仕事帰りのコンビニで、ふと思い出す「買い忘れ」
その日は珍しく、少しだけ早く事務所を出た。とはいえ、19時過ぎ。コンビニに寄って夕飯代わりの弁当でも買おうとレジに並んだその瞬間、唐突に胸の奥がざわついた。「印紙、買ってない…」。冷や汗がにじむ。たった一枚、税額200円の印紙。でも、それが無ければ明日の申請は進まない。帰り道、足取りが重くなる。どうして気づけなかったんだろう。頭の中で自分を責める声がぐるぐると回っていた。
「あ、印紙…」レジ前で止まる足
レジで弁当を受け取る手がピタリと止まった。まるで幽霊でも見たかのような顔をしていたと思う。印紙のことなんて、つい数時間前までは覚えていたのに、バタバタしているうちにすっかり頭から消えていた。まさかこのタイミングで思い出すなんて、皮肉な話だ。せっかく少し早く帰れたと思ったのに、自分のミスでまた気持ちが暗くなる。財布の中のレシートを眺めながら、こんな自分が情けなくてたまらなかった。
疲れていたと言えば、それまでなんだけど
言い訳をしようと思えばいくらでもできる。今日も朝から4件の電話と2件の急な来所対応、さらに市役所への書類提出で、昼食すらまともに取れていなかった。頭がぼんやりしていたのも仕方ない。けれど、それを理由にしてミスを許せるほど、自分は甘くない。なにより、これが業務に支障をきたすとわかっているからこそ、余計に腹立たしいのだ。疲れているからこそ、余計な凡ミスが許せない。それが今の自分だ。
誰のせいでもない、でも自分を責めてしまう
「事務員に頼んでおけばよかったかな…」と一瞬思ったけれど、それは違う。これは完全に自分の仕事。誰かのせいにした瞬間、自分の信頼が揺らぐ。責任感が強いと周りから言われることもあるが、実際はただ臆病なだけだ。人に迷惑をかけるのが怖いだけ。だから、責めるのはいつも自分自身。反省して、次こそは…と思うたびに、また少し自分に疲れていく。そんな繰り返しだ。
印紙ひとつでこんなに落ち込むなんて
自分でも驚く。こんなことで、ここまで落ち込むなんて。学生時代の友人に話せば、きっと笑われるだろう。「そんなの明日買えばいいじゃん」って。でも、司法書士という仕事は、それが許されないことがある。たった一枚の印紙で、信頼を失うことだってある。だからこそ、こんなに引きずるのだ。頭ではわかっていても、心がついてこない。自己嫌悪はじわじわと胸を蝕んでいく。
「ミスをしないこと」が前提の職業
司法書士の仕事は、「ミスをしないこと」がスタートラインだ。お客様はそれを当然と思っているし、自分もそうでありたいと思ってきた。けれど、どんなに気をつけていても、人間だからミスはある。でも、許されない。その矛盾と向き合いながら、今日も書類に目を通し、ハンコを押し、神経をすり減らす。プレッシャーがあるからこそ、誇りを持てる。でも、しんどいのもまた事実だ。
完璧であることへの過剰な期待
「先生なら大丈夫ですよね」と言われるたびに、胸のどこかが痛くなる。大丈夫じゃないときだってある。心が折れそうなときもある。だけど、「大丈夫です」と笑って答えてしまう。そうやって自分に期待し続ける日々。いつからだろう。完璧でいなきゃいけないと思い込んでしまったのは。もっと肩の力を抜いていいはずなのに、それができない。自分を縛っているのは、たぶん自分自身だ。
事務員さんの一言に救われたけれど
翌朝、印紙を手に入れて事務所に戻ると、事務員さんが笑って言った。「あれ、昨日買い忘れちゃったんですか?ドンマイです!」。その言葉に、不覚にも涙が出そうになった。自分のミスを笑って受け入れてくれる人がいるというだけで、こんなにも救われるなんて思ってもいなかった。
「ドンマイです」その言葉に泣きそうになる
何気ない一言だったと思う。でも、その軽やかさが心に刺さった。自分ではずっと重たく受け止めていたミスが、彼女にとっては「よくあること」なのだ。仕事の責任は重いし、反省は必要だ。でも、それで自分を壊してしまったら元も子もない。事務員さんの言葉は、そんな当たり前のことを思い出させてくれた。
励ましが胸に刺さる夜
「ミスなんて誰にでもある」とわかっていても、自分で自分を許せない夜はある。そんな夜に、誰かの励ましは深く胸に残る。ひとりで背負い込まなくていいと気づけたこと、それが何よりの救いだった。司法書士という孤独な仕事の中で、たった一人でも気を緩められる存在がいることのありがたさを、改めて噛みしめた。
孤独な戦いに、少しだけぬくもりが差す
この仕事をしていると、常に「自分が最後の砦」だという意識がある。その分、孤独も感じやすい。誰にも相談できず、誰にも頼れず、ただひたすらに頑張る。そんな日々の中で、ふと差し込むぬくもりがあると、涙が出るほど嬉しい。あの朝の「ドンマイです」は、そんなぬくもりだった。
独身の司法書士、誰にも愚痴れない夜
仕事が終わり、家に帰っても、誰かに話すことはない。テレビをつけても、スマホを見ても、心は晴れない。誰かに「疲れた」と言いたいのに、言えない。そんな夜が何度もある。独身であることを悔やむわけじゃないけど、ふとしたときに胸を締めつけるこの孤独感は、年を重ねるごとに増しているような気がする。
仕事の失敗は、そのまま孤独に響く
印紙の買い忘れくらい、大したことじゃないと頭ではわかっている。けれど、誰かに聞いてもらえるだけで、気持ちはずいぶん違う。たとえばパートナーがいて「そんなこともあるよ」と笑ってくれたら、自分を許せたかもしれない。でも、今の自分には、それがない。だからこそ、こうして深夜に一人、自分を責めてしまう。
弱音を吐ける相手がいないという現実
愚痴を言いたい。でも、誰に? 事務員さんに愚痴を言うのも気が引けるし、同業の知り合いにも「そんなの自分でなんとかしろ」と思われそうで言いにくい。強がりじゃない。頼れる人がいないから、ひとりで黙っているだけだ。弱音を吐ける相手がいる人を羨ましいと思う夜が、これまでに何度あったことか。
「がんばってるね」と言ってくれる人がいたら
ただ一言、「がんばってるね」と言ってくれる人がいたら、それだけで救われる気がする。別に、何かをしてほしいわけじゃない。失敗を責めないでくれる人がいてくれるだけで、心の重みは全然違う。だけど、それが叶わない現実に向き合いながら、明日もまた、自分で自分の背中を押していく。そんな日々の連続だ。