冷めたままのコーヒーを何杯も飲む日々に思うこと

冷めたままのコーヒーを何杯も飲む日々に思うこと

冷めたままのコーヒーを何杯も飲む日々に思うこと

朝淹れたコーヒーが、飲まれることなく何時間も机の上で冷めきっていく。そんな日が、気づけば日常になっていた。地方で司法書士をやっていると、派手な出来事は少ないけれど、小さな焦りや孤独がじわじわと溜まっていく。誰に見せるわけでもない、冷えたコーヒーの数が、その日の“余裕のなさ”を物語っている気がする。温かいうちに飲みきれた日は、ほんの少しだけ、自分を褒めてやりたくなる。

午前中からすでに手がいっぱい

司法書士の朝は、電話とメールと書類確認の嵐から始まる。今日も、朝9時から相続登記の確認に追われ、10時には銀行からの電話、11時には飛び込み相談者への対応。時計を見れば、コーヒーを淹れてからすでに2時間。マグカップに手を伸ばした時には、冷たい液体が待っている。これを温め直す余裕すらなく、「まあ、飲めればいいか」と口をつける。気づけばその繰り返し。温かいうちに飲める日は、奇跡に近い。

登記の確認、電話対応、急ぎの相談

事務所の朝は静かに始まるが、すぐに戦場になる。登記のチェックはミスが許されず、電話応対では専門用語をわかりやすく説明しなければならない。急ぎの相談者には丁寧に向き合いたいが、内心は「今じゃなければ…」という思いでいっぱいだ。それでも、目の前の人の不安に寄り添うのがこの仕事。そんなこんなで、気がつけば机の端で冷たくなったコーヒーが、こちらを見つめている。

いつも「あとで飲もう」と思ってる

「あとで飲もう」。この一言が、今日も何度も頭の中を巡る。「今じゃない」「もうちょっとだけ待って」「すぐ終わるから」。でも、その“すぐ”は大抵やってこない。コーヒーは冷め、やがて飲み干す気も失せる。それでももったいないから、渋々飲む。そんな日常の積み重ねが、自分の優先順位がいつも一番最後になっていることを象徴しているようで、少しだけ胸が痛む。

コンビニ弁当をかき込む13時のルーティン

昼休みといっても、きっちり1時間とれるわけじゃない。たいていは13時過ぎに、ようやく空腹を思い出す。コンビニで買った弁当をレンジにかける時間すら惜しく、冷たいまま食べる日もある。口に運びながらも、メールをチェックし、次の予定を頭の中で整理する。そんな姿をふと鏡で見て、「俺、何やってんだろうな」とつぶやいた日があった。

温める暇もなく、メールチェックが先

弁当をレンジに入れるより、クライアントからのメール返信を優先してしまう。それが“信頼される司法書士”の条件だと、どこかで思い込んでいる自分がいる。だけど、温かいご飯を食べることすら後回しにする生活って、果たして健全なんだろうか。食べ終えたあと、いつも残るのは満腹感より、虚しさのようなものばかりだ。

「あれ?今日ご飯食べたっけ?」という毎日

時々、本気で昼ごはんを食べたか思い出せない日がある。そんな時は、ゴミ箱の中の空容器を見てようやく思い出す始末。食事がただの“義務”になっていて、味も感動もない。ただ栄養を入れて動き続けるだけの機械のような毎日。これが、独立して自由になったはずの自分の姿かと思うと、笑えてくる。

相談者の「助かりました」に救われる瞬間

そんな中でも、たった一言の「助かりました」に、すべてが報われることがある。ある老夫婦が、相続の相談で涙ながらに感謝してくれた日のことは今でも覚えている。「先生がいてくれてよかった」と言われた瞬間、涙が出そうになった。でも、その感動が夜になると、なぜか「疲れたな」に変わってしまうのが、また自分らしい。

でも、感謝の裏で心に残るのは「疲れたな」

感謝されても、心の底から喜べない自分がいる。ありがとうの言葉のあとには、決まってどっと疲れが襲ってくる。たぶん、感情の揺れ幅が大きすぎるのだろう。全力で向き合っているからこそ、終わったあとに魂が抜けたようになる。そんな日は、冷えたコーヒーがいつもより苦く感じる。

感情の振れ幅が大きくて夜に響く

相談を終えてからの夜は、なぜか妙に静かだ。部屋で一人、ふとスマホを見ては溜め息をつく。YouTubeのおすすめに出てくるのは、なぜか“ストレス解消法”とか“疲れた心を癒す音楽”。笑ってしまうけど、再生してしまう自分がいる。明日もまた冷めたコーヒーを飲む日になるだろうと、わかっていながら。

人に話す機会がないと、愚痴が溜まるだけ

職業柄、愚痴をこぼす相手がいない。事務員さんには言えないし、同業の友人とは年に数回しか会わない。家族も遠く、独り言がどんどん増えていく。SNSも見るだけで、自分から発信する気力はない。「もうちょっと誰かと話したいな」と思った時には、また日付が変わっている。

それでも「一人で頑張る」は選んだ道

一人でやると決めたのは自分だ。他人のせいにはしたくない。でも、だからこそ「もう限界かも」と思っても、誰にも頼れないのがつらい。逃げ道がないから、ただ耐えるだけの日々になってしまうこともある。強がってるようで、実はけっこうギリギリだったりする。

「頑張ってるね」と言われるたびに、寂しさも募る

「頑張ってますね」って、たまに言われると嬉しい。でも同時に、「この人は、俺がどんなにしんどいかは知らないんだろうな」とも思ってしまう。人の優しさが刺さる夜もある。頑張りすぎると、誰かに甘えることも、許せなくなるんだろうか。

司法書士の世界は、甘くないけど孤独ではない

この仕事は、厳しさと誤解がつきまとう。でも、同じように頑張ってる仲間はいるし、自分のやるべきこともある。それが見えなくなるくらい疲れてしまう日があるだけだ。冷えたコーヒーは、そんな日々を象徴している。でもそれでも、飲み干してまた明日を迎える。それが、司法書士という職業なのかもしれない。

コーヒーが冷めても、自分の情熱までは冷やさないように

何度も冷めたコーヒーを飲んできたけど、自分の中にある「誰かの役に立ちたい」という気持ちだけは、意外と冷めていない。どれだけ愚痴をこぼしても、この仕事を続けているのは、その気持ちがあるからだと思う。温かさを取り戻せる日はきっとくる。そう信じている。

あなたのコーヒーは、今、温かいですか?

もしこれを読んでいるあなたも、冷めたコーヒーを何杯も飲んでいるなら、少し立ち止まってほしい。温かいうちに飲めるような、そんな余裕を、意識的に作ってほしい。あなたが頑張っていることは、誰かにちゃんと伝わっている。だから、今日くらいは、少し温かいコーヒーを飲もうじゃないか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。