僕が元気そうに見える理由
朝イチで登記申請を終えて、事務所に戻ったのは9時15分。スーツの首元が妙に汗ばむ。
「今日も元気そうですね、センセイ」
ドアの向こうからサトウさんの声がする。ああ、また演技力を褒められた。
「まぁね、元気“そう”にね」
心の中で付け足す。人は、気を張ってる間だけ、強くなれる。少なくとも僕は。
気を張ってるときだけ動ける
誰かが見ていれば動ける。仕事の依頼があれば喋れる。登記相談があれば法律の鬼にもなれる。
でも、それは外面。中身はほぼカラッカラのインスタント味噌汁みたいなもんだ。
一応ダシの素は入ってるけど、深みはない。
元気なフリが日常になっている
「では、次のお客様が13時に」
「OK、任せて」
自分でも不思議だ。この“任せて”の言葉、何回目だ? 本当は任せてほしくない。自分が自分の信用を過大評価している。
でも、それが司法書士ってもんだと思ってる。
演技が日常。それがリアル。
サトウさんにはバレている気がする
「今日、ちょっと顔がサザエさんの“波平”っぽいです」
「なんで1本だけ残った側で例えるのさ」
「いや、なんか疲れてるようで、でもまだ張ってる感じが…」
やれやれ、、、この人には敵わない。
気を抜くとどっとくる疲れ
気を抜いた瞬間、肩が3センチ沈む気がする。あれは幻覚じゃない。物理現象だ。
それくらい、気を張ってる状態の自分と、素の自分には差がある。
気を張るとアドレナリンは出る
事件性のある遺産分割調停が入ると、妙に冴える。
「これはもしかして……名義の一部が抜けてますね。亡くなった方、戸籍上では“長男”じゃなかったかもしれません」
探偵漫画に影響されすぎだと言われることもあるけど、細部の違和感に気づくのは得意なんだ。
でも帰り道は無音の虚しさ
電動自転車の無音スーッという音だけが耳に残る。
今日も「いい仕事」をした気がするけど、なぜだろう、何も心が埋まらない。
一番静かな時間は、帰り道。
一番虚しい時間も、帰り道。
あのコンビニの灯りがしみる理由
毎晩立ち寄るコンビニ。店員のバイトくんが「ポイントカードありますか」と聞いてくれる。
それだけで少し安心するのは、僕が弱ってる証拠だ。あの灯りに、少しだけ救われてる。
昔の自分はこんなじゃなかった
野球部だった高校時代。
気を張らなくても、誰かと笑っていられた。疲れたらベンチで寝ていた。それでよかった。
野球部だったあの頃の本物の元気
「しんどー、今日バッセン寄ってく?」
「いや、明日レギュラー決まるんで家で素振りっす」
そう答えて本当に素振りしてたな。あのときは強くなりたい気持ちが、ちゃんと前向きだった。
気を張らずにバカ笑いしてた日々
試合前夜に皆でカップ麺食いながら「明日は打てる気しかしない」とか言って。
打てなかったけど、あれはあれで“元気”だった。
今の気の張り方とは違う。
今ではその記憶さえ眩しい
「しんどーさん、今日お昼どうします?」
「ん、コンビニかな」
気づくと、昔話ばかりしている自分がいる。眩しさは、今にない何かの証だ。
強く見せることに意味はあるか
サザエさんでいえば、波平はいつも“しかる”役目だけど、時々すごく優しい。
そういう“強さ”を、僕は持てているだろうか。
誰かのために無理をしているのか
依頼人の不安そうな顔を見て、自然と声を張る。
でも、それは“無理”なのか? いや、“役目”なのかもしれない。
自分を守るために強く見せてるだけ
やっぱりどこかで、自分が崩れないようにしている。
「司法書士だからちゃんとしてる」っていう仮面で、自分を守ってる気がする。
本音を見せたら壊れてしまう気がして
「しんどー先生もたまには休んでくださいね」
サトウさんのその言葉に、本音が揺れる。
でも、まだ今日は気を張っていられる。だから、もう少しだけ。