もっと自分を大事にしようと思った夜

もっと自分を大事にしようと思った夜

一人の夜にふと湧いた違和感

仕事を終えて事務所を出ると、外はすっかり夜だった。コンビニで夕飯を買い、アパートに戻ると、誰もいない部屋が出迎えてくれる。テレビもつけず、弁当を広げる音だけが響く夜。ふと「この生活、いつからこんなだったっけ」と思った。司法書士という仕事は責任が重く、気づけば自分の感情や疲れは後回しにしていた。目の前の案件をこなすことで精一杯で、自分が何を感じているのかを考える余裕すらなかった。

忙しさにかまけて見失っていたもの

毎日の業務に追われ、朝起きてから寝るまで、頭の中は常に“やるべきこと”でいっぱいだった。書類の不備を気にして眠れない夜、急な電話に休日が潰れる日々。「これも仕事だから」と自分に言い聞かせながら、何かを置き去りにしてきた。気がつけば、趣味だった野球もやめ、友人との飲み会も遠のき、最後に「楽しかった」と思えた日が思い出せなくなっていた。

予定表には他人の都合ばかり

スマホのカレンダーは色とりどりに埋め尽くされているけれど、それは全て他人の予定ばかりだ。登記、相談、打ち合わせ…どれも必要なことだ。でも、そこに「自分の時間」は一つもないことに、ある晩ふと気づいた。誰かの依頼を優先して、自分の時間を差し出し続ける生活。予定に自分のための予定を書き込むだけで、なんだか後ろめたい気持ちになる。そんな働き方、果たして幸せなんだろうか。

気づけば今日も自分の食事はコンビニ弁当

食生活なんてもうずっと二の次だ。自炊しようと食材を買っても、冷蔵庫で腐らせてしまうのがオチ。疲れて帰って、手早く済ませられるコンビニ弁当やカップ麺でその場をしのぐ。栄養バランスも気にしなくなって、気がつけば顔色も悪くなっていた。元野球部だったころは、食事に気を遣い、体を資本として大切にしていたのに。今はその面影すらなくなった。

自分の時間って何だったんだろう

「時間がない」と思っていたけど、実際は「自分のために使う覚悟」がなかったのかもしれない。毎日誰かの役に立つことばかりを優先して、自分のやりたいことや、感じたことに耳を傾けることをサボっていた。夜、何気なく鏡を見たとき、そこには疲れ切った顔をした中年男が映っていた。「これが司法書士の顔か?」そう思った瞬間、何とも言えない虚しさが込み上げた。

休みの日すら他人の用事で消えていく

ようやく取れた貴重な休日。朝から「今日は寝るぞ」と決めていたのに、スマホが鳴る。お客さんから「ちょっとだけ確認したいことが…」と。断れない性分が災いして、結局は事務所に立ち寄ってしまう。気づけば休みは「対応」という名目で消えていき、自分が休む権利すら忘れかけていた。

「ありがとう」より「まだ?」が多い世界

士業の世界では、感謝よりも納期やスピードが重視されることが多い。「ありがとうございます」と言われるよりも、「まだですか?」と聞かれる回数のほうがずっと多い。もちろん責任ある仕事だから当然だけど、感情のないやりとりが続くと、心がすり減っていくのを感じる。自分が人間であることを、時々忘れそうになる。

元野球部の頃の自分が泣いてる気がした

学生時代、野球に明け暮れていたあの頃。辛い練習も、泥だらけになって笑い合った仲間との時間も、今では輝いて見える。あのときは、「自分を大切にする」なんて考えたことはなかったけど、今よりずっと心は健康だった気がする。あの頃の自分が今の俺を見たら、なんて言うだろうか。もしかしたら「何してんだよ」と泣きながら叱ってくれるかもしれない。

誰かのために尽くすことの限界

人のために動くのが好きだった。困っている人に手を差し伸べ、喜んでもらえると、自分も救われた気がしていた。でもそれは、「自分をないがしろにしてもいい理由」ではない。最近は、その境界が曖昧になりすぎて、自分のエネルギーが枯渇してしまった。尽くすことに慣れすぎて、「自分のために動くこと」ができなくなっていたのだ。

いい人でいることのコスト

「感じのいい司法書士ですね」と言われることがある。でも、その言葉の裏には「都合よく対応してくれる人」というニュアンスが混じっていることもある。笑顔の裏でどれだけストレスを抱えているかなんて、相手は知る由もない。自分を抑えて、いい人であり続けることのコストは、思った以上に重い。そんなこと、最近ようやく認められるようになってきた。

優しさが自分をすり減らすならそれは損

優しさは美徳だ。でも、自分を犠牲にしてまで差し出す優しさは、長続きしないし、相手にも伝わらない。「やってあげてる」と思いながら動く自分に気づくとき、少しずつ自分への嫌悪感が積もっていく。それは誰のためにもならない。もっと自分を大事にしないと、誰のことも助けられないんじゃないか。そんな当たり前のことに、45歳になってようやく気づいた。

「自分ファースト」ができない士業たちへ

士業は「相手ありき」の仕事。だからこそ、自分のことは後回しになりやすい。でも、それを当然と思い込んでしまうと、心も体も壊れる。自分を大事にすることは、ワガママじゃない。必要な自己防衛だ。誰かの人生を支えるためにも、まずは自分の人生をしっかり立て直そう。自分を後回しにしてきた士業仲間に、そう伝えたい。

明日から少しだけ変えてみようと思った

特別なことはできなくてもいい。明日、ちょっとだけ早く帰って、スーパーで食材を選んでみる。好きな音楽をかけながら、ゆっくり風呂に入ってみる。それだけで、心に小さな火が灯る気がする。自分のために何かをする時間が、明日の自分を支える。今夜の違和感を無駄にせず、少しずつ、自分の人生を取り戻していこうと思う。

まずは湯船につかることから始めてみた

久しぶりに風呂を沸かした。最初は面倒だったけど、湯気の立ち上る浴室に入った瞬間、「ああ、ちゃんと生きてるな」と思えた。肩の力が抜けて、深呼吸できた気がした。些細なことだけど、それがものすごく大事なことだった。自分のために何かする。その第一歩は、案外こんな小さなことで十分なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。