今日も司法書士をやってます見えないけど働いてます

今日も司法書士をやってます見えないけど働いてます

見えない場所で今日も仕事をしている

司法書士という職業は、華やかさとは無縁だ。表に出ることも少なく、感謝される場面も少ない。今日も事務所の奥で、パソコンの前に向かい、地道な書類作業を繰り返している。もちろん誰かが見ているわけじゃない。けれど、この「見えない」仕事の積み重ねが、社会の信頼を支えているのだと、自分に言い聞かせてやっている。誰かに「頑張ってますね」と声をかけられることはないけれど、登記一つ一つに責任を持って向き合っている。

依頼者の目に触れない地味な作業

たとえば不動産の所有権移転登記ひとつ取っても、背後では複雑な調整や確認作業が必要だ。本人確認書類のチェックから印鑑証明の有効期限まで、ちょっとしたミスが許されない。依頼者は書類を数枚出して「お願いします」で終わるかもしれないけれど、こちらはその後に何時間もかけて登記原因や登録免許税の確認を行う。「これくらい簡単でしょう?」という一言に、正直ぐったりすることもある。

登記の裏側には地道な確認作業がある

先日も、相続登記の案件で、戸籍のつながりが見えない箇所があり、町役場と市役所、県庁と、電話とFAXで3日間かけてやっと整合がとれた。依頼者にとっては「まだ終わらないんですか?」という話かもしれないが、裏でそんな地味な作業をしていることは、なかなか伝わらない。確認のための確認、そのまた確認。無駄と思える作業が、最終的には安心と信頼につながるのだ。

ミス一つで信用を失うというプレッシャー

しかも、こっちはプロ。どんなに複雑な案件でも「完璧」でなければならない。ちょっとした誤記でも、後から「司法書士のミスですね」と言われてしまう。以前、登記原因日付の入力ミスで補正通知が来た時は、心臓がギュッとなった。依頼者には迷惑をかけなかったものの、自分の中で何度も何度も反省した。あのプレッシャーは、胃に来るタイプだ。

朝から晩まで事務所にこもっている現実

今日も朝から事務所にこもりきり。気づけば昼飯を抜いて、夕方にコンビニのおにぎりをかじっていた。外は明るいが、窓のカーテンは半分閉じていて、なんとなく自分の世界にこもってしまう。気を抜けばミスになるから、神経を張り詰めたまま、1日が過ぎていく。誰とも喋らないまま、ふと時計を見ると夜の9時を過ぎていたこともある。

電話と書類に追われる一日

事務員さんが電話対応してくれるとはいえ、結局「先生お願いします」で回ってくる内容は多い。急ぎの登記、役所との折衝、法務局への確認。何かしながら何かを聞かれ、メモを取りながらFAXを送り、同時にPDFの印刷。昔、野球部で3塁コーチャーやってたときの集中力を思い出すが、あの頃より体力は落ちている。正直、目も肩も腰もキツい。

誰とも会話せずに終わることもある

特に月末や月初の繁忙期は、依頼者とすら会わない日がある。朝出勤して、事務員さんと「おはようございます」だけ交わし、そのまま黙々と仕事をこなし、また「お疲れ様でした」で終了。会話はメールと電話だけ。あれ、今日声出したっけ?と思う日もある。コンビニで「袋いりますか」と聞かれて、自分の声がちゃんと出てるか心配になるレベル。

頑張ってるつもりなのに報われない気持ち

なんとなく、頑張っても頑張っても、誰にも気づかれないまま時間だけが過ぎていく感覚がある。報酬の問題ではない。やりがいの話でもない。ただ、「見てるよ」とか「ありがとう」とか、そういう一言が、意外とモチベーションになる。誰かに褒められたくてやってるわけじゃないが、まったく評価されないというのも、これはこれでつらいのだ。

感謝されないことにも慣れてしまった

昔は「ありがとう」と言われるたびに、「やっててよかった」と思っていた。でも今は、その言葉すら期待しなくなっている。たまに「ありがとうございます、助かりました」と言われても、「いや、それが仕事なんで」と受け流す癖がついた。期待しないことで、自分を守っているのかもしれない。でも、少しさびしい。

先生と呼ばれても心は晴れない

「先生」という呼び方には慣れた。でも、尊敬されてる感じはしない。時にはただの形式的な呼称に思えてしまう。知識や手続きに精通していても、感情は置いてきぼりだ。先日、久しぶりに依頼者から「先生も体に気をつけてくださいね」と言われたとき、不意に目頭が熱くなった。人の心って、そんな一言に救われることがある。

ふとした瞬間に感じる孤独

一人で事務所にいると、ふとした瞬間に胸がきゅっとなることがある。時計の秒針の音、PCのファンの音、事務所の静けさ。その中に自分がぽつんといて、誰にも見られていない、必要とされていないような気がしてくる。そんなときは、意味もなくファイルを整頓してみたり、窓の外を眺めて深呼吸したりする。

休憩中に見る外の景色が妙にしみる

たとえば15時、少しだけコーヒーを淹れて、事務所の駐車場で空を見上げる。晴れてても、曇ってても、なんだかしみる。「ああ、今日もひとりでやってるなぁ」って。周りは誰も気にしてないのに、妙にセンチメンタルになる。別に泣くわけじゃないが、なんだか自分が空気のような存在に思えてくることがある。

たまに話す配達員とのやりとりが癒し

そんな中で、唯一の癒しは、たまに来る宅配便の配達員さんとのやりとりだったりする。「今日も暑いですねー」「いやー参りますねー」とか、たわいもない会話。でも、その数秒で、ああ自分はまだ社会の一員なんだなと思える。名前も知らないけれど、ちょっとした言葉がどれだけ救いになるか、あの人は知らないだろう。

それでも仕事を続ける理由

じゃあ、なんでこんな仕事を続けてるのか。正直、自分でもわからなくなることがある。でも、やめようとは思わない。ここまで続けてきた意地もあるし、誰かがやらないと回らない仕事でもある。司法書士という職業の誇りや責任というより、「自分が引き受けたことはやり遂げる」という、ただの野球部的根性でしかないかもしれない。

昔の自分に恥じたくないという意地

高校の頃、エラーして泣きながら土をかき集めてた自分に、今の自分はどう映るだろうか。投げ出さず、逃げず、地味でも着実にやっている自分を見せたい。あの頃の悔しさが、今の粘り強さにつながっている。野球が上手くても下手でも、関係ない。大切なのは、腐らず、続けること。司法書士だって、同じだ。

事務員さんの存在に救われる日もある

一人でやっているつもりでも、実はそうじゃない。隣のデスクで淡々と働いてくれている事務員さんが、どれだけ自分を支えてくれているか。言葉にしないけれど、こちらの疲れやミスをフォローしてくれる存在がいることに、感謝している。たまに「先生、これコーヒーでも飲んで」と言われるだけで、だいぶ救われる。

目の前の一件一件に向き合うしかない

結局、できることは一つずつ、丁寧にこなしていくことだけ。評価されなくても、見られてなくても、登記ミスがなければそれでいい。そうやって毎日を積み重ねるしかない。今日も司法書士をやってます。見えないけど、働いてます。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。