頑張りすぎて誰も気づかない司法書士の孤独な日常
誰にも気づかれない努力が日常になっていた
朝から晩まで働いても、誰かに褒められることはない。特に地方の司法書士事務所を一人で切り盛りしていると、その孤独はますます深まる。忙しさにかまけて「頑張っている自分」を振り返る余裕すらなく、毎日をただこなすように生きている。気づけば、努力していることさえ自分の中で当たり前になっていて、報われないという感情すら薄れていた。知らず知らずのうちに、誰にも気づかれない努力が、自分にとって“通常運転”になっていたのだ。
依頼者は満足しても「ありがとう」はない
相続登記が終わっても、会社設立を完了させても、依頼者から感謝の言葉がないことなんて珍しくない。中には「やっと終わった」と言ってくる人もいて、こちらがどれだけ裏で苦労しても、その背景は見えないまま終わっていく。例えば、ある法人登記で法務局から何度も訂正を求められた件。依頼者は「いつ終わるの?」とだけ聞いてきた。こちらが夜中まで対応していたことなんて、もちろん知られることはなかった。
誰かの人生の大事な節目に関わっているのに
司法書士の仕事は、実は人の人生の大事な場面に関わることが多い。相続、離婚、会社の設立や解散。喜びも悲しみも背負っているはずなのに、感情を表に出すことは求められず、ただ淡々と書類を整える役回りだ。以前、依頼者が葬儀帰りに立ち寄ってきたことがあった。まだ涙の跡が残っている顔に、「では登記簿はこちらです」と言う自分が空しく感じた。人の節目に関わりながら、自分の存在は背景でしかない。
それでも「先生」って呼ばれると逃げられない
皮肉なことに、そんな存在でも「先生」と呼ばれてしまうと、責任感が湧いてしまうから逃げられない。名ばかりの尊敬のような呼び方でも、そこに縋ってしまう自分がいる。「先生にお願いしてよかった」と言われることはほぼないのに、呼ばれただけで“やらなきゃ”とスイッチが入ってしまう。名前ではなく肩書きで呼ばれるたび、自分が役割の塊になっていく感覚がある。
事務所を一人で回すという現実
司法書士というと事務所を構えて人を雇って安定しているイメージを持たれがちだが、実際にはギリギリの綱渡りのような毎日だ。私の場合、事務員がひとりいるが、その人が休めば業務はすべて私にのしかかる。電話対応、来客応対、登記の準備、郵送物の手配……どれかひとつでも抜ければトラブルのもとになる。そんな状況で「暇でしょ?」なんて言われた日には、正直、笑えない。
事務員が休めば、全部こっちに回ってくる
事務員が体調を崩した日、私は朝から目が回るような忙しさだった。電話は鳴りっぱなし、郵便局にも走り、ついでに法務局にも提出物。自分の業務に集中する時間なんて一切ない。それでも依頼者からの催促は止まらず、「まだですか?」と連絡が来る。人ひとりの穴が、どれだけ大きいか身に染みてわかる。逆に言えば、それだけ少人数で支えているという危うさでもある。
電話対応、登記申請、郵送物、全部自分
電話に出るたび、登記申請の作業が中断される。郵送物を作るために印刷しようとすれば、紙詰まり。イライラしながら処理しても、ミスが起きないように常に神経を張りつめている。自分以外に頼れる人がいないということは、何かトラブルがあればそれもすべて自分の責任になるということ。たった一件のミスが信用を失う原因になるこの仕事では、小さな手間すら命取りだ。
昼食をゆっくり食べる時間すらない
コンビニで買ったおにぎりを片手に、パソコンに向かいながらメールを打つ。そんな日が珍しくない。弁護士や税理士との打ち合わせも、スキマ時間を見つけて詰め込む。外に出てランチをゆっくり食べるなんて夢のまた夢。こういう生活を続けていると、食事というより“燃料補給”の感覚になってくる。味も記憶に残らない。忙しいというより、もうただただ余裕がない。
「頑張っている」の基準が壊れていた
いつの間にか、無理して働くことが普通になっていた。体調が悪くても出勤し、土日も調べ物や書類作成。気がつけば、「これくらいは普通」と思ってしまっている。たまに友人から「頑張ってるね」と言われても、どこが?と思ってしまうくらい、自分の感覚が壊れていた。普通って、どこからどこまでなんだろうと、時々わからなくなる。
やらなきゃ終わらない、それだけの毎日
この仕事に「そのうちやろう」は存在しない。期限があり、誰かの人生が関わっていて、遅れれば損害につながる。その責任感が、日々の「今やらなきゃ」に拍車をかける。だからこそ、休むことが怖くなる。以前、熱を出した日に仕事を休んだら、翌日にはタスクが倍増していた。それを見てから、休むことがリスクになった。そうやって、どんどん自分を追い詰めていた。
自分を褒める人なんて、どこにもいない
「誰かに認めてほしい」と思うことは恥ずかしいことではないと思う。でも、実際には誰にも言えない。自分を褒めるのも虚しく、仕事が終わっても誰も何も言ってくれない。むしろ「間違ってなかったよね?」と確認する日々だ。SNSに書いても「先生はすごいですね」としか返ってこない。すごいんじゃない、ただ孤独なだけだ。そう言いたくなる瞬間が何度もある。
結局、倒れるまで気づけない
頑張りすぎていたと気づいたのは、実際に倒れた日だった。事務所で立ちくらみして、そのまましゃがみ込んだ。病院の診察結果は過労。医者から「もう少し休まないと危ない」と言われても、次の登記の締切が頭を離れなかった。そんな自分が滑稽だと感じた。身体が限界を迎えて初めて、自分が無理をしていたと気づく。だけど、そこまでしないと止まれなかったのが現実だった。
誰にも見せない、疲れ果てた背中
事務所のドアを閉めた後、誰にも見せない表情が顔を出す。誰かと食事に行くことも少なく、休日もなんとなく仕事のことが頭に残る。まるで一人芝居のように、誰にも気づかれず、ひっそりと生きている。そんな毎日が続くと、「自分は何のために頑張ってるんだろう」と思う瞬間が訪れる。けれども、やめる理由もないから、明日もまたドアを開けるのだ。
帰宅しても誰もいない
夜、家に帰っても電気はついていない。冷蔵庫にはコンビニの残り物。テレビもつけないまま、洗面所で顔を洗い、静まり返った部屋に自分の足音だけが響く。誰にも気づかれない日常は、帰宅後も続いている。誰かに「おかえり」と言われるだけで、救われる気がするのに、そんな相手もいない。独身だからこそ、どこにも逃げ場がない。
夕飯はコンビニ弁当、テレビもつけない
いつものようにコンビニで適当に選んだ弁当を持ち帰り、無言で食べる。テレビをつけるのも面倒で、スマホをいじるだけ。疲れているのに、眠れない。静かすぎる部屋の中で、今日のミスを思い出しては反省する。そんな繰り返しが、また自分を追い詰めていく。
「ひとり」の重みがじわじわ堪える
若い頃は「ひとりでも気楽でいい」と思っていた。でも、今はその「ひとり」がしんどい。誰かに「今日大変だったね」と言ってもらうだけで、どれだけ救われるか。けれども、そんな声は届かない。司法書士という仕事は、信頼される反面、誰にも弱音を吐けない存在にもなってしまう。だからこそ、この記事を読んでくれているあなたには、少しでも「自分だけじゃない」と感じてもらえたらと思う。