「話題が偏ってるね」と言われた日の胸の内

「話題が偏ってるね」と言われた日の胸の内

仕事の話しかできない自分に気づく瞬間

「あのさ、他に話題ないの?」と軽く笑われたとき、胸の奥がズキンと痛んだ。別に怒ってるわけでも、責められてるわけでもない。ただ、純粋に「偏ってるよね」って言われただけ。だけどそれが妙に刺さったのは、自分でもうすうす気づいていたからだ。休憩中も、飲みの席も、話題が気づけば登記のことばかり。事務員も最初は笑って聞いてくれたけど、最近は少し距離を置かれてる気がする。話すネタが「登記ミスあるある」ばかりじゃ、さすがに面白くないだろうな。

会話の引き出しが「登記」か「法務局」しかない

たとえば雑談で「最近どうですか?」と聞かれると、自然と「いやー、この前の法務局がさ…」と話し始めてしまう。これがクセになってるのか、気づけば相手の顔が曇っていることもある。けど、他に何を話せばいいのか分からないのが本音だ。家族の話もないし、流行にも疎い。唯一の話題が仕事になってしまうのは、自分の世界が狭いからなんだろうか。なんとか広げたいとは思っているけど、きっかけがない。

プライベートの話題が乏しい日常

土日も仕事のことで頭がいっぱい。趣味と呼べるものもないし、誰かと出かける予定もない。だから、話題が偏るのはある意味当然かもしれない。YouTubeを観る時間があっても、登記や法改正の解説ばかりチェックしてる自分がいる。プライベートを充実させようと思っても、その方法すら分からなくなってきてる。なんだか「偏ってるね」と言われると、自分の人生まで偏ってるように感じてしまう。

趣味の時間さえも業務効率化に飲み込まれていく

昔はカメラが好きで、休日に風景写真を撮りに行ったりしていた。でも今じゃそのカメラも防湿庫で眠ったまま。たまに思い出しても、「今はその時間がもったいない」と感じてしまう。なにか趣味に没頭したいのに、「それが仕事にどう役立つのか」と無意識に考えてしまってる。効率を求めすぎた結果、心の余白まで削れてしまったような気がする。

「またその話?」と笑われると心が痛む

たとえば朝の雑談で「今日も法務局行きます?」なんて話をふられると、嬉々として「いやー、あそこはさ…」と話してしまう。けど、数分後に「またそれ?」と笑われた瞬間、笑顔が引きつる。そんなに連発してるつもりはないんだけど、聞いてる方には「またか…」なんだろう。自分ではそれしか話せないんだから仕方ない…と諦めつつ、心のどこかで申し訳なさがつきまとう。

事務員との雑談にも気を遣ってしまう

一人雇っている事務員は、明るくてよく気が利く。でも、休憩時間に「昨日ドラマ見ました?」と聞かれて、「見てないんだよね、登記簿調べてた」と答えたときの微妙な空気。それ以来、なるべく彼女の話を聞くようにしているけど、相槌の引き出しが乏しくて、結局話を返せずに終わってしまう。「また仕事の話ですか?」と笑われた日には、もう話しかけない方がいいのかなと悩んでしまう。

法務局の不備で盛り上がれない悲しさ

「法務局が紙の位置ずれててさ〜」と笑いながら話しても、普通の人には「へぇ…大変ですね」としか返せない。それは当たり前だ。自分にとっては日常でも、他人にとっては異世界。話が伝わらないことに気づくと、一気に熱が冷める。だからといって他に熱量のある話もなく、ただの愚痴みたいになってしまうのが悲しい。

共感されない専門用語の空しさ

「申請人が甲区所有者で、乙区抵当権者が…」なんて語りだすと、もう誰もついてこれない。自分にとっては当たり前の言葉でも、聞いてる人からすれば呪文にしか聞こえないんだろう。そういう空気を察すると、恥ずかしさと寂しさが混ざって、いたたまれなくなる。だからといって、これが自分のアイデンティティでもあるから、否定もできない。

偏った話題でも、誰かの役に立つこともある

とはいえ、こうやってブログに書いてみると「同じようなこと思ってた」という声をもらうこともある。司法書士の仕事にどっぷり浸かってる人にとっては、こういう話題が逆に安心材料になることもある。偏っているのは事実だけど、それが悪いとも限らない。誰かの役に立つなら、それだけで救われる気がする。少しずつでも、自分の「偏り」を受け入れていこうと思う。

司法書士の話題に飢えている人もいる

先日、旧友と飲みに行ったとき、「もっと業界の裏話を聞きたい」と言われて驚いた。てっきりつまらないと思われてるかと思ったら、逆に「聞く機会がないから面白い」と言ってもらえた。偏ってると思っていた話題も、誰かにとっては新鮮で貴重なんだと知って、少し救われた気がした。

狭い世界にも価値はある、と自分に言い聞かせる

司法書士という狭い世界の中で、毎日同じような業務を繰り返す。それでも、その世界で積み重ねてきたことに価値があると信じたい。話題が偏っていても、それが自分の歩んできた証だと思えば、少しだけ胸を張れる。誰かと違っても、自分のままでいいんだと、最近やっと思えるようになってきた。

今日もまた「登記の話しかしないやつ」だけど、それでいい

偏った話題でも、真剣に語れるものがあるのは悪いことじゃない。無理に広げる必要もないし、無理に明るく振る舞う必要もない。今日もまた登記の話しかしなかったとしても、それが自分だ。誰か一人でも「その話、面白いね」と言ってくれたら、それで十分だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。