相続書類は読めても、あの人の気持ちは読めなかった夜

相続書類は読めても、あの人の気持ちは読めなかった夜

相続登記の書類はきれいに整ったけれど

司法書士という仕事をしていると、形式的な正確さに重きを置かれることが多い。相続登記もその一つで、戸籍を集め、遺産分割協議書を作成し、署名と押印をもらい、登記を終える。それが職務であり、評価される部分だ。でも、書類が完璧に整ったからといって、すべてがうまくいっているわけではない。むしろ、書類が整えば整うほど、そこに書かれていない“気持ち”の存在が浮き彫りになる瞬間がある。先日、ある案件を終えた帰り道、ふとそんなことを思い返した。

形式通りに進めることはできる。でもそれでいいのか?

仕事としては、形式を守り、法に従い、トラブルなく処理を終えることが正解だ。でもその「正しさ」が、関係者の気持ちにとっても正しいとは限らない。依頼人の表情をふと見たとき、心ここにあらずな様子だったり、無理に笑っていたりするのを見ると、「これでよかったんだろうか」と考えてしまうことがある。特に相続は、家族の過去や関係性が絡む。書類にはその背景は一切書かれない。それでも確かに、そこには何かがある。

押印ひとつの重みと空気

あるご家庭では、長男が弟たちに「母の遺産については平等に」と提案したが、話し合いの場ではどこかぎこちない空気が流れていた。押印の瞬間、弟の一人がわずかに手を震わせたのを見逃さなかった。誰も何も言わないけれど、何か言いたいことをぐっと飲み込んでいるように見えた。あの時、書類に押された印影は、ただの認印じゃない。言えなかった気持ち、譲った心、もしかすると諦めの象徴だったのかもしれない。

「実印あります?」の裏にある緊張感

実印の所在を尋ねるとき、私はいつも少し身構える。本人確認という業務的な意義は理解しているが、それでも「はい、あります」とすぐに出してくれる方と、「……あ、ちょっと探してきます」と言って席を外す方とでは、温度差がある。たとえば先日の案件で、実印を渡すときに黙って涙を流したご婦人がいた。「これを押したら、全部終わってしまう気がして」と、ぽつりと漏らした言葉が、今でも忘れられない。

相談のふりをした“家族の亀裂”

「相談があります」と言って訪れる人の中には、もうすでに“答え”を出してしまっている方もいる。ただ、それが正しいかどうかを、誰かに確かめたいだけなのだと思うことがある。特に相続の場面では、家族の中で誰が正しいのか、誰が我慢するべきなのか、そういった正義と感情の間で揺れているように感じる。

誰かが泣きそうな顔をしていた

先日、娘さんを連れてきたお父さんがいた。母親が亡くなり、相続の手続きということで来所されたのだが、説明中ずっと娘さんの顔が曇っていた。聞けば、母と父の関係は冷めきっていたという。娘としては母の思いを守りたい。でも父は手続きを終わらせたい。私は書類を整えるだけの立場だが、その間に立たされるような気分になって、何とも言えない重さを感じた。

戸籍より、もっと複雑な人間関係

戸籍謄本を眺めていると、確かにその人の人生の記録が並んでいる。でも、人間関係の本当の姿は、そこには記されていない。疎遠だった兄、介護を一手に引き受けた妹、昔の確執が今も続いている親戚……。そうした複雑な感情が、相続の場では突然浮かび上がってくる。それを整理するのが私の役割ではない。けれど、知らず知らずのうちに、巻き込まれていることも多い。

書類じゃ片づけられない「思い残し」

ある案件で、依頼人が書類を手にぽつりと「母にもっと話を聞いておけばよかった」と言ったことがあった。その瞬間、部屋に重い沈黙が流れた。登記完了のスタンプよりも、その一言の方が何倍も重かった。私たちが扱うのは法律行為だけど、その背景には必ず“人の物語”がある。書類では、どうにもならないことが、やっぱりある。

遺された人たちが、それぞれ違う方向を向いていた

相続というのは、財産を分ける行為ではあるが、それ以上に「家族の考え方の違い」が浮き彫りになる場面でもある。同じ人を失ったのに、残された人が同じ方向を見ていない。そんなとき、何を信じて進めるべきか、司法書士である私も迷う。

“争続”という言葉が嫌いでも避けられない

「争続」という言葉は嫌いだ。だけど、現実にはあまりにも多くの家族が、相続を機に関係をこじらせてしまう。特に財産に関する感情は敏感で、ほんの一言が引き金になることもある。遺言があっても揉める。公正証書でも不満が残る。どこまでやっても、誰かが納得しきれない。そんな中で、私たちは中立でいなければならないのだから、正直、しんどい。

司法書士としての限界を感じる瞬間

時々、自分が何のためにこの仕事をしているのかわからなくなる。書類は整った。でも、誰も笑っていない。ありがとうも言われず、むしろ疲弊だけが残る。そんなとき、「これが本当に依頼者のためになっているのか?」と、胸に穴が空いたような気持ちになる。私はただの書類屋なんだろうか。いや、そうじゃないと思いたいけれど。

だからこそ、せめて丁寧にやりたいと思ってしまう

気持ちは読めない。だけど、せめて「手続きだけでも完璧にやる」。そう思って、細かい確認や無駄に見えるやりとりを重ねてしまう。どこかで「この人の代わりに、少しでも気持ちに寄り添えたら」という思いがあるのかもしれない。私は正直、愛想もないし、女性にもモテないし、地味な日々を送っている。でも、この仕事だけは、ずっと丁寧にやっていきたい。

プロとしての矜持と、個人としてのやるせなさ

誰にも褒められなくてもいい。だけど、自分が自分にだけは「ちゃんとやった」と思えるようにしたい。それがプロとしての矜持だと思っている。でも本音を言えば、やっぱり誰かに「ありがとう」と言われたい夜もある。そんな自分に気づいて、ちょっと情けなくなる夜もある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。