ノートにしか書けなかったこと
この年になっても、誰にも言えないことが山ほどある。事務所で事務員と二人三脚、日々なんとかやっているが、心の中では「もう限界かも」と思う日も多い。そんなとき、デスクの引き出しから取り出すのが、あの「誰にも見せられないノート」だ。開けば、自分の弱さも苛立ちも、全部そこにある。誰にも言えなかった本音が、このノートだけには正直に綴られている。それがどれだけ自分を救ってきたか、本人にしかわからない。
誰にも言えない本音の置き場
ノートは、他人に見られないからこそ意味がある。事務所でうまくいかなかった日の反省、依頼者に対する愚痴、司法書士としての不安——そんなものを口に出せる場なんてない。職業柄、感情を抑えて理論で話すことが求められるけど、人間だってことを忘れそうになる。ノートにだけは、ため息混じりの本音も、しんどい毎日も、正直に書いていい。その自由が、思いのほか自分を立て直してくれる。
愚痴だらけのページと向き合う夜
夜中、事務所に一人残って仕事を片付けていると、ふと書棚からノートを取り出すことがある。パラパラとめくってみると、過去の自分の愚痴がびっしりと書き連ねられていて、思わず苦笑してしまう。あの時は本当に辛かったんだな、と他人事みたいに思う一方で、「あれ、案外乗り越えてきたじゃん」と気づく瞬間もある。愚痴ばかりだったノートが、今では自分の成長記録になっている不思議。
消そうと思っても消せなかった一行
一度だけ、本当に自分でも情けなくなるようなことを書いてしまった夜があった。「もうやめたい」と書いた一行。それを書いた直後、消そうかと何度も思ったけど、結局消せなかった。あの一行を見るたびに、そこから這い上がろうとした自分を思い出す。誰にも見せられないけれど、消せない。そんな言葉が、自分を保つ支えになることもある。
元野球部のくせにメンタルは豆腐
元野球部だったからって、精神力が強いわけじゃない。むしろ逆で、プレッシャーや人の目が気になって仕方がない性格だった。中学でも高校でも、試合前はお腹を壊すタイプ。社会に出て司法書士になっても、それは変わらなかった。スポーツで鍛えたのは体力だけで、精神面はノートでどうにかバランスを取ってきた。
声を出せと言われてきたけれど
「声を出せ!」「気持ちで負けるな!」そんな言葉を散々聞いてきた野球部時代。でも実際は、声を出しても心がついてこない日が多かった。司法書士という仕事も、外側は強く見せなきゃならないことが多いけど、心の中ではぐちゃぐちゃだったりする。そんなとき、ノートに「今日は本当に無理だった」とだけ書いて、やっと呼吸が整う。誰にも見せられないその一行が、自分の本当の声だった。
法廷の前に立つときに思い出すあのノート
簡裁の訴訟代理で出廷するとき、緊張は今でも変わらない。事務所の玄関で靴を履くたび、「失敗したらどうしよう」と思ってしまう。そんなとき、ノートの一文が頭に浮かぶ。「失敗しても終わらない」。それは、自分が不安でいっぱいだったときに書いた言葉だったけど、今では小さな呪文のように、心の中で響いてくる。
事務所経営は気合じゃ乗り切れない
地方で司法書士事務所を続けるのは、想像以上に骨が折れる。仕事は細かく多岐にわたり、利益は薄く、突然のキャンセルや予定外の急ぎ案件が日常茶飯事。気合や根性じゃどうにもならない現実のなかで、感情を整理するためにノートが欠かせなかった。事務員一人で回すには限界がある。それでも、愚痴でも何でも書き出せば、多少は頭の中が整う。
スタッフ一人と回す毎日
小さな事務所では、全部が自分の責任になる。スケジュール管理、書類チェック、顧客対応、クレーム処理まで、何でも屋だ。事務員が休んだ日は、正直「今日は何もできないかもしれん」と思うこともある。それでも、ノートに今日のタスクを書き出して、一つずつ潰していく。それだけで、なんとか自分をだましだまし動かせる。
誰も助けてくれない日の対処法
「困ったら言ってくださいね」とはよく言われるけど、実際に助けてくれる人なんてほとんどいない。そんな日は、ノートに「今日は一人だった」とだけ書く。それだけで、孤独感が少し和らぐ。誰かに話すわけでもなく、聞いてくれるわけでもないけど、自分の言葉を自分で受け止めることの大切さを知った。
ノートにしか残せなかった感情
怒り、悔しさ、虚しさ。口に出せば「ネガティブだね」と言われるような感情を、ノートにはそのまま書いた。誰にも評価されず、否定もされない場所で吐き出せるというのは、思った以上に救いになる。何年も経ってからそのページを見返して、「こんなにしんどかったんだな」と気づくこともある。それだけで、あの時の自分を少し許せる。
誰かに見せたいわけじゃない
このノートは、誰かに見せるためのものではない。ただ、自分が自分でいられる場所がほしかった。それがたまたまノートだった。誰にも見られたくない、でも書かずにはいられない。そんな矛盾が積み重なってできたノートは、今では自分にとって「心の避難所」みたいなものになっている。
でもいつか誰かに届くような気がして
本当は誰かに読んでほしいという気持ちも、少しだけあるのかもしれない。けれど、それは今ではなく、もっと先の話。自分が仕事をやめたあと、あるいは誰かが同じようにしんどくなったとき、「あ、こんな人もいたんだな」と思ってもらえるような存在になれば、それでいい。
未来の自分への伝言として
書き溜めたノートは、未来の自分へのメッセージでもある。「あの頃は辛かったけど、乗り越えたぞ」と言えるように、今日もまた一行書く。「今日は眠い。だけど頑張った」。たったそれだけの記録が、次の自分を少しだけ前に進めてくれる気がする。
まとめ ノートは今でも捨てられない
誰にも見せられないけれど、どうしても捨てられないノートがある。それは、自分自身との対話の証であり、ここまでやってきた証拠でもある。愚痴と弱音に満ちたページの数々が、実は一番の応援メッセージだったりする。これからもたぶん、仕事に追われてぐちゃぐちゃになるだろうけど、そのたびにノートを開いて、自分と向き合いながら進んでいくんだと思う。