仮差押えと愛と嘘と登記

仮差押えと愛と嘘と登記

ある朝の仮差押え通知

朝のコーヒーにありつく前に、机の上に分厚い封筒が置かれていた。差出人は匿名、内容は仮差押えの依頼書だった。
「また妙なのが来たな……」思わず声に出る。差押え対象は地方のボロアパート一棟。依頼の理由が妙に曖昧だ。
事務所にはまだサトウさんの姿はなく、静かな朝にこの分厚さはやけに重い。

書類の山とコンビニおにぎり

コーヒーの香りよりもインクと封筒の匂いが濃い。やけに丁寧な字で書かれた依頼文には、見慣れぬ漢字も多く、まるで推理小説の前振りみたいだ。
仮差押えの対象者の名前には覚えがある。たしか数年前、贈与契約の登記で揉めた案件だったような気がする。
そのときの依頼人の顔は思い出せなかったが、妙な胸騒ぎだけが残った。

謎の依頼者が残した封筒

差押えの根拠とされる「債権契約書」はコピーされて同封されていた。だが内容が妙に薄い。「交際費」「プレゼント代」「精神的苦痛への補填」――まるで恋愛相談所の請求書のようだ。
これで仮差押えが通るかといえばグレーだが、逆に言えば通ってしまうこともある。
封筒の中にあったメモだけが決定的だった。「彼女に逃げられる前に――愛を取り戻してくれ」とあった。

仮差押え対象は「愛人契約」

「愛人契約の差押え……昭和か」と思った。
だが登記簿謄本には、確かに対象者が所有する古アパートが載っていた。そして仮登記の履歴には、依頼人と思われる男性の名前も見つかった。
奇妙なつながりに、昔どこかで読んだ「キャッツアイ」みたいな物語が重なってきた。宝石のかわりにアパート、それが今の時代なのか。

債権額が示す不自然な金額

請求額は398万円。絶妙な金額だ。少額訴訟の限度額をわずかに越え、簡易裁判所での調停をギリギリ避けられる。
素人が思いつく額ではない。裏に誰か、計算ずくの人物がいる可能性が高い。
となれば、この書類を用意したのは依頼人本人ではなく、別のプロかもしれない。

登記簿に記された旧姓の女

対象者の名前の横には、旧姓がカッコ付きで残っていた。あのときの登記簿にも、同じ苗字があった。
つまり、依頼人と対象者は以前、共有名義で何かを所有していたということになる。
元恋人、あるいは内縁関係にあった可能性が出てきた。

サトウさんの鋭すぎる推理

出社したサトウさんが書類を見るなり言った。「この契約書、フォントが新しすぎます。去年出たOSにしかない書体です」
彼女の目は相変わらず鋭く、そして冷たい。
「これ、最近作った偽造文書ですね。元恋人の不動産を押さえて復讐しようとしてるんじゃないですか?」

浮かび上がる「恋人未満債務者」

恋は盲目と言うが、司法書士は盲目ではいられない。
依頼書の筆跡と、3年前にうちに届いた他の事件の資料が同一人物のものだと気づいたのは、実は僕だった。
復讐劇に見せかけた、自作自演の登記詐欺だ。

やれやれ、、、俺の出番か

「このまま申請出しても、いずれバレますよ」と言ってサトウさんは紅茶を飲んだ。
やれやれ、、、元野球部としては、こんな変化球を投げ返すのは苦手だ。
でもここでバットを振らなきゃ、司法書士としてのプライドが泣く。

現地調査と昭和なアパート

アパートは、ドラマのロケにでも使われそうな昭和建築だった。外壁はうっすらとカビ、ポストはチラシで溢れていた。
目的の部屋は角部屋。インターホンは壊れていて、ノックしても応答がない。
こっそり覗くと、窓際に茶色く日焼けした封筒があった。

表札のない部屋と鍵の音

ドアに表札はなく、誰が住んでいるのかも分からない。
が、近隣住民に聞き込みをしたところ「若い女性と、中年の男がときどき出入りしていた」とのこと。
サトウさんが調べた契約書の住所とも一致した。

部屋に残された登記識別情報

不自然なことに、部屋のポストに「登記識別情報」の控えが残っていた。しかも、封筒の名前は消されていた。
つまり、誰かがわざとそこに置いていった可能性がある。情報漏洩を装った、捏造証拠作り。
これで仮差押えをかけて、世間的に相手を陥れようとしていたのだろう。

仮差押えをめぐる三角関係

調べていくうちに、依頼人と対象者の間にもう一人、共通の知人が浮かび上がった。
かつての共同経営者で、今は別会社を経営している男だった。
動機は金と嫉妬。まるで昼ドラみたいな構図だ。

差押えは愛の証明なのか

「彼女のことを思ってやったんです」と依頼人は言った。
だが仮差押えで愛が証明できるなら、世の中の恋人たちはみな登記所に通うだろう。
僕はため息をついた。やっぱり、愛と登記は両立しない。

別れた女と消えた債権

彼女はすでに別の町で静かに暮らしていた。仮差押えの通知が届いたことで、彼女は過去の関係を全て精算する決心をしたようだった。
僕たちの報告で、依頼人の差押え申請は取り下げられ、事件は表沙汰にはならなかった。
だが何も残らなかったわけではない。傷跡だけが、きれいに登記された。

事件の裏にあった別の契約

最終的に浮かび上がったのは「恋人契約書」ではなく、「遺言の仮文案」だった。
依頼人は過去に彼女を相続人に指定しようとしていたのだ。仮差押えは、その証拠隠滅のためだった。
「やるならもっと上手にやってくれ」と心の中でつぶやいた。

「贈与」か「貸付」か、それが問題

贈与であれば返す必要はない。だが貸付なら、証明が必要になる。
この境界線が、司法書士の腕の見せどころだ。
結局、依頼人の債権主張は曖昧すぎて、登記実務の壁に跳ね返された。

隠された真実と真の依頼人

最後に分かったのは、実際の申請書を提出しようとしていたのは依頼人ではなく、その元共同経営者だった。
彼が依頼人のフリをして、全てを操作していたのだ。復讐に見せかけた別の復讐。
登記の世界では、名前よりも“意志”の所在が大事なのだ。

司法書士が見抜いた真実

「やれやれ、、、こんなことで野球部の読みが役立つとはな」
僕はそっと依頼書をシュレッダーにかけた。依頼人には警告文を送り、関係者には記録を保全するよう伝えた。
今回の報酬はゼロだが、妙に充実感があった。

仮差押えの意図は別にあった

真実はいつも登記簿の裏にある。愛も、嘘も、失われた過去も。
人の想いが絡んだ登記案件は、ただの事務作業では終わらない。
サトウさんは一言、「ロマンチストは損ですね」とだけ言った。

最後に笑ったのは誰か

事件は解決した。でも、誰が得をしたかはわからない。
依頼人は未練を断ち、彼女は前に進み、僕たちはいつも通りの事務所に戻る。
ファイルを棚に戻して、僕はコーヒーを淹れた。今日もまた、別の誰かが恋と登記の境界線で迷っているのだろう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓