助けてって言えない月曜日に、また一人で事務所を開ける

助けてって言えない月曜日に、また一人で事務所を開ける

月曜日が来るのが怖い、という感覚

月曜日になると、心のどこかがざわつく。これは何も特別な事件があるわけじゃない。むしろ何もないのがつらい。週明けというだけで、電話が鳴る気がして、メールが溜まっている気がして、あらゆる「やらなきゃ」に押し潰されそうになる。誰かに「ちょっと代わって」と言えたらどんなに楽だろう。でも、自営業にそんな甘えは許されない。月曜は、誰からも気にされないまま始まり、誰にも気づかれずに終わる。それが何年も続いている。

休んだ気がしない週末と、溜まった書類の山

日曜の夜、ふと机の上を見ると、結局処理しきれなかった書類が小山になっている。「明日の朝でいいか」と思った瞬間に月曜日の呪いは始まる。土曜日も事務員がいなかったり、お客様からLINEで「ちょっとだけ相談」なんてメッセージが来たりして、結局何もしていないようで脳は働きっぱなしだった。唯一休めた時間は、夕飯にスーパーのカツ丼をかきこむ10分間だけだった気がする。そんな休日のあとにやってくる月曜日に、僕の心が反応しないはずがない。

「今日はゆっくりしよう」が叶ったことなんてない

何度「日曜はゆっくりしよう」と決意しただろうか。ベランダで読書でもして、お昼は近所の定食屋で生姜焼き定食でも食べよう。そう思って目覚めた日曜の朝、まずスマホの通知にげんなりする。役所からの補正連絡、依頼者からの急ぎの変更依頼、いつの間にか義務になっているTwitter更新。気づけばパジャマのまま15時を迎え、やっとシャワーを浴びる。そんな休日に癒やしがあるわけもない。だからこそ、月曜に立ち向かうエネルギーが残っていない。

どこかで誰かが動いている気がして焦ってしまう

日曜に完全に休んでしまうと、月曜に取り残されるような不安がある。「他の事務所はもう動いてる」「あの司法書士は土曜も営業してる」。そんな焦燥感が、僕を机に向かわせる。自営業というのは、自由であると同時に、誰にも守られていないということ。昔の友人が会社員時代に「月曜がだるい」と言っていたけれど、いまやその“だるさ”すらうらやましい。月曜に動かないという選択肢が、自分にはないのだと実感する。

誰にも言えない「行きたくない」の気持ち

「今日は行きたくない」——そんな言葉が口にできたのは、たぶん学生の頃までだった気がする。大人になると、特に一人で事務所を構えてしまうと、気分で休むことができなくなる。誰も代わりがいないからだ。事務員さんはもちろん休んでいい。でも代表の自分は、どんな気分であろうと“開ける人”であり続けなければならない。その重みを、月曜の朝は特にはっきり感じる。

士業なのに、逃げたいと思う自分が情けない

「士業」なんて立派な肩書きに守られているように見えるけれど、その実情は思った以上に脆い。自分の機嫌がそのまま業務に影響し、収入にも直結する。そんな中で「逃げたい」と思ってしまう自分が情けなくなることがある。もっと強くならなきゃいけないのに、と思いながら、駅前のファミマで立ち読みして30分をつぶす月曜の朝。そんな小さな逃避が、また自分を責める材料になる。

「月曜が憂鬱」なんて、甘えだろうか

「月曜が憂鬱」と口にするのは、なんとなく気が引ける。もっと過酷な仕事をしている人はたくさんいるし、そもそも休みなく働いている人だっている。そう思うと、憂鬱を感じる自分が甘えている気がしてならない。でも、人のしんどさに比べて自分のつらさが軽くなるわけじゃない。誰かと比べて我慢するのではなく、自分の中でちゃんと「つらい」と認めてやらないと、どこかで壊れてしまう。そんなことすら、一人の月曜には確認できない。

誰かが助けてくれると思っていたあの頃

開業したばかりの頃は、正直なところ「困ったときは誰かが何とかしてくれるだろう」と思っていた。仕事が回らなくなれば業者に頼めばいいし、人間関係もどうにかなる、と楽観的だった。でもそれは甘かった。実際には「ちょっと手伝ってくれない?」と頼める相手はそうそういない。特に地方の事務所では、外注やネットワークの限界もあり、結局「全部自分で」が日常になる。

開業当初の“淡い幻想”

開業前は、「やりがいのある仕事」「感謝される毎日」を夢見ていた。でも、現実は締切と問い合わせの繰り返し。専門知識だけでは解決できない人間関係や書類のやりとりに、精神をすり減らしていく。事務員さんに「今日は人と話すの疲れました」とぼやいたら、「え、そんな風に見えないですよ?」と返された。表では何でもない顔をして、裏ではヘトヘト。そんな日々の連続だ。

「事務員さんがいれば何とかなる」と思っていた

事務員さんを雇えば業務が楽になる——そう思っていた頃もある。でも、現実はそう簡単ではない。指示の出し方一つで誤解を生んだり、説明の手間が増えたり。助けられることもたくさんあるけれど、根本的に自分がやらなきゃいけない部分が減るわけではない。むしろ「自分の不調を隠して機嫌を保つ」という追加タスクが生まれる。ひとりの方が楽かも、と思う日すらある。

「困ったら誰かが支えてくれる」は幻想だった

いざというとき、誰かが手を差し伸べてくれると思っていた。でも、結局は自分でやるしかない。昔の同期に「今どんな感じ?」と聞いてみても、「まあなんとか」と返ってくるだけ。誰も本音は語らないし、語る場もない。SNSで「大変でしたけど無事終わりました」なんて投稿を見るたびに、自分だけが取り残された気になる。助けを求められない日々は、じわじわと孤独を積み重ねていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。