誰にも祝われない誕生日に湧いてくる静かな本音

誰にも祝われない誕生日に湧いてくる静かな本音

今年もひっそり迎えた誕生日

朝、目覚ましの音でいつも通り起きた。ふとカレンダーを見ると、自分の誕生日だった。特に感情は湧かない。ただ、「ああ、またひとつ年を取ったか」と静かに思うだけ。誰かから「おめでとう」と言われる予定もないし、自分から言う気にもならない。祝われないことにはもう慣れているはずなのに、どこか胸の奥が少し冷たくなるような感覚が残る。

朝からいつも通りの書類に囲まれて

机の上には、登記申請書の束と郵便物の山。電話も鳴れば、依頼も飛び込んでくる。司法書士としての業務は、誕生日だろうと平常運転。誰かが特別扱いしてくれるわけでもないし、むしろ今日に限ってなぜか急ぎの案件が重なる。クライアントが困っているのだから当然優先するけれど、心のどこかで「今日だけは少しだけ労わってほしかった」なんて思ってしまう自分がいて、そんな自分をまた情けなく感じる。

おめでとうの通知も鳴らないスマホ

スマホに目をやっても、LINEもSNSも静かなまま。昔は友人や同僚から「おめでとう!」とメッセージが届いていた時期もあった。でも年を重ねるごとに、そういったやり取りも減っていき、今では通知すら来ない。思わず自分で通知を確認するという無駄な行動に出て、「ああ、やっぱり誰も気づいてないのか」と苦笑いする。

誰にも言ってない自分にも理由がある

とはいえ、自分から「今日、誕生日なんです」と言ったことはない。それは変な気恥ずかしさと、言ったところで何も変わらないという諦めが混ざっているからかもしれない。言って祝われなかったら余計に傷つく。だったら最初から何も言わない方が楽だ、という防衛反応。司法書士としては多くの人と関わっていても、心の奥は意外と臆病なままだ。

司法書士という職業は祝われにくい

この仕事、地味だ。派手なイベントもなければ、華やかな打ち上げもない。成果が数字で見えづらく、誰かに感謝されてもそれは一瞬で過ぎていく。しかも、誕生日に休めるような職業でもない。祝うことよりも、手続きの締切が優先されるのが日常。だからこそ、ふとした瞬間に「俺はなんのために頑張ってるんだろう」と立ち止まりたくなる。

地味な仕事ほど誰にも見えない

登記が正しく完了して当たり前。何かミスがあれば責任を問われる。司法書士の仕事は、基本的に「無事に終わって当然」と思われがちだ。だから感謝される機会も少ないし、成果を祝ってもらえることもない。そんな中で、自分の誕生日くらいは誰かに気づいてもらいたいと思うのは、甘えなのかもしれないけれど、それが本音でもある。

先生と呼ばれるけど誰からも祝われない

仕事の中では「先生」と呼ばれることも多い。ありがたい肩書きだ。でもその「先生」は、個人としての存在ではなく、ただの機能のようなものに思える時がある。どんなに忙しくても、誰にも弱音を吐けない。たまには、「先生」じゃなくて「○○さん、お誕生日おめでとう」と名前で呼ばれたい気もする。でも、そんなことを考えるのもやっぱり照れくさい。

頑張ってるのに結果が見えにくい日々

毎日コツコツと案件をこなし、間違いなく処理する。でもその頑張りが誰かに評価されることは少ない。だからこそ、誕生日のような「節目」に、小さなご褒美や言葉があるだけで、どれだけ救われるかと感じる。でもその「小さなもの」が、年々手に入りづらくなっている気がしてならない。

一人事務所だからこそ孤独が染みる日

地方で司法書士事務所を一人で切り盛りしていると、どうしても孤独を感じる場面が多くなる。事務員さんはいてくれるけど、誕生日の話題をわざわざ振るのも気が引ける。仕事の指示や進行に支障が出るような気もして、自然と口をつぐんでしまう。「祝われないこと」に慣れているようで、慣れていない自分がいる。

忙しいのに話し相手は書類だけ

朝から晩まで、書類と向き合い、電話対応に追われ、依頼に振り回される。それが司法書士の日常だ。でも、その合間にふと気づく。今日、自分は誰ともまともに会話していない。コンビニの店員と「袋いりません」と言ったくらいだ。そんな静けさが、誕生日という日には妙に重く響く。

事務員さんにも気を遣って言い出せない

事務員さんがいることで助かっていることは多い。でもだからこそ、余計な気を遣わせたくないという思いが強くなる。「今日、誕生日なんですよ」なんて言って気まずい空気になったら、そっちの方が嫌だ。そう思っているうちに夕方になり、今日も誰にも言わないまま日が暮れていく。

祝われない日にも意味はあるのか

ふと、「祝われない誕生日にも、意味ってあるのか?」と考える。正直、答えはまだ出ていない。でも、そんな日だからこそ、自分の内面と向き合う時間が持てるのかもしれない。静かすぎる誕生日は、反射的に「寂しい」と感じるけれど、一人でじっくり考えるには案外悪くない。

自分で自分を祝うという選択

誰にも祝われないなら、自分で自分を祝うしかない。コンビニでいつもより高いスイーツを買ってみるとか、少し良いビールを飲んでみるとか、それだけでも気持ちは違う。お祝いの形式よりも、「今日、自分は生きてる」と実感することの方が大事なのかもしれない。結局、一番近くにいるのは自分自身なのだから。

誰かのためじゃない日があってもいい

普段は依頼人や周囲のために時間を使っている。それが司法書士の仕事でもあるし、誇りでもある。でも、誕生日くらいは誰のためでもない、自分のためだけに過ごしてもいいと思う。誰に迷惑をかけるわけでもないし、誰に認められなくても、自分だけが知っていればそれで十分だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓