知らない誰かの過去に惑わされて、自分の今が見えなくなる夜に
―司法書士という狭くて広い世界で迷うすべての人へ―
知らない誰かの「昔はすごかった話」がやけに刺さる夜
「あいつ、昔は年商○千万だったらしいぞ」「独立してから数年で事務所を3つ持ったらしい」。そんな話を耳にするたび、ふと自分の毎日が色あせて見えることがある。実際、その“誰か”の顔も知らないのに、過去の武勇伝だけがやたらとリアルに聞こえてきて、どうしてこんなに心をざわつかせるのか。地方の小さな司法書士事務所を細々と続ける自分にとって、それはまるで別世界の話。でも、なぜか羨ましさがこびりついて、やがて焦りに変わる。特に、ひとりの夜はそうだ。
なぜか自分の今と比べてしまう癖
他人の話に触れると、つい「自分は何をしてきたんだろう」と振り返ってしまう。過去を誇る人を見ると、自分が誇れる過去などないことに気づいて、急に現在が不安定になる。司法書士という仕事は、そもそも目立つものではない。登記が終わっても誰にも感謝されないこともあるし、裁判所の書類が通っても「ふーん」で終わる。それでも日々こつこつ積み上げてるつもりだった。でも「他人の栄光」は、こつこつの積み上げを簡単に吹き飛ばしてしまう。気づくと、勝手に比べて、勝手に凹んでいる。
SNSで流れてくる“他人の成功譚”の破壊力
SNSで流れてくる「月商100万円達成!」「1年で法人化しました!」といった投稿を、寝る前のベッドで見てしまうのがいけない。特に、司法書士や士業アカウントがそういうことを言っていると、「自分も同じ業界のはずなのに、なぜこうも違うのか」と苦しくなる。表に出す情報と実態が違うことも分かってる。でも、“あっちは成功してる”“こっちは停滞してる”という構図が頭に焼きついてしまい、寝つきが悪くなる。朝が来ても、気分が沈んだままだ。
司法書士界隈でもあるあるな「昔の武勇伝」
古い付き合いの先生方と話すと、よく「昔は楽だった」「電話一本で仕事がどんどん来た」といった話を聞く。もちろん時代の流れもあるし、今の若い人たちは苦労してるよな…と共感の体をとりつつも、やっぱり心のどこかで「自分はもう遅かったんじゃないか」と思ってしまう。自分の選択に自信が持てなくなって、気づけば「仕事って何なんだろう」「俺って何のために司法書士やってるんだっけ」と、沼のような思考にハマっていく。
自分の現在地がぼやけていく感覚
日々の業務に追われながらも、なぜか“手応え”がない。登記を終え、裁判書類を出し、報酬をいただいているのに、自分の立ち位置が見えない。昔の知り合いの成功話を思い出すたび、今の自分が“どこにいるのか”が分からなくなる。誰かと比べることでしか、自分の価値を測れなくなっていくのは、かなり危ういことだとわかっていても、ついまた誰かの過去に心を奪われてしまう。
「俺、今何してたっけ?」という脱力感
ある日、事務所で書類に囲まれていると、急に「今、何をしているんだろう」という感覚に陥った。もちろん作業はしている。登記の下準備や、相談者への対応もしている。でも、何か“自分の人生に関係ないことを延々やっているだけ”のような感覚に襲われる。目の前の仕事に気持ちが乗らない。事務員さんの「これ、どうしましょうか?」という声にも上の空。気づけば、自分の毎日が“やらねばならないこと”だけに埋め尽くされていた。
依頼処理に追われる日々、気づけば“こなしているだけ”
開業当初は、「自分の裁量で自由にやれる」と張り切っていた。でも現実は、依頼→処理→請求の無限ループ。喜ばれる仕事もあるが、クレームも多い。誰かの幸せを支える仕事のはずなのに、心の中ではただ“日々をこなしているだけ”になっていた。成功している誰かの過去の話を聞くと、そんな自分の“こなしている日々”が一気に虚しくなる。頑張ってるのに、なぜ報われないのかという気持ちが募っていく。
日報に書けない仕事ばかりしてる気がしてくる
書類提出の前に役所に電話、クライアントへの言い訳調整、事務員のミスのリカバリー…。日報に書いても伝わらないような「目に見えない調整業務」がどんどん増えていく。誰にも評価されないし、感謝もされない。しかもそれをして当然という空気がある。人の過去が輝いて見えるのは、それが“編集された成功だけ”だからだと、頭では理解している。でも感情はどうにもならない。
それでも、たまに迷子になる夜はある
どれだけ理屈をこねても、孤独な夜はやってくる。ふと見上げた天井を見つめながら、「俺、何してるんだろうな」とぼやく。事務所に残って一人で書類を整理しながら、外の笑い声が遠く聞こえる。比べなければ楽になれるとわかっていても、誰かの人生がうらやましくて、また自分の今がぼやけてしまう。そんな夜があること自体、きっと“真面目に生きてる”という証拠だと信じたい。
それはきっと、まじめに頑張っている証拠
自分と向き合う時間があるからこそ、他人が気になってしまう。他人と比べるという行為自体、今を良くしたいという前向きな動機の裏返しなのかもしれない。司法書士という孤独な仕事のなかで、自分を鼓舞する手段を探しているだけなのだろう。比べることで一度沈んでも、また自分のペースで浮上する。その繰り返しが、きっと自分らしいやり方なんだと思う。
“モテない”“報われない”の先にも、意味はある
司法書士としてのキャリアを積んでも、華やかさはない。女性にモテることもないし、パーティーに呼ばれることもない。独身のまま地方の事務所でひっそり暮らす自分にとっては、報われないと思う日も正直ある。でもそれでも、誰かの登記が無事に終わったとき、小さく「ありがとう」と言われる瞬間がある。それだけで、報われる瞬間がある。それだけを信じて、今日も机に向かっている。
誰にも褒められなくても、生きててえらい
誰かの過去がまぶしく見えても、自分の今を捨ててはいけない。朝起きて仕事に行き、書類を確認し、誰かの人生の節目を支える。その積み重ねが、どんな過去よりも誇るべきことなのかもしれない。たとえ誰にも褒められなくても、生きてるだけで偉い。今日も事務所で一人、書類と向き合っているあなたへ。そして、自分自身へ。焦らず、腐らず、いこう。