血痕の署名

血痕の署名

血痕の署名

その権利証を手に取った瞬間、違和感が走った。紙の質感でも印字のフォントでもない。表紙の隅に、小さく赤黒い滲みがあったのだ。

まるで血が乾いて染み付いたような跡。司法書士という職業柄、数多くの書類を扱ってきたが、こんなものは初めてだった。

「普通、インクじゃないですかね」と、サトウさんが塩対応気味に呟いた。だが、彼女の目は真剣だった。

朝の来客と権利証

その日、事務所には久しぶりにネクタイを締めた男が現れた。遺産分割協議書と共に、権利証の登記手続きを依頼してきた。

依頼人は兄の死後、ようやく相続登記に動いたという。だが、その兄の死亡日と、権利証の発行日が不自然に近い。

「この登記済証、、、何か臭うな」と、俺の中の名探偵毛利のおっちゃんがささやいた。

サトウさんの沈黙

普段なら皮肉の一つも返してくるサトウさんが、書類を手に取ったまま沈黙した。彼女の視線の先には、あの血痕があった。

「これは、、、赤インクじゃないですね」とポツリ。俺はすぐさま拡大鏡を引き出した。虫眼鏡ではない。ちゃんとした司法書士用のだ。

「やれやれ、、、俺の平穏な月曜日はどこへ行ったんだ」と愚痴をこぼす俺の横で、サトウさんはスマホを操作していた。

登記済証に浮かぶ赤い点

拡大して見ると、その赤はインクではなく、明らかに滲んでいた。紙繊維の奥まで浸透していて、乾いた血液のように見えた。

「警察に提出しますか?」とサトウさん。だが、それでは終わってしまう。司法書士としての直感が、もっと深い闇を告げていた。

「いや、まだ待て。まずはこの依頼人の言動を洗ってみよう」と俺は言った。いつもなら彼女に叱られるのだが、この時は無言で頷いていた。

亡き依頼人と新たな相続人

故人は孤独死だった。近所との付き合いもなく、病院で一人静かに息を引き取ったらしい。火葬されたのは十日前。

だが、それにしては早すぎる。死亡診断書の発行から登記書類が揃うまでの期間が、異様に短いのだ。

そして、その権利証が発行された日付も、何かが噛み合わない。あまりにも用意が良すぎた。

やれやれ、、、また厄介な依頼か

俺の脳内では、サザエさんの波平が「バッカモーン!」と叫んでいた。そう、これは単なる事務手続きでは終わらない。

「これは俺たちの仕事の範囲外だ」と一度は言ったが、どこかで誰かが泣いている気がしてならなかった。

やれやれ、、、自分が面倒を引き寄せる性分だということを、いい加減認めないといけないかもしれない。

昔の物件と現代の闇

問題の物件は、昭和の終わりに建てられた古いアパートだった。近年は空き家同然で、固定資産税の滞納も続いていた。

その物件を相続した男は、すぐに転売しようとしていた。しかし、買主の名義がなんと、、、元反社団体の代表だった。

「そういうことか」とサトウさんが呟いたとき、背中に氷を流し込まれたような寒気がした。

法務局での違和感

登記申請の確認のため、法務局を訪れた。窓口の担当者が、書類を見て一瞬表情を曇らせたのを、俺は見逃さなかった。

「すみません、この登記済証、、、再発行された記録がないですね」とのこと。つまり、誰かが偽造した可能性がある。

まさか血痕を使って印象操作を? そんな猟奇的なことが、この町で起こるなんて、、、

消えた原本と復活した登記

古い登記簿の原本が、なぜか法務局から紛失していたという事実も判明した。タイミングは一週間前。依頼が来る直前だ。

「偶然が重なりすぎてる」と俺が言うと、サトウさんが「偶然という名の必然ですね」と冷静に返す。

この町にもキャッツアイが現れたのか、と内心つぶやいたが、もちろん口には出さなかった。

サトウさんの推理

「犯人は、血痕をあえて残すことで、書類が本物であるかのように見せかけたんです」とサトウさんが言った。

「じゃあ、、、誰の血?」と俺が聞くと、「登記の依頼人本人の可能性が高いですね。つまり、、、」と、彼女の声が静かに落ちる。

俺はようやく気づいた。あの依頼人は、他人になりすましていたのだ。兄の死を利用して、自らの登記を完了させようと。

判子の位置に潜む証拠

捺印された印影の位置が、通常の位置からわずかにずれていた。その隙間に、血痕が滲んでいた。

つまり、押印された後に流れ出した血。事故ではなく、故意だった。あの場で、何かが起きていたのだ。

俺たちは警察に通報し、書類ごと提出することにした。司法書士の役割を、超えてはならない一線もある。

警察より先にたどり着いた真相

後日、警察からの報告で、あの依頼人が他人の身分で生きていた詐欺師であることが判明した。

血痕は、本人が負傷した際に付着したものだった。焦って印鑑を押した際、自ら出血したらしい。

詐欺と相続登記を巧妙に組み合わせた悪質な事件だったが、最終的に手続きは抹消され、正当な相続人に戻された。

司法書士の一手

俺たちの仕事は「正確に処理する」ことに尽きる。だが、今回ばかりは、「見抜く」必要があった。

それを可能にしたのは、サトウさんの観察力と、、、俺のうっかり癖が生んだ虫眼鏡のおかげだ。

「結局、うっかりが役に立つんですね」と言われて、苦笑いしかできなかった。

血痕は誰のものだったのか

法医学の結果、血液型はO型。偽依頼人のものと一致した。やはり、あの場で何かしらの暴力があったようだ。

しかし、被害届は出ていない。つまり、何か別の脅しや利権が背後にあった可能性も否定できない。

俺たちは、深追いせず、静かに事件の幕引きを見届けた。

登録免許税の裏側にある動機

物件の売却益は数百万円。だが、名義変更によって課税回避が可能になっていた。動機は金。いつの時代も変わらない。

それでも、血まで使って書類を偽るなんて。法の世界の中に、そんな泥臭さが潜んでいるとはな。

やれやれ、、、これだから俺は、書類の裏側を見る癖がついてしまう。

事務所に戻った二人の会話

「今回は、良い仕事でしたね」とサトウさんが言った。珍しい。褒められるとむずがゆい。

「じゃあ、昼飯でも、、、」と誘おうとしたが、「あ、私今日は用があるので」とスパッと断られた。

やれやれ、、、結局モテない人生に事件の後味まで加わって、俺はまた一人でラーメンを啜るのだった。

書類は真実を知っている

人間は嘘をつく。でも、書類は嘘をつけない。そこに残った一滴の血が、それを証明していた。

司法書士という仕事は、書類と向き合いながら人間と対峙する仕事だ。正確さだけでは足りない時がある。

俺は今日も、机の上に積まれた書類の山と向き合いながら、次の「真実」に出会う準備をしている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓