仕事の合間にスマホを見るという習慣
毎日が慌ただしく過ぎていくなか、ふと手が止まる瞬間がある。登記の書類を整理しているとき、電話が一段落ついたとき、昼休みのわずかなスキマ時間。そんなとき、なんとなくスマホに手が伸びる。目的があるわけでもない。ただの習慣だ。でも、画面に通知はない。LINEも、メールも、着信も、何もない。画面が静かであるほど、自分が誰からも求められていないような気がして、少しだけ胸が痛くなる。そんな瞬間が一日に何度もあるのが、今の自分だ。
通知が来ることを期待しているわけでもない
「別に誰かから連絡がほしいってわけじゃないんだよな」と、自分に言い聞かせるように思う。そもそも、今さら恋愛のメッセージなんて届くはずもないし、友達もそんなに多くない。仕事関係の通知なんて、来たら来たで面倒だし、ないならないでホッとする部分もある。それなのに、気がつけばスマホを覗いている。これはもう、身体が覚えてしまったクセみたいなもので、無意識のうちに「誰か」とのつながりを探しているのかもしれない。
でも、誰かから求められていたい気持ちはある
本音を言えば、「誰かに必要とされていたい」という気持ちがまったくないわけじゃない。司法書士という仕事は、基本的に依頼があってはじめて成り立つものだ。自分から売り込んでも、相手にとって必要でなければ意味がない。そういう世界でずっとやってきたからこそ、仕事以外でも「求められる」という感覚に飢えているのかもしれない。通知がないスマホを見つめながら、その空白に自分の価値を重ねてしまう瞬間がある。
無意識の動作に滲む心のざわつき
スマホを見る動作ひとつに、自分でも気づいていない心の揺れが出ているような気がする。まるで、何かを期待しているような。昔、部活で試合に出られなかったときも、ついスタメン表を何度も見直していた。そこに自分の名前が載るわけもないのに、見てしまう。それと似ているのかもしれない。通知が来る見込みはないのに、見てしまう。どこかで、少しだけ「奇跡」を期待している自分がいるのだ。
ひとりで仕事を回す現実とその重み
司法書士として地方で事務所を運営していると、基本的に孤独だ。事務員を一人雇ってはいるものの、業務内容を完全に共有できるわけでもなく、判断や責任の多くは自分一人にのしかかってくる。忙しさに紛れて「孤独」なんて意識している余裕もないが、ふとした拍子にその重みがどっとやってくる。とくに何もないスマホの画面は、その孤独を静かに突きつけてくるように思える。
事務員はいるが相談はしづらい
うちの事務員さんはまじめで気が利く。仕事もよく覚えてくれていて助かっている。でも、やっぱり気を遣う。愚痴を言えば「先生も大変ですね」と返してくれるけれど、それ以上の会話にはならない。相談するにも、話す内容を選んでしまう。立場が違う以上、わかり合えることとそうでないことがある。だから結局、話したいことは胸の中にしまって、ひとりで黙々と仕事を続けることになる。
外に頼る余裕もないし人間関係もつくらない
飲み会に行く余裕なんてないし、そもそも誘われない。同業者と話す機会もめったにない。SNSは仕事用の更新だけで、プライベートで絡むことも少ない。新しい人間関係を築こうにも、正直しんどい。相手に気を遣ってばかりで疲れてしまうのだ。だったら一人の方が楽。でも、楽と寂しさは紙一重で、その隙間にスマホがある。通知がないとわかっていても、つい見てしまう。
全部自分で抱えてしまうのが癖になっている
「誰にも頼らないでやるしかない」そうやって独立して十数年。気づけば、何でもかんでも一人で抱える癖がついていた。依頼者には頼られるけど、自分は誰にも頼れない。結果、精神的な逃げ場がなくなる。スマホの通知欄は、自分が誰にも頼れていない証拠のように思えてくる。これはたぶん、性格の問題でもあるけれど、仕事の性質がそうさせている部分もあるんじゃないかと思う。
連絡がないことで浮き彫りになる自分の孤独
世の中には「連絡が来ないことが幸せ」という人もいるだろう。でも、独身で一人暮らし、休日も仕事が気になって休まらない生活の中では、「誰からも連絡がない」というのは、思いのほか堪えるものだ。それは静けさではなく、空白だ。誰かとつながりたいという欲求が、通知のないスマホによって打ち砕かれるような気がする。
土日も祝日も通知は鳴らない
土日になると、LINEの通知音が頻繁に鳴る人もいるだろう。でも自分のスマホは、平日と何も変わらない。むしろ、平日は仕事の連絡で多少は動く分だけマシかもしれない。休みの日にまったく通知がないというのは、ちょっとした地獄だ。誰からも必要とされていないように思えて、気が滅入る。だからこそ、つい仕事をしてしまう。仕事をしている限り、誰かの役には立っている気がするから。
恋人もいないし友人も少ない
元野球部だった自分は、昔は仲間も多かったし、恋愛もそれなりにしていた。でも、社会に出てからは変わった。自営業は時間が読めないし、誘いを断ってばかりいるうちに、自然と疎遠になる。合コンに呼ばれる年齢でもないし、婚活アプリも続かない。誰かと深く関わることをあきらめたような気持ちで、ただ日々をこなしている。
元野球部だった自分はどこにいったのか
キャッチャーとして声を出し、仲間を支えていたあの頃。笑い合い、励まし合い、汗と土にまみれて過ごした日々。今の自分と、あの頃の自分は別人のように思える。人とつながっている実感があった時間。あのときの自分に「お前は将来、ひとりで事務所にこもってスマホの通知を待つ人生になるぞ」と言ったら、きっと怒るだろう。でも、現実はこうだ。
それでも日常は続いていく
スマホの通知があろうとなかろうと、締切は迫ってくるし、依頼者は待っている。泣き言を言っても、書類は自動で仕上がってはくれない。そんな日々を、淡々とこなしていくしかない。仕事があるだけマシだ、と自分に言い聞かせながら。それでもやっぱり、たまには誰かからの「お疲れさま」の一言がほしい、そんな気持ちになることもある。
通知がなくてもやるべきことは山積み
朝イチで法務局に走り、帰ってきて登記のチェック、午後は面談、夕方に電話対応とメール返信。気づけば夜。通知が鳴る暇もない。いや、鳴っても気づかないだけかもしれない。でも結局、手が空いた瞬間にスマホを見ると、やっぱり何も来ていない。この落差がまた心に響く。期待していなかったつもりでも、どこかで望んでいた自分に気づく。
目の前の依頼を処理するだけの毎日
ありがたいことに、依頼は切れない。紹介での相談もある。でも、それがうれしいというより、プレッシャーに感じることもある。こなすことばかりに意識が向いて、達成感も感謝もすり減っていく。効率よくやっているはずなのに、終わらないタスクに押し潰されそうになる。そしてまた、合間にスマホを開いては、通知のない画面を見て、ため息をつく。
それでも誰かのためには残っている
文句を言いながらでも、この仕事を続けているのは「誰かのためになっている」という実感があるからだ。登記が終わって「助かりました」と言われるとき、たしかに自分の存在意義がそこにあると感じる。通知のないスマホを閉じて、今日もまた誰かの書類を整える。誰からの連絡もない日々だけど、きっとその向こう側に「誰かの人生」は確かにあるのだと思う。