朝から気持ちが沈んでいる
朝、布団から出るのがつらい。目覚ましの音が鳴っても、体が鉛のように重たい。仕事のことを思うだけで胃がキリキリして、「今日は無理だな…」と心のどこかでつぶやいてしまう。こんな日がたまにある。いや、年を重ねるごとに頻度が増えてきた気もする。かつては気合いで乗り切れたことが、今はただ「しんどい」のひと言で片づけたくなる。そんな朝に限って、電話は早く鳴るし、メールは妙に多い。
昨日の疲れを引きずったまま
前の日に無理をしたツケが、翌朝にはしっかり回ってくる。締切が重なったり、お客さんから急な変更を食らったり、バタバタと夜まで働いた次の日。疲れはとれていないのに、また一日が始まる。寝ても頭が重く、全然スッキリしない。気づいたら、机に座ったまま10分以上書類を眺めていたりする。「今日は早く寝よう」と思っていても、結局夜は考えごとが止まらないのが常で、体力よりも心の回復が追いつかない。
眠りが浅く、夢にまで書類が出てきた
この前、登記の申請書が夢に出てきた。しかも何度見ても間違っている。訂正印を押してもまた間違えて、何度も修正しているうちに目が覚めた。起きた瞬間、「夢でよかった…」とため息が出た。でも、気分は全然休めていない。夢の中でさえ仕事に追いかけられているのだから。睡眠って、身体だけじゃなくて心をリセットするものだと思っていたけど、最近は夢の中でも働いてる気がして、本当に心が休まらない。
それでも朝は来てしまう。目覚ましが憎い
何もかもがしんどい朝に限って、目覚ましの音はやたらと甲高く感じる。止めても止めても鳴る。あれはたぶん、心が拒絶しているんだと思う。「もう起きたくない」と。スヌーズのたびにため息をついて、時計を見て、やっとの思いでベッドから出る。そんな日には、出勤前にコンビニの駐車場で10分ぼーっとしていることもある。自分を動かす理由が見つからない。けれど、誰かの登記が待っている。その現実が、背中を押す。
仕事が山積みで手がつけられない
事務所の机に座った瞬間、積み上がったファイルの山にげんなりする。手をつけなきゃと思うのに、どれからやればいいのかわからなくなる。まるでパズルのように絡んだ案件たちが、頭の中で処理されないまま溜まっていく。チェックリストを作っても、途中で電話が入ったり、お客さんが突然訪ねてきたり。ペースが乱されるたびに、集中力がゼロに戻る感覚。気がつけば、午前中が何もできずに終わっていたりする。
どこから手をつければいいのかわからない
よく「優先順位をつけるといい」と言うけれど、その判断すら難しい日がある。全部急ぎに見えるし、どれも後回しにできない。焦ってやり始めても、ミスが出てしまい、それを修正する手間でさらに時間を取られる。「もう少しゆっくり考えればよかった」と思った時には、すでに遅い。まるで迷路に迷い込んだような気分で、前に進めない。そんなとき、自分が無能なんじゃないかと責めたくなる。誰も責めていないのに。
依頼者の電話すら取るのが怖くなる
「あの件、どうなってますか?」という電話。分かってる、対応が遅れてることも、ちゃんと報告していないことも。でも、怖い。言い訳せずに正直に話せばいいのに、電話を取るのが怖くなる。コール音が鳴るたびに心臓が跳ねる。手が止まる。結局、出られずに履歴が残る。そうして自分をさらに責める。悪循環だってわかってる。でも、心がついていかない日がある。プロ意識とか責任感とか、そんなものが重荷に感じる日も。
書類の山を見ているだけで気力がなくなる
今日の仕事をリストにしてみた。でも、文字にしただけで疲れてしまった。やることが「視える化」されたことで、逆に「やる気」が失われるという不思議な現象。昔はタスクを整理するとスイッチが入ったのに、今は「これを全部こなすのか…」とため息が出るばかり。ひとつひとつは小さな仕事でも、積もり積もると圧力鍋のように心を締めつけてくる。書類は人を救うための道具のはずなのに、自分の首を絞める存在にもなりうる。
「頑張らない日」も大事にする
「今日はもう無理だ」と感じる日、自分に対して「それでいいよ」と言えるかどうか。これはなかなか難しい。司法書士としての責任感、依頼者からの信頼、事務員への体裁…。色んな「ちゃんとしなきゃ」が心を締め付ける。でも、人間は機械じゃない。たまには気持ちが追いつかない日だってある。そんな日こそ、「頑張らない」ことで、自分を守る必要があるのだと思う。頑張り続けて壊れるより、ちょっと休む方が、ずっとましだ。
今日の自分を否定しないこと
「今日はダメだったな」と思う日こそ、自分を責めないでいたい。完璧じゃない日があったって、それは人間だから当然だ。むしろ、そんな日があることで、次に少しでも前を向けるきっかけになる。自分を否定し続けると、心が削れてしまう。経験上、それが蓄積してしまうと、本当に立ち直れなくなる。だからこそ、「今日はこれが限界だった」と認めることが、自分を大切にする第一歩なのだと信じている。
誰にも見せない涙が、明日を作っている
ふと気が緩んだ瞬間に、涙が出ることがある。誰もいない事務所で。トイレの中で。帰りの車の中で。情けないと思うかもしれない。でも、泣けるということは、まだ自分の心が生きている証拠でもある。感情があるからこそ、人に寄り添える仕事ができる。涙は弱さじゃない。自分を取り戻すためのプロセスだ。泣いて、少しスッキリして、また前を向けたらそれでいい。それを繰り返して、なんとか毎日をつないでいく。
「もう無理だ」の先にも、仕事は続いていく
「今日はもう無理だ」と思った日でも、翌日はまた来る。しんどくても、事務所は開けるし、案件も進む。どこかで折り合いをつけながら、続けていくしかない。でもそれは、「あきらめ」ではない。「受け入れ」だ。自分の限界も含めて、自分を受け入れる。その先に、本当の意味での継続があるんじゃないかと最近思うようになった。無理をしないことが、実は一番の継続力なのかもしれない。