書類に囲まれてるだけの自分って誰なんだろう
朝から晩まで、目の前にあるのは書類だけ。人と関わる仕事のはずなのに、気づけば机の上に並ぶ紙束としか向き合っていない。登記申請書、委任状、戸籍謄本、登記事項証明書…。誰かの人生の転機を支えているはずなのに、自分の人生はこの紙の山に埋もれているような気がしてならない。昔は「司法書士って、かっこいい仕事だよね」なんて言われたこともあった。でも今はもう、自分が何者だったか、たまにわからなくなる。
人と関わる仕事のはずなのに人がいない
書類を受け取る相手はたいてい顔を合わせない。依頼者も不動産業者も、連絡は電話かメール。郵送で済むやりとりが増えたことで、ますます人の温度が消えていった。事務所に一緒にいる事務員さんと軽い会話はあるが、彼女だって気を遣ってくれているのがわかる。昔は現場にも足を運んだ。お客さんの家にも出向いた。でも今は、外に出る理由が減ってしまった。
ありがとうより先に届くのは請求書
「おかげさまで登記が無事終わりました、ありがとうございました!」そんな言葉を最後にもらえたのは、もういつの話だっただろうか。いま届くのは、振込通知と請求書の要望メールばかり。もちろんそれが仕事なんだけど、心が欲しがってるのは報酬よりも、せめて一言の「ありがとう」だったりする。自分の手間と時間で何かを助けた感覚が、日々薄れていく。
報酬の振込通知だけが今日の会話だった
スマホに届いた銀行アプリの通知。◯◯様より入金がありました。朝から一言も誰とも話さず、終業間際にやっと届いたのがその通知だけだった日がある。いや、そんな日が増えてきている。報酬をもらってありがたいはずなのに、なぜか満たされない。仕事は順調なのに、心の中は空っぽのまま。そんな自分に気づいても、やることは変わらない。明日もまた同じような書類が、山のように待っている。
登記が終わっても僕の人生は前に進まない
申請が完了し、登記が完了し、依頼者に報告をして…。一つの案件が終わるたび、「これで一区切り」と思う。でも自分の人生は、そのどれとも関係ない場所にある。何かが動いた気配がしても、それは他人の人生の出来事であって、自分の歩みではない。まるで自分だけが止まった時計の中に取り残されているようだ。
今日も机から一歩も出なかった
今日は天気が良かったらしい。昼休憩を取る間もなく、書類を確認して、押印して、スキャンして、また電話対応。その繰り返しのうちに日が傾き、気づけば夕方。トイレと給湯室にしか行っていない。外の空気を吸っていないと、身体じゃなくて心の調子が悪くなる。わかってるけど、目の前の山を片づけないと次の日が回らない。
窓の外は晴れているのに気づいたのは夕方
ふと時計を見たのが17時半。窓から差し込む夕陽が、事務所のファイルボックスに色を落としていた。「ああ、今日は晴れてたのか」そんなささやかな気づきすら、夕方になってやっと得られる。それすら得られない日もある。晴れてることも、雨が降ってることも、事務所の中では実感できない。そんな場所にずっといると、人として大事な何かを失っていくような気がしてならない。
仕事を終えても心は休まらないまま
業務が終わっても、どこか肩に力が入ったまま。気がつくと、無意識にメールをチェックしている。急ぎの案件がないか、ミスがなかったか、不安が先に立つ。風呂に入っていても、晩飯を食べていても、ふと心が仕事に戻ってしまう。体を休めても、心はなかなか緩まない。こんな日々を繰り返して、本当に健康でいられるのか、時々不安になる。
孤独という相棒と付き合う技術
一人で事務所を運営していると、孤独は常に隣にいる。事務員さんがいてくれるありがたさはある。でも、根っこの部分での孤独は消えない。判断をするのも、責任を負うのも、最終的には自分ひとり。仕事が落ち着いた時間にふと、その重みに押しつぶされそうになるときがある。
事務所に響くのはキーボードの音だけ
パチパチと響くキーの音、それだけがBGMのような日がある。ラジオをつける気にもなれず、音楽を流す気力もない。ただ、静かに、淡々と業務をこなす。音がないというより、感情が入る隙間がない。無音に近いこの環境が、自分の心をどこか削っていっている気がする。けれど、それに気づかないふりをして、今日もまたデスクに向かう。
元野球部だったあの頃は声を出す場所があった
高校時代、僕は野球部だった。グラウンドに出れば声を張り、仲間と叫び合い、勝利を目指して走っていた。声を出すのが当たり前だった日々。今、その声はどこへ行ったのか。事務所では小声での電話対応がほとんどで、大声を出す機会などない。昔の自分が今の僕を見たら、どう思うだろう。声を出すという行為が、こんなにも大切なことだったなんて、今になってわかった。
球を追ってた時間と今の時間を比べてしまう
土まみれになって白球を追っていた頃は、苦しくても「自分が生きてる」と感じていた。今は、きちんと業務をこなして、クレームもなく、毎日同じように時間が過ぎていく。その均一さが、逆に心に影を落とす。何も起きないことが「順調」であるとわかっていても、それが幸せかと問われると、返事に詰まってしまう。
それでも続ける理由を少しだけ考えてみた
こんな日々でも、やめようとは思っていない。たまに届く感謝の言葉、手続きが完了してホッとした依頼者の声。そんな小さな出来事が、心のどこかに火を灯す。それだけで報われる日もある。たとえそれが年に数回でも、自分はまだ誰かの力になれていると信じたい。そのために、また明日も机に向かう。