逃げた先で少しだけ楽になれた日

逃げた先で少しだけ楽になれた日

毎日踏ん張っている自分に問いかけた朝

司法書士という職業柄、予定が詰まっている日ほど「行かなきゃ」「やらなきゃ」の思考に支配される。あの日もそんな朝だった。事務所の電話が鳴る前に到着しようと、目覚ましは6時半。けれどその朝は、何度アラームを止めても体が動かなかった。重たいまぶた、重たい背中。そして、なによりも「行きたくない」という思いが、正直な気持ちとして湧いてきた。

目覚ましが鳴っても布団から出られなかった理由

昔なら「甘えてるんじゃない」と自分に喝を入れていた。でもその日は、なんだか違った。どうしても立ち上がれなかった。寝坊というより「拒否反応」に近かったと思う。週末も書類作成、平日は相談対応、法務局とのやり取り、依頼者の急ぎ案件…限界がきていたんだと思う。冷蔵庫の中にあったヨーグルトすら食べる気が起きなかった時点で、これはちょっとまずいなと感じた。

気合いじゃどうにもならない朝もある

野球部の頃は、どんなにしんどくても「声出して走ってればなんとかなる」と思ってた。実際、根性で乗り越えてきた部分も多かった。でも40代半ばになると、気合いだけでは押し切れない日もある。身体の声を無視すると、あとで必ずツケが来る。あの日は、そんな「ツケ」が溜まりに溜まっていた。自分の心と身体を「メンテナンス」することを、真面目に考えなければと思った。

サボり癖じゃなく心の防衛本能だったのかもしれない

結果として、あの日は事務所を開けなかった。午前中の相談予約をキャンセルして、事務員にも「体調が悪いから休む」とだけ伝えた。罪悪感はもちろんあった。でも、不思議と心のどこかが「ほっ」としていた。これはサボりではなく、自分を守るための自然な反応だったんじゃないか。そう思うと、少しだけ自分を許せた。

「逃げた」と思うより「休んだ」と思った方が救われる

「今日は逃げた」と思うと、自己嫌悪で胸が苦しくなる。でも「今日は休んだ」と言い換えるだけで、不思議と心が落ち着く。人って、言葉一つでこんなにも救われるものなのかと驚いた。たまには、逃げるという選択肢も「戦略」なのだと、自分に言い聞かせることにした。

背中を押してくれたのは昔の上司の一言だった

昔勤めていた事務所の所長がよく言っていた。「倒れてからじゃ遅いぞ。無理する前に、1日だけ逃げてもいい」と。その頃はピンとこなかったけど、いま思い出すと沁みる。あのときの所長も、きっと限界を何度も乗り越えてきたんだろう。思えば、あの言葉がなかったら今も無理して事務所に向かっていたかもしれない。

全力投球ばかりでは肩も壊れる

司法書士という仕事は、地味だけど責任は重い。依頼者の人生がかかっていることもある。だからこそ、毎回全力投球で応えたくなる。でも、全力だけでは肩を壊す。たまにはキャッチボールで済ませる日があってもいい。そうでないと、肝心な場面で投げられなくなってしまう。

逃げることで保たれる誠実さもある

中途半端にやるより、いっそ一歩引くことで誠実さが保たれることもある。疲れた状態で依頼者に対応して、ミスをするくらいなら、1日逃げてリセットしてから向き合った方がいい。それは自分にも、相手にも、誠実な態度だと思えるようになった。

事務所を開けなかった日、誰にも責められなかった

ありがたいことに、休んだことでクレームが来たわけでもなかった。事務員も「たまにはいいじゃないですか」と言ってくれた。こんな自分でも、少しは周りに理解されているんだなと感じて、少しだけ泣きそうになった。

電話もメールも気にしなかった数時間

スマホをマナーモードにして、連絡を一切見ないようにして過ごした。こんなこと、何年ぶりだっただろう。たまった書類も片付いてないし、予定もズレたけれど、それよりもこの「誰にも追われていない感覚」がなによりありがたかった。

頭を空っぽにしたら見えてきたもの

その日は近くの川沿いをただ歩いた。風の音、川の流れ、空の色。何も考えずに歩いていたら、ふと「司法書士って、いい仕事かもしれないな」と思えた瞬間があった。逃げたからこそ、改めて自分の仕事の意味を見つめ直せたのかもしれない。

野球部だった頃にはなかった「逃げる」という選択肢

学生時代の野球部は、とにかく「逃げるな」「頑張れ」が正義だった。途中で辞める奴は根性なしと言われた。でも、社会に出てからは違う。逃げることも、戦い方のひとつなのだと、ようやく気づいた。

根性論では折れてしまう年齢

45歳。体力も気力も、20代とは違う。今は無理して踏ん張るより、うまく力を抜いて長く続ける方が大事だと思うようになった。逃げないことが正義だった時代から、逃げることが知恵となる年齢になったのかもしれない。

投げ出す勇気を持てたから、続けられている

本当に苦しいときに、一度手を止めて逃げる勇気。それがあったから、今もこうしてこの仕事を続けられている。逃げなかったら、潰れていたかもしれない。だからこそ、誰かに伝えたい。「逃げても大丈夫だったよ」と。

戻ってきたときに、少しだけ景色が違って見えた

休んだ翌日、事務所に向かう足取りは少しだけ軽かった。仕事は山積みだったけど、「よし、やるか」と思えた自分がいた。逃げたことに後悔はなかった。それよりも、戻ってきたことで「自分の場所」を再確認できた気がした。

仕事の山は相変わらずだったけれど

デスクの上のファイルの量は増えていた。メールも未読だらけ。でも、焦りはなかった。不思議と「やれば終わるさ」と思えた。それだけで、ずいぶんと心が軽くなっていた。

誰かの相談を「ちゃんと聞ける自分」が戻ってきた

午後、相続相談で来られたご高齢の依頼者と話しているとき、「今日はちゃんとこの人の話を聞けてるな」と感じた。前なら、次の予定を気にしてソワソワしていたかもしれない。逃げたことで、少しだけ人間らしさを取り戻せた気がした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓