地元の土地で起きた不審な境界紛争
境界杭がずれていた朝
朝のコーヒーをすすりながら新聞を開いたそのとき、一本の電話が鳴った。隣地との境界杭が、いつの間にか動かされていたという。なんでも、隣の地主が「俺の土地に杭が食い込んでる」と怒鳴り込んできたそうだ。
依頼人は高齢の未亡人。もともと物腰の柔らかい人で、こんなトラブルに巻き込まれるタイプではない。境界線がズレているかどうか、まずは現地調査が必要だった。
ただの境界確認のはずが、妙な胸騒ぎがした。あの土地には、何かがある。そんな直感が頭をよぎった。
依頼人の苦しげな様子
依頼人の顔色はすぐれなかった。「あの土地には主人の思い出が詰まってるんです」——震える手で古い測量図を取り出す様子は、まるで何かを隠しているかのようだった。
「実は、境界線が少しおかしいって、昔から感じていたんです」と彼女は呟いた。だが、何がおかしいのかは説明できなかった。
シンドウは資料を受け取り、サトウさんに黙って手渡した。塩対応の彼女は黙って受け取り、目だけが鋭く光った。
地積更正登記をめぐる奇妙な資料
サトウさんが見つけた一枚の謄本
「これ、地積更正されてますね。平成二年に。」サトウさんが言った。見ると、確かに過去に地積更正登記がなされていた。しかし、それを示す境界の変更通知がどこにも残っていなかった。
「通知も承諾書もない。これ、ちょっと怪しいですよ」冷静な口調が、逆に不気味さを増幅させる。
シンドウは額を掻いた。「やれやれ、、、また面倒な話になりそうだ」。
昭和時代の測量図に記された不可解な線
さらに古い昭和五十年の測量図には、現在の地積とは一致しない境界線が記されていた。しかもその線は、いま話題の杭の位置とピッタリ一致する。
「つまり、誰かが意図的に線を動かしたってこと?」シンドウが訊ねると、サトウさんは「言うまでもないですね」と返した。
地積更正がされた年、当時の所有者はすでに亡くなっていた。では、誰が更正登記を申請したのか?
亡き所有者の意志を読む
空き家に残された測量器具と日記
依頼人の案内で、彼女の夫が使っていた物置を訪ねた。埃をかぶった測量機器と、ボロボロの日記帳が出てきた。中には「境界線をどうすべきか迷っている」といった文言が。
そのページには赤鉛筆でなぞった線と、誰かの署名のような筆跡も残されていた。ただし、それが本人のものかは断定できなかった。
「これは、、、、もしかして改ざんされた?」と呟いた時、背後でカラスが一声鳴いた。
隣地の老人が語った真実
数日後、隣地の老人が「昔のご主人とは酒を酌み交わした仲だった」として語り出した。「あんたの土地とこっちの土地、測り直す話をしてたんだよ」。
「でもな、その翌月にぽっくり逝っちまって、何も決まらずじまいだった」と彼は言った。「あれは未練の残る亡霊がいる土地さ」
冗談のような口調だったが、その目は笑っていなかった。
地積更正に隠された思惑
誰が何のために筆界を変えたのか
登記記録をさらに追うと、平成の更正申請を出したのは、なんと測量会社の社員だった。しかし、実務を行った形跡はない。つまり、誰かがなりすまして申請したということになる。
「遺族でもないし、所有者でもない人間が申請していた……」その矛盾に、シンドウの頭痛が増す。
目的はただ一つ。土地の一部を自分の方にずらすことで、将来的に価値を上げること。典型的な地積トリックだった。
シンドウの苦い記憶がよみがえる
「昔、俺の実家でもこんなことがあったな……」とシンドウはぽつりとつぶやいた。小学生のとき、家の裏の畑がいつの間にか隣のものになっていた。親は泣き寝入りだった。
「土地の線って、勝手に消えることあるんだな……」と口に出したとき、サトウさんがこちらを見て「消えたんじゃない、消されたんです」と鋭く言った。
彼女の冷静さが、頼もしくもあり、少しだけ怖くもあった。
サトウさんの冷静な推理
誤差ではなく意図的な改ざん
「測量図のコピーが切り貼りされてました。スキャンした画像に線を引き直してプリントアウトした形跡があります」サトウさんは淡々と説明する。
「しかも、提出された図面には元の境界線の点が残っていたんです。これはプロの目にはすぐにわかる偽造です」
シンドウはため息をついた。「やれやれ、、、素人が下手に細工するからバレるんだよ」
登記簿に潜むもう一つの名前
登記の補正履歴を深く追った結果、実はその土地にはもう一つ、仮登記の名義が存在していた。ある不動産ブローカーが過去に関与していた記録だ。
その人物はすでに破産しており、消息不明だったが、使っていた実印の印影が、今回の地積更正申請書と一致した。
「完全にクロですね」サトウさんが言った。「でも、もう法的には消せない登記になってます」
やれやれ、、、亡霊の正体
死んだはずの名義人の登記
事件の核心は、すでに亡くなっていた所有者の名義で行われた不正登記だった。故人になりすまし、地積更正を行い、境界を操作し、土地を実質的に奪っていた。
「この世には、亡霊じゃなくて、人間の欲が残るんですね」依頼人がぽつりと呟いた。
シンドウは黙って頷きながら、遠くの畑を見つめた。
土地に縛られた哀しい家族の物語
依頼人の夫も、かつてこの土地で同じように悩んでいた。自分の土地が少しずつ侵食されるのを、どうすることもできなかった。その無念が、今ようやく晴らされた。
「これで、主人も報われます」と依頼人は微笑んだ。
その笑顔は、まるで土地に取り憑いていた亡霊が消えたかのようだった。
結末と後日談
正された境界と依頼人の涙
最終的に筆界特定制度を用いて、正確な境界が確定された。登記も正され、地積も元の通りに戻った。依頼人は感謝の言葉を述べながら、涙を流していた。
シンドウは手を合わせて土地に一礼した。過去の記憶と、土地に眠る声に。
「やれやれ、、、これでまた一つ、変な仕事が終わったな」とつぶやいた。
サトウさんのぼそっとした一言
事務所に戻ると、サトウさんがパソコンを叩きながら呟いた。「次からは、登記の前にお祓いでもしたほうがいいかもしれませんね」
「土地には霊がいますから。……法務局の中にも」
その笑みは、まるでキャッツアイの如く、事件のすべてを見抜いていた。