短かっただろうか? 子どもの頃は土日が永遠に続くように感じていたのに、大人になってからはまるで一瞬だ。特に司法書士になってから、その加速度が増した気がする。理由ははっきりしている。「頭が止まらない」からだ。時間をゆっくり感じるには、心を止めなければいけない。だけど、その術を知らない。

予定を詰め込みすぎる悪癖

せっかくの休みに、予定を詰め込みすぎてしまう。買い物に行く、部屋を片づける、確定申告の準備を進める…休みのようでいて、全部タスクだ。それが終わらなければ「休めた」と思えない。でも、全部終わらせたら終わらせたで、今度は「何もできなかった週末」という空虚感が残る。自己満足のための予定が、逆に自分を疲れさせている。

完全にオフになるのが怖い

何もしない、という状態が不安になる。「こんなに休んでいていいのか?」「誰かに抜かれるんじゃないか?」と考えてしまう。これは司法書士という、常に責任と競争がある職業病なのかもしれない。何もしないと“取り残される”気がして、安心できないのだ。だからこそ、休みの日にも予定を入れてしまう。

本当は「寂しさ」を埋めようとしているだけかもしれない

正直に言うと、「予定がある=自分は生きている」と思いたいだけなのかもしれない。誰かと会う予定があれば、自分が必要とされているような気になるし、用事があれば「忙しいから寂しくない」と言い聞かせられる。でも実際は、その用事が終わった瞬間に、ぽっかりと穴が空く。そしてその穴をまた次の予定で埋めようとする。そんな繰り返しを、私はもう何年も続けている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。