独身貴族って言葉にモヤモヤする朝
「独身貴族」って言われて、何となく笑ってごまかすことが多い。でも、心のどこかで「そんなに楽そうに見えるのか?」というモヤモヤが残る。朝、事務所に向かう途中、ラジオでまたこの言葉を耳にしたとき、つい独り言のように「誰だよ言い出したの」と吐き捨てた。独身=自由でお金があって気楽、みたいなテンプレが一人歩きしてるけど、実際はそんな綺麗事じゃ済まない。
誰がそんな言い方を最初に始めたのか
思えばこの言葉、いつの間にか世間に定着していた。調べてもはっきりした語源は出てこない。でも昭和のドラマとか雑誌から生まれた気がする。バブル期の余韻が残る時代、独身で稼いでる男は「貴族」なんて言われて、ちやほやされていたのかもしれない。けど今は違う。ただの忙しいおじさんで、誰も「優雅」なんて言葉を掛けてくれない。
本当に貴族なら家事なんてしない
仕事が終わって、クタクタになりながら自炊、洗濯、掃除。それを誰に見せるわけでもなく、淡々とこなす日々。これが貴族?笑わせないでほしい。貴族なら召使いくらいいるだろうし、洗濯物は自動で畳まれてるはず。現実は、エアコンの効かない風呂場で洗濯物を干して、乾かないTシャツにため息をつく毎日だ。
仕事終わりのレトルトカレーが現実
帰宅して、冷蔵庫にろくなものがないと気づいたときの虚しさ。結局、棚からレトルトカレーを取り出し、レンジで温めて一人で食べる。別にそれが悪いわけじゃない。でも「貴族」というにはあまりに地味すぎる食卓。せめてスーパーの寿司くらい買って帰ればよかったと、レンゲを口に運びながら反省する。
時間があると思われがちだが現実は逆
独身だと「時間もあるでしょ」と簡単に言われる。会議、役員、地域の雑用、土日関係なく飛んでくる。「どうせ予定ないでしょ?」と笑って言われるたびに、ああこれって独身貴族のイメージだなと実感する。でも実際は、週末の書類整理や調査対応で、スマホのスケジュール帳は真っ黒だ。
急ぎ案件は全部独身のせいになる不思議
「この件、誰か対応できる?」と聞かれたとき、家族持ちには「無理かな?」と一瞬気を遣ってくれる。でも俺には「じゃあお願いしていい?」と即決で降ってくる。独身=いつでも動ける人材、という扱い。その公平さのなさに腹が立つ。でも、断れば「独身なのに何で?」という視線が刺さるのもわかってる。
独身だからって気楽なわけじゃない
誰にも干渉されない気楽さがある代わりに、全部を自分で抱える重たさがある。家庭のことも、感情の整理も、突発のトラブルも、基本的に誰かに相談するという発想がないから、とにかく一人で背負って潰れそうになる。
責任も重くなるし頼られやすくなる
独身ってだけで、組織の中で「動かしやすい」「時間を取りやすい」「遠慮がいらない」と思われている気がする。実際、休日返上や急な対応もよくある話だ。しかもそれに対して誰も悪気がないのが、またモヤモヤする。こちらの生活のペースは完全に他人の都合で決められてしまっている。
頼りにされてるようで使われてるだけ
「やっぱり○○さん頼りになるなあ」と言われると悪い気はしない。けどそれ、ただの都合のいい人ってだけじゃないか?こっちの事情を考慮したうえでの「頼り」じゃない。誰も引き受けないことを、言いやすい相手に押し付けてるだけ。そのうち「独身だからできて当然」みたいな空気になるのが怖い。
休日の当番もなぜか独身が定番
役場の休日窓口とか、町内会のイベント当番とか、なぜか「独身の人で回す」みたいな暗黙ルールがある。一応「家庭の事情を配慮して」って理屈だけど、それって独身は事情がない前提なんだよね。心の中では「こっちにも事情くらいあるわ」と毎回毒づいてる。
自由と孤独は紙一重
誰にも縛られない自由。それは本当にありがたい。でも、それって裏返せば「誰にも待たれていない」「誰にも頼られていない」ってことでもある。ふと仕事の手を止めて窓の外を見たとき、静かな時間が押し寄せる。「この静けさは自由か、孤独か」。そんな哲学みたいなことを、ひとり事務所で考えている自分がいた。
土曜の夜にコンビニで買うビールの重さ
土曜の夜。明るい駅前で、コンビニ袋を提げて歩く自分。袋の中には発泡酒とカップ麺、そして冷凍餃子。誰に見られているわけでもないけど、なぜか肩をすぼめて歩いてしまう。帰ってテレビをつけて、缶を開ける音だけが部屋に響く。「独身貴族」って、そういう生活のどこを見て言ってるんだろう。
モテない人生と向き合う技術
45歳。モテた記憶は特にない。元野球部というプロフィールが使えるのは30代までで、今となっては肩も肘も痛くてボールすら投げられない。いわゆる「恋愛市場」からは遠く外れた存在になっている自覚もある。でも、だからといって完全にあきらめたわけじゃない。少なくとも、どこかで誰かに必要とされたいと思っている。
元野球部の肩はもう上がらない
高校時代の栄光があるとすれば、地区大会でピッチャーをやっていたことくらいだ。でも今は、その肩もガチガチで、電球ひとつ替えるのにも脚立が必要になった。飲み会で「元野球部です」なんて言っても、リアクションは「へえ〜」で終わる。昔話で人は寄ってこないし、今の自分に魅力を感じてもらえる要素が思いつかない。
合コンにも呼ばれない年齢
周囲の友人もほとんどが家庭を持ち、飲み会やイベントの誘いも減った。たまにある「紹介しようか?」も、だいたい相手は「訳あり」か「無理やり付き合わされた」パターン。お互い気まずいだけで終わることが多い。結局、独身同士で集まる機会すら減り、「紹介」の言葉も気を使われて言われなくなった。
そもそも誰も呼ぶと思ってない
誘いが来ないことに最初は少し寂しさを感じた。でも今は、それが「気を遣わせてない証拠」だと割り切っている。自分が場の空気を重くしてしまうこともあるし、妙に気を遣われるのもつらい。だったら最初から呼ばれないほうがいい。そう思って、自分の殻にこもるようになったのは、たぶんこの数年のことだ。