事件のはじまり
朝の事務所に、ひときわ丁寧なノック音が響いた。応対に出たサトウさんが、無表情のまま「依頼です」とだけ言い残して男を通す。
男の名は佐藤智也。見るからに神経質そうなその顔には、うっすらと汗が浮かんでいた。私はいつものように、ソファに深く腰かけながら、「で、今日は何の事件だ」と冗談めかして聞いた。
「亡くなった祖父の不動産の相続登記をお願いしたいんです。ただ…少しだけ、ややこしいかもしれません」と彼は言った。
怪しい依頼者
その「少しだけ」がクセ者だ。経験上、こういう控えめな言い回しの時ほど面倒なことが多い。
提出された資料に目を通すと、確かに不審な点がある。土地の一筆が、遺言書に記されていない。そして登記簿には、見慣れぬ名前の仮登記がついていた。
「この仮登記、誰です?」と尋ねると、智也は視線を泳がせた。「…知らない名前です。家族にも心当たりはないと…」
遺産と登記簿
登記簿を読むと、仮登記の名義人は「村岡辰巳」。聞いたことのない名だったが、何か引っかかる。
私は手元の旧登記システムから過去の変更履歴を追った。そして数分後、眉をひそめた。
この仮登記、二十年以上も前のものだった。しかも、本登記には至っていない。
仮登記簿の中の違和感
この時点で既に「ちょっと面倒」では済まない予感がしていた。仮登記が古すぎるのだ。普通は合意解除か時効で消えているはずなのに、なぜ残っている?
「やれやれ、、、また妙な仕事が来ちまったな」と、つい口に出すと、サトウさんが無言でコーヒーを差し出してくれた。
何も言わずとも察してくれるのはありがたいが、できれば事件のない平穏な朝を察してくれ。
仮登記の謎
村岡辰巳――この名前を頼りに、私は市役所の公図と古い新聞記事を調べ始めた。すると、ある事実に突き当たった。
二十五年前、この地域で脱税疑惑のあった不動産業者の名義に、この名前が登場していたのだ。しかもその事件、解決されぬまま幕を引かれていた。
仮登記は、事件と何か関係があるのか?それとも、偶然の一致か?
不明な第三者
サトウさんが独自に法務局の閲覧端末を駆使して、所有権移転の記録を洗い出した。
「この村岡辰巳、登記申請の直後に失踪しています。おそらく、仮登記のまま逃げたんでしょう」とサトウさんが言った。
なるほど、そういうことか――当時の売買は違法だった可能性がある。仮登記はその痕跡かもしれない。
事件の真相へ
私は智也に電話をかけた。「お祖父さん、過去に村岡という人と金銭のやりとりはなかったですか?」
少しの沈黙の後、彼は答えた。「…実は、祖父が裏で何かやってたかもしれないと、親戚の者が言ってました」
やはりこの仮登記、ただのミスでは済まされない。完全に闇がある。
決定的な証拠
その日の夕方、古物商の知り合いから連絡があった。私が依頼していた古い契約書のコピーが出てきたのだ。
それは村岡辰巳が、智也の祖父から裏金を借りていた証明書だった。だが、そこには売買契約の不備があり、登記申請はできても本登記はできなかったということが読み取れた。
つまり、仮登記のまま村岡は消えた。借金を背負い、逃げるようにして。
犯人の正体
誰が悪かったのか。それを問うなら、たぶん村岡も智也の祖父も、法のグレーゾーンに手を染めた点で同罪だろう。
だが今となっては、関係者の多くは亡くなり、残されたのは仮登記という「痕跡」だけだった。
私の役割は、あくまで登記の正当性を守ること。それ以上でも以下でもない。
結末と後日談
事件が解決し、私は仮登記抹消と相続登記を無事に終えた。智也は安堵した様子で頭を下げ、「ありがとうございました」と言って事務所を後にした。
「登記って、人生の足跡ですね」と彼は言った。その言葉が、少しだけ胸に残った。
事件の裏にあったのは、過去と過ち、そして沈黙の年月だった。
謎の解決
夕方、私は書類を綴じながら、ふと天井を見上げた。
「まるでルパン三世の次元が、証文でやらかしたみたいな話だったな」
そんな冗談を言うと、サトウさんが「それは褒めてるつもりですか?」と冷たく返してきた。
次なる挑戦
時計の針は午後七時を過ぎていた。明日も登記の予定が詰まっている。
私は椅子に深く沈み込み、コーヒーを一口飲んだ。少し冷めていたが、妙に心地よかった。
やれやれ、、、静かな日常が戻ってきたと思ったら、事務所のドアが再びノックされた。