終わったはずなのに なぜか忘れられない
登記業務は基本的に「処理」が中心で、淡々とこなしていく仕事だ。終わればはい次、という感じで、感情の余地はあまりない。けれども、たまにそんなリズムを壊してくる案件がある。書類を閉じた後も、気づけばその依頼人の顔が浮かぶ。内容は特別でもなんでもない。けれどなぜか、ふとした瞬間に心にしこりのように残っている。今回は、そんな心に残った案件について語ってみたい。
書類は完璧でも心は未完のまま
その案件も、手続きとしては何の問題もなく進んだ。ミスもなければ、期限にも余裕があった。登記の完了証が届き、納品もスムーズ。まさに「完璧な処理」だった。けれど、その依頼人が事務所を出て行く背中を見送ったとき、何か心の中にぽっかりと穴が空いたような気がした。終わったはずなのに、終わった気がしない。そういう感覚は、仕事を長くしていると時折顔を出す。
何気ない言葉が心に引っかかる
「これで母もようやく安心してくれると思います」そう言って微笑んだ依頼人の一言が、なぜかずっと残っている。たぶんその方は、こちらが業務の一つとして対応しているだけだと理解していたはず。それでも、自分の人生の一部を託すように語ってくれた言葉は、単なる「処理」を超えていた。ああ、この人にとって今日の登記はただの手続きではなかったんだと、ふと思った。
登記簿の向こうに見える人の人生
司法書士として日々向き合っている登記簿は、法律的にはただの事実の記録だ。でも、その一行一行の裏には、誰かの想いがある。土地を引き継ぐ重み、家を手放す決断、離婚後の複雑な感情。それらすべてが、たった数行の中に詰まっている。そう考えると、「登記が終わればそれで終わり」と言い切れない案件があるのも当然かもしれない。そんな時、少し胸が苦しくなる。
解決したのは案件だけだった
その依頼人は丁寧な方だったが、どこかで何かを抱えていたのだと思う。私はプロとして書類を整え、手続を完了させた。けれど、それだけでは足りなかったような気もする。案件としては確かに終わった。けれど「心配の種」は依頼人の中に残っていたのかもしれない。私はそれに気づいていながら、何もできなかった。いや、できなかったというより、してはいけないと思ったのかもしれない。
「ありがとうございます」の重さ
最後に言われた「ありがとうございました」は、普通より少しゆっくりだった。そのトーンに、何かこらえるような感情がにじんでいた気がする。私は「いえ、お力になれてよかったです」とだけ返したが、それでよかったのだろうかと今でも思う。形式的な言葉が、あの人の心にどう届いたのか。プロとして距離を保つべきだと頭では分かっている。でも、気持ちはそう簡単に割り切れない。
心に残る案件はいつも突然やってくる
毎日淡々と過ごしていると、不意に飛び込んでくる案件がある。予約もなく、急ぎの事情で飛び込んでくるケース。準備も心構えもないまま対応することになるが、そういう時こそ「忘れられない案件」になることが多い。たぶん、心の隙間に入り込んでくる余地があるからなのだろう。
ルーティンの中にひそむ異物感
ある日、いつものように午前中の相談予約をこなしていたら、飛び込みの来訪者があった。見るからに焦っていて、「今日中にどうしてもお願いしたいんです」と言われた。正直、スケジュールは詰まっていたし、断りたい気持ちもあった。けれど、その人の目を見たとき、何か言葉にできない事情を感じた。予定を崩すリスクを背負ってでも、関わらなければいけない気がした。
あの電話からすべてが始まった
その人が最初に電話してきたときの声が、いまだに耳に残っている。「すみません、誰にも頼れなくて……」という言葉に、妙に胸が締め付けられた。司法書士という職業は、ある種の「頼られる存在」ではあるが、そこに「孤独」や「必死さ」が混ざると、違う責任感が生まれてしまう。それがのちの心の重みにつながるのだと、そのときはまだ気づいていなかった。
「急いでるんです」その裏にある事情
急ぎの登記というのは、だいたい事情がある。「家族が倒れた」「売買契約が今夜まで」「離婚協議が揉めている」など、切実な背景が多い。その案件も、最初はただの急ぎの登記かと思っていた。でも途中で分かった。「相続放棄の期限が明日までなんです」と言われ、背筋が冷えた。依頼人の必死さは、状況の切迫感から来ていた。そういう時、人の感情に深く触れる。
なぜあの案件だけ特別だったのか
今でも思い出すときがある。あの案件、なぜあんなにも心に残っているのだろう。決して大きな仕事ではなかった。収入的にも時間的にも「特別」なものではなかった。それでも、何かが違った。多分、それは「感情の深さ」だったのだと思う。司法書士という職業の中で、時々それに飲み込まれそうになることがある。
人として関わってしまったから
プロとしての線を引くのは大事だ。でも、完全に人間関係を遮断して仕事はできない。特に地方での仕事は「顔が見える関係」が前提にある。あの案件では、書類のやり取りを通じて、少しずつ依頼人の背景や気持ちが見えてきてしまった。気づけば「ただの登記」ではなく、「その人の人生の一部を一緒に背負っている」ような感覚になっていた。
線を引けない自分がつらい
終わったあとにどっと疲れが出た。身体というより、気持ちが。自分でも気づかないうちに感情を引きずっていたのだろう。こういう時、「自分は司法書士として失格なのでは」と思ってしまう。他の先生たちは、もっと冷静に対応してる気がしてならない。線を引けない自分が情けない。でも、だからといって機械のようにはなれないのもまた事実だ。
でも、きっとそれが自分のやり方
何度も反省した。でもある日、依頼人から届いたお礼の手紙を読み返して、少しだけ救われた気がした。「あなたにお願いしてよかったです」と書かれていた。それだけでいいじゃないかと思った。たとえ少し遠回りで、効率が悪くても、感情を抱えてでも、きっとそれが自分のやり方なんだと。登記は終わった。でも、心に残ったその重さは、今も自分の中で静かに生きている。