「あ、俺ずっと優しさに飢えてたんだ」って気づいた日

「あ、俺ずっと優しさに飢えてたんだ」って気づいた日

強がりの毎日、気づかないふりをしていた

司法書士という仕事柄、毎日が気の張りっぱなしだ。誰に愚痴をこぼすわけでもなく、相談相手がいるわけでもない。気づけば「平気なふり」が日常になり、弱音を吐くことすら億劫になっていた。地方の小さな事務所で、たった一人の事務員さんと黙々と業務を回す日々。気を抜けばトラブルが起きる、そんな緊張感の中で、優しさなんて贅沢なものは自分には不要だと思っていた。でもそれは、必要ないと思い込もうとしていただけだったのかもしれない。

「大丈夫です」としか言えなくなった職業病

日々、依頼者の前では毅然とした態度でいなければならない。それが司法書士の仕事だと思っていたし、今でもそう思っている。でも、いつの間にか誰に対しても「大丈夫です」「問題ありません」としか言えなくなっていた。自分の中にある不安や疲れ、孤独といった感情を見せるのが恥ずかしくなっていたのだ。まるで感情を封印する職業病のように、心の扉を閉ざし、優しさを遠ざけていた。

依頼人の前では崩れられない

司法書士に相談に来る人たちは、何かしらの不安や悩みを抱えている。そんな彼らの前で、自分が不安そうな顔を見せてはいけない。それがプロだと思っていた。でも、ふと鏡を見たとき、そこに映る自分はひどく疲れていて、どこか無表情だった。頼られることは嬉しい。でも、頼られるだけで終わる毎日には、知らず知らずのうちに心が削られていく。

事務所に戻っても、頼られるばかり

小さな事務所には、たった一人の事務員さんがいて、いつも懸命に働いてくれている。でも彼女に弱音を吐くことはできなかった。むしろ「先生、これどうしましょう?」と尋ねられる立場である自分は、常に判断を求められる側だ。だからこそ、事務所に戻っても自分の居場所がないような孤独感に襲われることがあった。誰かに「今日はどうだった?」と聞かれたいだけだったのかもしれない。

強くいなきゃと自分に言い聞かせた結果

独立してからというもの、自分がしっかりしなきゃ、という責任感ばかりが増していった。開業当初はそれがモチベーションだったが、10年経った今はその重みがプレッシャーに変わっている気がする。弱さを見せた瞬間、全部が崩れてしまうんじゃないかという不安もある。気づけば、自分の心の中に誰も入れなくなっていた。

感情の置き場がなくなっていく感覚

忙しさの中に飲まれ続けると、喜怒哀楽のうち「喜」と「哀」だけが欠落していく。怒りと不安はまだ感じるが、それ以外の感情はどこかに置き忘れてしまったようだった。誰かと笑い合う機会も減り、ひとりで昼ごはんをコンビニで済ませる日々。あれもこれもこなして、最後に自分だけが残されているような感覚。感情をどこに置いたらいいのか、わからなくなっていた。

優しさを遠ざける癖がついてしまった

「気にかけてもらう」ことにすら違和感を覚えるようになっていた。誰かの親切に「ありがとうございます」と言うよりも、「すみません、気を遣わせてしまって…」と返してしまう。優しさを素直に受け取れない自分がいた。まるで、自分にはそれを受け取る資格がないとでも思っていたように。でも、内心ではずっと誰かに甘えたかったのかもしれない。

ふとした一言が、心をほぐす瞬間

ある日、コンビニのレジでレジ袋を断ったとき、店員の若い女の子が「今日寒いですね」と笑顔で声をかけてきた。それだけのことなのに、なぜか胸がぎゅっと締め付けられた。世間話なんて、ここ最近していなかった気がする。たった一言の優しさに、心のどこかがゆるんでしまった。ああ、自分はずっとこういう言葉を待っていたのかもしれない、とそのとき初めて気づいた。

コンビニの店員さんの「寒いですね」

ただの天気の話だった。でも、その「寒いですね」には、「今日は一日お疲れさま」とか「気をつけて帰ってね」とか、いろんな意味が込められていたように感じた。自分でも驚くくらい、心がふっと軽くなった。人に優しくされることに、こんなにも救われるなんて。たった一言で、ずっと張り詰めていた気持ちが緩んだ瞬間だった。

たったそれだけの言葉に、胸が詰まった

その日は、やたら寒い日だった。コートの襟を立てながらレジを済ませた時、「寒いですね」と微笑まれた瞬間、息が止まりそうになった。誰かが自分に声をかけてくれた、そのことが嬉しかった。誰でもない、ただの店員さんなのに、まるで心に寄り添ってもらったような気がした。見た目は元気そうでも、中身はボロボロだった自分を、見透かされた気すらした。

日常のやりとりに、救われることもある

優しさって、特別なことじゃなくていい。ただの「お疲れさま」でも「寒いですね」でも、心が受け取れる状態にあれば、それは大きな支えになる。誰かと雑談を交わすことが、思っていた以上に大切だったんだと気づかされた。毎日誰とも言葉を交わさずに業務だけをこなしていたあの頃は、優しさに出会う余地すらなかったのかもしれない。

事務員さんの「先生、無理しないでくださいね」

年末の繁忙期、連日続く登記申請と電話応対で、頭が回らなくなっていた頃。ふと事務員さんが「先生、ちょっと休憩したらどうですか」と声をかけてくれた。普段は淡々と事務作業をしている彼女が、珍しく気を遣ってくれたのがわかって、心にしみた。その優しさに、不覚にも少し目頭が熱くなった。こんなことで泣きそうになるなんて、自分が思っていた以上に、疲れていたんだと思った。

いつもは事務的なやりとりしかしてなかったのに

彼女との会話は、普段はほぼ業務連絡だけだ。「これお願いします」「これできました」。そんなやりとりばかり。でもあの日、彼女が少しだけ視線を落としながら「無理しないでくださいね」と言ったとき、その言葉が妙にあたたかく感じられた。日常の小さなやりとりの中に、確かな優しさが存在していたことに、そのときようやく気づいた。

その一言に、なぜか涙がこぼれた

別に泣くようなことじゃなかった。でも、その言葉を聞いた瞬間、こらえていたものがこぼれた。優しさって、予想していないタイミングで来るからこそ、深く刺さる。泣くのは恥ずかしいと思っていた自分も、その日は「泣いてもいいかな」と思えた。自分にも、まだ人間らしさが残っているのかもしれないと思えて、少しだけ救われた気がした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。