手帳を開くたび、人生が削れていく気がする〜びっしり仕事だけの毎日を見つめ直す〜
手帳を開くたびにため息が出る
最近、自分の手帳を開くのが少し怖くなっている。びっしりと書き込まれた予定の隙間に、ため息が入り込む余裕すらないような気がする。朝から夕方まで、依頼対応、登記申請、銀行や役所の回り、電話の山…一日が終わる頃には、目が霞んで字も読めなくなる。手帳を開けば、自分の人生がどこにあるのか、わからなくなってくる。これが「仕事に恵まれている状態」だと言われても、なんとなく納得できない日々が続いている。
予定が埋まっているのに、安心できない
普通は手帳が真っ白なほうが不安になるのかもしれない。でも、いざ予定がパンパンになると、それはそれで息苦しい。すべての予定が「誰かのため」に組まれていて、「自分のため」の予定はひとつもない。ふとした瞬間、「今日、何のために働いてるんだっけ?」と思うことがある。司法書士という仕事柄、クライアントのため、登記のため、期限のため…常に「他者」が優先され、自分の存在はどこかに置いてけぼりだ。
自由な時間が“ない”というストレス
「自由な時間」という言葉すら、もはや贅沢に聞こえる。昼食も移動の車内でコンビニおにぎり、休日は業務メールの返信か、たまった処理。しかも、何より辛いのは、それが「当たり前」になっていることだ。たまにカレンダーにぽつんと空白があると、逆にそわそわしてしまう自分がいる。まるで「何か忘れてるんじゃないか」と責められているような気さえする。
スケジュールの中に「自分」がいない感覚
一週間を俯瞰して見たとき、自分という存在が完全にスケジュールから消えていることに気づく。食事、睡眠、通勤、業務、それ以外がほとんどない。自分がこの仕事を選んだ理由や、やりたかったこと、思い描いた未来が、だんだん霞んでいく。このままでいいのかという問いが、喉の奥に引っかかったまま、次の予定に追い立てられてしまう。
「忙しい=充実」ではなかった
昔は「忙しい=信頼されてる証」と思っていた。でも今、それがまったく違うことに気づく。予定が詰まりすぎると、心が置き去りになる。やるべきことに追われすぎて、やりたいことを完全に忘れてしまう。時間が経つにつれて、仕事の喜びが「消化試合」になり、気力よりも義務感で動いてしまっている。
誰のために働いているのか、見えなくなる瞬間
「お客様のために」と思っていたつもりが、ふと気づくと「締切のために」動いているだけだったりする。必要な仕事ではあるけれど、その繰り返しで自分の目的意識がどこかへ行ってしまう。目の前の案件をこなすだけで、誰かの役に立っている実感も、やりがいも薄れていく。誰のために働いてるのか、自分でもわからなくなる。
“やりがい”は、ある。でも、しんどい
司法書士という仕事は、本来とても意義のある仕事だと思う。困っている人の支えになることもあるし、感謝されることもある。だけど、「やりがいがあるから大丈夫」と言い聞かせるのにも限界がある。やりがいがあれば、心と体の疲れは無視していいわけじゃない。やりがいとしんどさは、両立してしまうのだ。
稼げば稼ぐほど、自分が遠のく paradox
売上が上がるのは喜ばしいことのはずなのに、それに比例して自分の生活は乱れていく。稼ぎたい気持ちはもちろんある。でも、その代わりに失っていくものの大きさに、時々ぞっとする。時間、健康、家族、友人、趣味、そして心の余裕。稼げば稼ぐほど、それらが遠ざかっていく気がしてならない。
休みを取ることが「悪」になっていた
ある日、平日に半休を取った。それだけで、どこか後ろめたい気持ちがしていた。「この時間があれば、あの書類に目を通せた」とか、「顧客対応が遅れるかもしれない」とか。罪悪感を背負いながら休むなんて、もはや“休み”とは言えない。でも、それすら「仕方ないこと」だと思っていた。
手帳の空白が怖いと思っていた頃
空白は余裕ではなく、怠慢の証だと思っていた時期があった。とにかくびっしり埋めなければ、周囲に見透かされるような不安があった。「暇な司法書士だ」と思われたくなくて、無理に予定を詰めたこともある。でも本当は、自分自身が「暇な自分」を認められなかったのかもしれない。
埋まっていない=怠けてる気がしてしまう
誰かにそう言われたわけでもないのに、自分の中で「手帳が空いている=仕事してない」という価値観がこびりついていた。クライアントの目を気にして、同業者の動きを気にして、自分の働き方をどんどん不自由にしていったのは、自分自身だったのかもしれない。
事務員さんがくれた「ひとこと」で救われた
そんなある日、ふとした一言に救われた。忙しそうにバタバタしていたら、事務員さんが「先生、ちょっと休んでくださいね」と静かに言ってくれた。それだけのことなのに、なぜか涙が出そうになった。「ああ、自分はそんなにギリギリに見えてるのか」と気づいた瞬間だった。
「先生、ちょっと休んでくださいね」の破壊力
人から言われなければ、気づかないことがある。事務員さんの何気ないひとことが、自分にとってはブレーキになった。ずっとアクセルを踏み続けていたんだな、と改めて感じた。止まるきっかけをくれたのは、効率のいい仕事術でも、ビジネス本でもなかった。ただの一言だった。
ひとの一言で、自分の働き方が見えた
あの一言をきっかけに、少しずつ働き方を見直すようになった。手帳に「昼寝」「散歩」「何もしない時間」といった、自分のための予定を書き込むようにした。そうすると不思議なもので、むしろ仕事の効率が上がった。自分の時間を大切にすることで、他人にも優しくなれるという当たり前のことに、ようやく気づいた。
“自分の予定”も、手帳に書いていい
「自分の予定なんて後回しでいい」と思っていたけれど、それではずっと人生が後回しになる。自分の時間を確保することは、わがままでも怠けでもない。むしろ必要なことだ。誰かのために働くためにも、自分をないがしろにしてはいけない。そう気づいてから、手帳の色合いが少しずつ変わってきた。
コーヒーを飲む、ただ歩く、それも予定
何も生産しない時間にこそ、価値がある。コーヒーを飲む、ただ公園を歩く、早めに布団に入る、それだけでも「今日を大切にできた」と思えるようになった。そういう小さな習慣が、自分を取り戻す支えになっていく。手帳にそれを書き込むことで、仕事だけじゃない自分の人生も可視化されていく。
仕事と生活を切り離さないために
オンとオフを完全に分けることは難しい。でも、少なくとも「仕事しかない」状態は避けたい。自分が生きている感覚を持てる時間を意識的に作ること。それが、司法書士というハードな仕事を続けていくために、きっと必要な“戦略”なのだと思う。
「人生の手帳」は真っ白でいい
今は、真っ白な手帳も悪くないと思えるようになった。空白は可能性の余白だ。仕事の予定でぎっしり埋まっていた手帳を見返すと、なんだか自分が息をしていなかった気がする。余白のある手帳を持つことが、少しずつ人生を取り戻すことにつながっていく。そんなふうに、今は思えている。
埋めることより、大事なことがある
予定を埋めることに躍起になっていた過去の自分に言いたい。「それ、本当に必要だった?」と。効率よりも、売上よりも、まず自分が元気でいられることが一番大事だった。今は少しずつでも、自分のペースを取り戻していきたい。そう思えるようになっただけでも、少し進んだ気がする。
余白は、決して“無駄”じゃない
人に見せるためのスケジュールじゃなく、自分のための手帳を作っていく。それが、今の目標だ。空白は、自分がちゃんと生きている証。真っ白な手帳を持つことが、こんなにも心を軽くするとは思ってもいなかった。