商業登記って何ですかと聞かれた瞬間頭が真っ白になった日

商業登記って何ですかと聞かれた瞬間頭が真っ白になった日

商業登記の説明から始まる一日

この仕事をしていると、「これはたぶん大丈夫だろう」と思った時に限って足元をすくわれる。ある日の午前、依頼人との打ち合わせに向けて、必要書類をきっちり揃えて準備万端で臨んだはずだった。ところが開口一番、「商業登記って何ですか?」と聞かれ、私はしばらく言葉を失った。え? いや、そこから? これから会社設立の登記を進めようとしているのに、まさか「登記」の意味すら伝わっていないとは。冷や汗をかきつつ、私は心の中で深くため息をついた。

依頼人がまったく知らなかったという衝撃

登記の内容をある程度理解している前提で、スケジュールを組んでいた私の甘さが露呈した瞬間だった。依頼人は経営経験ゼロで、しかもネットの情報も「難しくて分からなかった」とのこと。まるで中学生に大学の単位取得の話をしていたような感覚だった。私の頭の中では、「今日中に終わる予定だったのに」の文字がぐるぐる回り出す。

資本金って何ですかに絶句

ひとつの山場は「資本金って、もらえるんですか?」という質問だった。正直、思わず笑いそうになった。でももちろん笑えない。真顔で、「資本金は自分で用意するお金ですよ」と説明する自分の顔が引きつっていたのは、たぶん隠しきれていなかったと思う。こういう場面に出くわすたび、「何年やってても慣れないな」と心の奥でつぶやいてしまう。

株式会社って誰でも作れるんですか問題

そして次に来たのが、「株式会社って、誰でも作っていいんですか?」という質問。これはまぁ、よくあると言えばある。ただ、説明に必要な時間がどんどん長くなる。電子定款、印鑑証明、法人番号——話すたびに相手の目が虚ろになっていく。最終的に、「何から始めればいいですかね」と言われたときには、もう一からのスタートを受け入れるしかなかった。

説明だけで一時間取られる現実

結局その日は、書類を1枚も書くことなく、口頭での説明だけで一時間以上が過ぎた。事務員がチラチラと時計を見ているのが視界の隅に入ってくる。午後から別件の相談があるのに、心の中は焦りと苛立ちでいっぱい。けれど目の前の人にそれを見せるわけにはいかない。プロとしての自制心が試される時間だった。

登記以前の話で一日終わる無力感

一応、「次回は必要書類を一緒に確認しましょう」ということで終わったのだが、なんともいえない徒労感が残った。「今日は何も進んでないな」と思いながら、事務所に戻ってPCの前に座る。予定表のチェックボックスがひとつも埋まっていない画面を見て、少しだけ自分を責めた。段取りが甘かったのは否定できない。

時間の読めないスケジュールにイライラ

最近特に、時間が読めない相談が増えている。業務のデジタル化が進んだとはいえ、結局は「人」が相手。特に登記業務は、相手の理解度に左右されることが多く、想定より何倍も時間がかかることがある。それでも「急ぎでお願いします」と言われると断れない自分がいる。この優しさ、もう少し減らした方がいいのかもしれない。

自分で首を絞めているのは分かってる

スケジュールはパンパンなのに、無理に詰め込んでしまう癖が抜けない。断る勇気がないわけじゃない。でも「この人が困ってるのを見捨てられない」という性分が勝ってしまうのだ。そんな自分が嫌になる日もある。でも結局はまた同じことを繰り返している。自己肯定感が減っていくのが分かる。

でも断れなかったあの一言

「何も分からなくて、すみません」という言葉に、なぜか胸が締め付けられた。依頼人が悪いわけじゃない。むしろ、自分を頼ってきてくれたその気持ちがありがたい。だからこそ余計に、しんどい。でも、断れない。それがこの仕事を続けている理由の一部なのかもしれない。

説明するのが仕事だとは分かってるけど

司法書士の仕事は説明ありきだ。難しい制度を、相手に分かる言葉で伝える。それができてこそ一人前。でも現実は、どうしても感情がついてくる。疲れている日や、時間に追われている時ほど、それが顕著になる。理想と現実のギャップが、ふとした瞬間に重くのしかかる。

どこまで丁寧にやるかはいつも悩む

全てを丁寧に説明しようとすると、時間が足りなくなる。一方で、雑に済ませてしまうと、後からトラブルになるリスクもある。どこまでやるか。その線引きが、本当に難しい。マニュアルでは解決できない、現場感覚が必要になる部分だ。ここにいつも頭を悩ませている。

「分かりません」が続くと心が折れる

何を言っても「すみません、分かりません」と返されると、さすがに心がすり減ってくる。相手が悪いわけじゃないと分かっている。でも、せめて少しだけでも予習してきてくれたら——そんな甘えを抱いてしまう。自分も昔は知らなかったくせに、と内心で突っ込むが、そんな余裕すらなくなる瞬間もある。

司法書士って何屋さんですかに無力感

「司法書士さんって、何屋さんなんですか?」と聞かれたときには、思わず「なんだと思いますか?」と聞き返してしまった。少し笑いも交えたつもりだったが、心の奥はえぐられたような気持ちだった。結局、世間の認知度なんてそんなものかもしれないと、再確認した日だった。

丁寧すぎると仕事が回らないジレンマ

「分かりやすく伝える」ことと、「効率よく回す」ことの両立は本当に難しい。特に個人事務所で人手が限られていると、どちらかを選ばざるを得ない瞬間がある。どちらかを取れば、どちらかにしわ寄せが来る。いつもギリギリの綱渡りだ。

説明資料を作るかいつも悩む

説明資料を作っておけば時間短縮になると分かっていても、それを作る時間すらないのが現実だ。PowerPointなんてもう何年も触っていない。手書きのメモで乗り切ることが多いが、それでは限界があると痛感する日々。効率化とは何かを、毎日のように問い続けている。

本音は全部投げ出したい

たまに、「もう全部投げ出して、山奥で暮らしたい」と思うことがある。静かなところで誰とも話さず、好きな野球の試合を観ながらのんびりしたい。そんな妄想をするたびに、「いや無理だろ」と自分で突っ込む。でもそれくらい、追い詰められることもあるという話。

それでも最後にありがとうと言われると

そんな日々の中でも、最後に「ありがとうございました」と言われると、少しだけ報われる気がする。笑顔で帰っていく依頼人を見ると、「またがんばるか」と思ってしまう自分がいる。報酬よりも、そういう瞬間が支えになっているのかもしれない。

また明日も頑張ってしまう自分がいる

愚痴ばかりで、疲れたと文句を言いながらも、なぜか朝になれば机に向かっている。この仕事が嫌いなわけじゃない。ただ、しんどいだけだ。たぶん、どんな仕事もそうなのかもしれないけど。

優しさだけじゃやっていけないのに

優しさだけじゃやっていけないと分かっていても、どうしても突き放せない性分。そこが自分の弱さでもあり、強みでもあると信じたい。だけどそのせいで余計に自分を追い込んでいる気もする。

愚痴ばかりでも辞められない理由

やめたいと思う日もある。でも、きっと明日も事務所を開けている。なんでだろう。たぶん、それが「自分の居場所」だからだと思う。誰に言われたわけでもなく、ここに立ってる。それだけは、ちょっとだけ誇ってもいいのかなと思っている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。