完了通知は届くのに恋の通知は来ない僕の毎日
忙しさの通知は毎日届く
朝一番にパソコンを立ち上げれば、メールの未読がずらり。法務局からの電子完了通知、顧客からの確認依頼、郵便局からの配達完了メール。まるで通知に埋もれて生きているような日々。地方の司法書士として一人事務員と回している事務所は、毎日が戦争だ。そんな中で、唯一「届かない通知」がある。それは恋の始まりを告げる一通のメッセージ。仕事の通知はリアルタイムなのに、心の通知はいつまでもオフラインのままだ。
パソコンの前で一日が終わる
気がつけば日が暮れている。昼ご飯はカップ麺、夕方はコンビニのおにぎりを片手に、また一件の登記を終える。気合を入れて買った電動昇降デスクも、今ではただの紙置き場。椅子の下にはペットボトルが転がっている。「ああ、今日も一歩も外に出てないな」と思う瞬間に、ふと虚しさが襲ってくる。そんな僕の一日は、エクセルとメールとハンコに支配されている。
今日も事務所に届いたのは書類だけ
朝の郵便を開封すると、登記完了証や司法書士会からのお知らせが並ぶ。どれも仕事に必要な大事なもの。でも、ちょっとだけ「手紙」が混じってたらな…と思ってしまう。差出人欄に女性の名前を見つけただけで、わずかに高鳴る鼓動。でも、開けてみれば相続の委任状だったりする。もはや条件反射で失恋してる気分だ。
机の上の封筒にときめかない
昔は封筒を見ると何かワクワクする気持ちがあった。ラブレターなんてものも、遠い高校時代には確かに存在した。けれど今は、封筒=手続き=仕事。ときめきどころか、内容証明だったりした日には、胃がキリキリする始末。書類の束は重くないけど、心にはずっしり響いてくる。
完了通知の文字に心が冷える
メールソフトを開けば「登記完了のお知らせ」という文字列。何十回、何百回と見てきた通知なのに、慣れることがない。なぜかというと、「完了」という言葉が、自分の私生活を暗示してるような気がしてしまうのだ。恋愛も、青春も、人生のドキドキも、すでに完了してしまったんじゃないかと。
LINEは静かなまま
スマホに目をやると、LINEのアイコンには赤い数字がない。通知欄はクライアントからの連絡で埋まっているのに、プライベートは沈黙のまま。昔の同級生のグループLINEも既読スルーの嵐。たまに何かの通知が来たかと思えば、YouTubeのおすすめ動画。それでも僕は、通知音に少しだけ期待してしまう。
SNSの通知音に毎回少し期待してしまう
「ピロン」と鳴るたび、ほんの0.2秒だけ、女性からのLINEかもしれないと錯覚する。でも開いてみれば、楽天からのポイント失効通知や、ヤフオクの入札情報。恋愛とは無関係なデジタル音が、今日も僕の心を軽く裏切っていく。「そもそも誰かにLINEを送るような生活してないじゃん」と、自分にツッコミを入れたくなる。
返信のこない恋と返信の早いクライアント
仕事の連絡には即レスする自分。誤字脱字のチェック、添付ファイルの確認、返信タイミングも完璧。それなのに、恋愛になるとどうしてこんなに受け身なんだろう。過去に気になる人に送ったメッセージが既読無視された経験がある。その一件が、僕の心の返信ボタンを押せなくしてしまった。
恋愛は未読のまま更新されない
仕事では「未読」は許されない。でも恋のほうは、ずっと更新されないまま放置されている。誰かと一緒に暮らす未来を描いていた頃が懐かしい。今は夢すら描かなくなってしまった。恋愛も、更新ボタンがあればいいのにと、ふと思う夜がある。
即レスが得意なのは仕事だけ
「レスポンスの早さが信頼につながります」と新人の頃に教えられた。その教えは今でも守っている。でも、もし誰かに恋をしても、僕はたぶんレスが遅いと思う。なぜなら、仕事で消耗した心に、余白が残っていないから。即レスできるのは、仕事モードの仮面をかぶっているときだけだ。
モテない言い訳はしないけど
自分がモテないことに言い訳はしない。たしかに、見た目も地味だし、趣味もインドア、休日は寝て終わる。でも、だからといって「もう恋なんて」とは思いたくない。どこかで小さな希望は捨てられずにいる。
髪の毛よりも書類の山を気にする生活
鏡を見るたびに、前髪の後退に気づく。でも、それよりも気になるのは、締切の迫る登記の書類たち。結局、優先順位はいつも仕事が上。自分のメンテナンスなんて後回しだ。理髪店の予約を取る余裕すらない。
野球部の頃の筋肉はどこへ
かつては坊主頭で泥まみれになっていた野球部時代。体力と筋力には自信があった。でも今では、階段を上がるだけで息が切れる始末。あの頃の僕が今の僕を見たら、間違いなくため息をつくだろう。
昔のユニフォームも今はきつい
実家の押し入れに眠っているユニフォームを久々に手に取ってみた。どうせ入らないとは思っていたけど、実際にウエストがボタン一つ届かないのを見ると、笑うしかなかった。思い出は美化されるけど、現実はなかなか容赦ない。
清潔感という言葉にビビる中年の悲哀
婚活サイトでよく見る「清潔感のある人が好き」。その一文がなぜか重くのしかかる。スーツは毎日着ているし、髭も剃っているけれど、「清潔感」と言えるかは自信がない。結局、「普通」が一番難しい。