依頼人の笑顔だけが背中を押してくれる日々

依頼人の笑顔だけが背中を押してくれる日々

依頼人の笑顔が唯一の救いに思える日がある

「今日はもう帰りたいな…」と朝から思ってしまう日が、年々増えてきた。地方でひとり司法書士事務所を構えて十数年、忙しい時期が過ぎ去ることはない。最近では電話の音すら怖くなることがある。行政からの通知、金融機関からの確認、そして当然ながら依頼人からの問い合わせ。どれも仕事だから当たり前なんだけれど、心が疲れてくると、すべてが責められているように聞こえてくる。そんな中、ふとした瞬間に見える依頼人の笑顔が、妙に心にしみることがある。それだけが「今日まで何とか頑張れた理由だな」と思わせてくれるのだ。

事務所の中に流れる沈黙と疲労感

朝、事務所のドアを開ける。まだ誰も来ていない、音のない空間。デスクに座り、昨日処理できなかった登記の書類を見ながら、ふとため息をつく。いつも一緒に働いてくれている事務員も、声をかける余裕がないほど忙しい日がある。会話のない時間が続くと、まるで機械のように自分の体も心も働かされているような感覚に陥る。こんなはずじゃなかったと感じながら、それでも依頼は次から次へとやってくる。

電話が鳴るたびに身構える毎日

昔は電話が鳴るとワクワクした。「新しい案件かもしれない」と期待していた時期もあった。でも今は違う。何かトラブルか、クレームか、そんな不安の方が先に立ってしまう。電話に出る前に一呼吸置き、声を作ってから受話器を取る。無理に明るくしている自分が、ますます疲れさせる。だけど、それがこの仕事だと自分に言い聞かせる。

怒鳴られた数だけ落ち込んでいく心

説明しても理解してもらえなかったり、書類の手違いで怒られたりする日もある。こっちは命を削ってるつもりでも、依頼人にはそんな裏事情は関係ない。正直、理不尽だなと思うこともある。でも、感情をぶつけるわけにもいかない。気づけば夜、ひとりになった事務所で深いため息。なんのためにやってるのか、自問する夜もある。

「ありがとう」の一言にすがるようになっていた

そんな中で、「助かりました」「ありがとう」と言われたとき、想像以上に心が反応する。昔は当たり前の言葉として聞き流していた気がするのに、今ではそれが唯一の救いになっている。自分の存在が少しでも人の役に立てたと実感できる瞬間。それを頼りに、なんとか自分を保っている。

褒められたわけじゃない でも嬉しかった

先日、ある高齢の依頼人が手を合わせて「ほんとうに、ありがとうございます」と頭を下げてくれた。過剰なほど丁寧な礼に、逆に申し訳なくなった。でもそのとき、何かがふっと軽くなるような気がした。褒められたわけでも、賞賛されたわけでもない。それでも、自分の仕事が誰かの心に触れたことが嬉しかった。

依頼人の笑顔に罪悪感すら覚えるとき

その笑顔を見て「こんな自分で本当に良かったのか」と不安になることもある。もっと丁寧にできたかもしれない。もっと時間をかけられたかもしれない。なのに、それでも笑顔を向けてくれる依頼人に、こっちが救われている。救われているくせに、心のどこかで後ろめたさもある。

やめようかなと思った夜にふと思い出す表情

「もう限界かもしれない」そう感じた夜に、ふと頭に浮かぶのは怒鳴られた声ではなく、笑顔で帰っていった依頼人の姿だったりする。何気ない一言や、何も言わずに差し出されたお茶菓子。あの人たちの優しさが、辞めたい気持ちをぎりぎりのところで踏みとどまらせてくれる。

仕事の大変さより孤独がしんどい

処理する書類が多いことよりも、「誰にも頼れない」感覚の方が堪える。相談相手がいないまま判断を下し、責任も全部自分で背負う。誰かに「大丈夫だったよ」と言ってほしくなるときもあるけれど、言ってくれる人はどこにもいない。そんなとき、自分の仕事に意味があるのか疑いたくなる。

相談できる相手がいるありがたさと不在

昔の同期に電話してみようかと連絡先を探すが、結局かけられずに終わる。みんな忙しくしているのだろうし、弱音を吐くこと自体が恥ずかしい気もする。独り言ばかりが増えた日々の中で、「今の自分は誰かの役に立てているのだろうか」と、ぐるぐる思考が巡る。

ひとりで抱えることに慣れたくなかった

司法書士という仕事は、ある意味“孤独との戦い”でもある。だからこそ、誰かと分かち合える時間があればと思う。慣れることで強くなったように見えて、実は弱さを内側に押し込めているだけかもしれない。そんなふうに考えていたときに、ふと依頼人のあたたかい表情を思い出して、また明日もやってみるかと思える。

司法書士としての自分に価値があると思えた瞬間

報酬でも評価でもなく、依頼人の笑顔が「あなたで良かった」と伝えてくれるときがある。その瞬間だけは、長年の疲れがほんの少しやわらぐ。司法書士という仕事は、地味で報われづらい。でも、誰かの人生のほんの一場面に関われる尊さを感じられたとき、自分の存在を少しだけ認めてあげたくなる。

笑顔の裏にある安心を想像するようになった

以前は結果がすべてだと思っていた。完璧な書類、期限内の処理、迅速な対応。でも最近では、「この人が安心して帰れたかどうか」が気になるようになった。依頼人の笑顔は、ただの満足ではなく、安心の表れだと思う。その安心を届けられる存在でありたいと思うようになった。

結果より「気持ちが軽くなった」の言葉

「手続きが終わって、気持ちが軽くなりました」そう言って帰っていく依頼人がいた。形式的な完了より、心の整理がついたことの方が、その人にとっては大きかったのかもしれない。司法書士として、そんな心のケアまでできていたなら、それは小さな誇りだ。

誰かの人生の一部に関われたという実感

人生の節目に立ち会うことが多い仕事だ。相続、離婚、会社設立、住宅購入…。そのどれもが、その人の人生の大きな転機だ。そこに立ち会い、支えることができたという事実は、たとえ小さくても大きな意味を持つ。依頼人の笑顔が、それを証明してくれる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓