ひとりであることがやけに沁みる日
朝から誰とも喋っていないことに気づいた
気がついたら、朝起きてからずっと誰とも会話をしていなかった。誰にも「おはよう」と言わず、誰からも「今日も頑張って」と声をかけられることもなく、無音の中でコーヒーを淹れ、着替えて、車に乗り込む。こんな静かな朝は、忙しい時期なら歓迎されるのに、妙に今日は心が空っぽになっていた。「ひとりである」という状態が、こんなにも重たく感じたのは久しぶりだ。
カーテンを開けても静けさしか返ってこない
朝日が差し込む窓を開けても、外は静かで、鳥のさえずりさえ聞こえなかった。日曜日ではないのに、近所の気配が感じられない。昔はこの静けさが心地よく感じたけど、今日は違った。誰かの生活音や笑い声が恋しくなった。たまに猫の鳴き声が聞こえると、なんだかほっとしてしまう自分に驚いた。
スマホの通知は仕事の督促ばかり
唯一音を立てるのはスマホからの通知音。でもその内容は「書類できましたか」「今週中に頼めますか」といったものばかり。人とつながっているはずなのに、仕事を通しての連絡しかないという事実が、心にじわじわと効いてくる。誰かに「最近どう?」と聞かれることが、どれほど尊いことなのかを思い知る。
音声入力アシスタントが唯一の話し相手
ふとしたときに「OK Google」と話しかけて天気を聞いたり、スケジュールを確認したりしている。たったそれだけの会話でさえ、誰かとコミュニケーションしているような気になってしまう。これは便利さなのか、それとも孤独の現れなのか。こういう日が続くと、AIの返事でさえありがたく思えてしまう。
事務所に向かう車内で感じる孤独
車を運転しながらふと、「今日もひとりでやるんだな」と思ってしまう。事務所には事務員さんが来てくれるけど、彼女も昼には帰ってしまう。昼から夕方までは、事務所に一人きり。書類と机と、時計の音だけが時間を刻む。誰かと一緒に仕事をするという感覚は、この仕事を始めてから一度も味わったことがない。
ラジオの笑い声が逆に虚しくなる瞬間
毎朝のルーティンとして流すラジオのパーソナリティの軽快なトーク。それを聴いて笑っていたはずなのに、今日はなんだか遠く感じた。楽しそうなやり取りが、まるで自分とは関係ない世界のように思えてきてしまう。音声に囲まれているのに、心は静かすぎて、気づけば無音に切り替えていた。
交差点でふと隣の車の家族連れを見る
赤信号で止まったとき、隣の車に目をやると、後部座席で子どもが笑っていた。運転している母親らしき人と、助手席の父親らしき人が何かを話している。こちらは一人で運転席、助手席にはカバンだけ。ふとした日常の中で、自分の「ひとり」が鮮明に浮き彫りになって、ちょっとだけ胸が痛んだ。
仕事に追われていれば忘れられると思っていた
司法書士という仕事は、基本的に「忙しい」がベースにある。登記の期日、顧客対応、法務局とのやりとり…やることは山積み。でも、それに埋もれていれば「ひとり」であることなんて気にならない、そう思っていた。でも今日は違った。どれだけ作業しても、ふと顔を上げたときの静けさに、やっぱり気持ちは沈んだままだった。
登記の書類には感情がない
午前中に2件の書類を仕上げた。内容は問題ない。形式も完璧。でも、その書類の山を見て、少し悲しくなった。大量の文字と数字が並んでいても、そこには「ありがとう」も「元気?」も存在しない。司法書士の仕事は信頼を預かることだけど、感情に触れる機会は極端に少ない。人と向き合うのに、人を感じにくい仕事だなと、今日はしみじみ思った。
事務員さんの雑談が今日はありがたかった
昼前に事務員さんが「昨日テレビでやってたあれ、観ました?」と話しかけてきた。たったそれだけの雑談が、まるで救いのように感じられた。普段なら「そうなんですか」と軽く流してしまうのに、今日はその話を少し引き延ばしてしまった。無理にでも会話を続けたくなるくらい、自分が言葉に飢えていた。
でもそれ以上は踏み込めない関係の距離感
ただ、事務員さんとの距離感は難しい。あまり踏み込みすぎてもいけないし、かといって壁を作りすぎても働きにくい。特に自分のような独身中年男性が女性スタッフと話すときは、何かと気を遣う。それがまた、自分の「ひとり」をより明確に突きつけてくる。人との距離は、近すぎても遠すぎても苦しい。
昼休みのコンビニで孤独感が増す理由
昼休みにいつものコンビニに立ち寄る。並んでいる弁当の棚を眺めながら、なぜか今日は何を選んでも味がしなさそうな気がした。温めてもらった唐揚げ弁当を事務所で一人黙々と食べる。テレビもつけず、スマホも見ずに食べていると、空気の音だけが聞こえてくる。誰かと一緒に「美味しいね」と言い合える日が来るんだろうかと、ふと考えてしまう。
いつもと同じおにぎりが今日は味気ない
選んだのは、いつもと同じ鮭のおにぎりと野菜ジュース。何度も買っているのに、今日はどうしても味がしなかった。美味しいかどうかよりも、「ひとりで食べている」事実が心に先に染み込んでくる。食べ物は、誰と食べるかで味が変わるという言葉を思い出して、まさにそれだと実感した。
レジの温めますかが妙に沁みる
「温めますか?」と聞いてくれたレジの店員さんの声が、なんだかとても優しく感じた。実際はいつものマニュアル通りなのに、それでも自分のために声をかけてくれた、という事実がありがたかった。人とのふれあいが極端に少ないと、こんな些細な言葉でも心に残る。ひとりでいるということは、誰かの一言がこんなにも沁みるということなのだ。