気づいたら10年 でも何も変わってない気がする

気づいたら10年 でも何も変わってない気がする

10年の月日が過ぎても肩の荷は重いまま

司法書士として独立してから10年。気づけばもうそんなに経っていたのかと驚く反面、「だから何?」という虚しさもある。最初の頃は、「10年続けば一人前」とか、「10年もやれば楽になる」と言われていた。でも、現実は違った。確かに案件の流れは読めるようになったし、多少のトラブルにも動じなくなった。でも、その分、責任は増し、期待も重くなっている。軽くなった荷物はひとつもない。むしろ背中にずっしり積もっている。

10年前の僕と今の僕の違いって何だろう

ふと鏡を見たとき、10年前の自分と比べて何が変わったかを考えることがある。顔つきは確実に老けた。白髪も目立つようになった。けれど、それよりも変わったのは「表情」かもしれない。昔はもっと軽口も叩けたし、失敗しても笑えていた。でも今はどうか。どんなに忙しくても、どんなに報われなくても、誰かの前で泣くわけにもいかない。堅い鎧をまとって、無理に「大人ぶっているだけ」のような気もしている。

気合で乗り切ってたあの頃の若さ

20代後半で独立した当時は、「何でもやってやる」という気合いだけで毎日を乗り切っていた。寝ずに書類を作ったり、夜中までお客さんに電話をかけたり、とにかく必死だった。もちろん効率も悪かったし、無駄も多かったけど、それでも「今しかできないことをやってる」という自負があった。あの頃の自分は、間違いなく輝いていたと思う。眩しくて、ちょっと羨ましい。

落ち着きと引き換えに増えた不安

今の自分は、たしかにあの頃より落ち着いている。焦らずに手続きをこなし、ミスも減った。でも、それと同時に「これでいいのか?」という疑問が常にある。新人の頃は「5年後10年後は楽になってるはず」と思っていたが、その未来が現実になった今、楽にはなっていない。むしろ、「このまま歳をとっていくだけなのか?」という不安がじわじわと心を締めつけている。

環境は変わったのに気持ちは置いてけぼり

事務所も少し広くなり、ありがたいことに紹介も増えた。事務員さんも根気強くついてきてくれている。でも、自分の中の何かは置き去りにされたままだ。開業当初の情熱はどこに行ったのか。やりがいは…? いや、やりがいなんて最初からそんなにあっただろうか。忙しさと義務感の中で、気持ちをどこかに落としてきたような気がする。

事務所も変えた 仕事も増えた でも

「いつかはこういう事務所を持ちたい」と思っていた空間に近づいている。少しだけ駅から近くなったし、机も増えた。でも、仕事の中身は根本的に変わっていない。やるべきことは山積みで、ミスは絶対に許されない。報酬の交渉は今でも苦手だし、トラブルは忘れた頃にやってくる。どれだけ外側を整えても、内側は満たされないままだ。

頼れるのは事務員さんと自分だけ

事務員さんは本当によくやってくれている。でも、最終的な責任は全部自分にのしかかってくる。何かあったときに矢面に立つのは自分。だから気が抜けない。休日にメールが来れば確認せざるを得ないし、電話には即反応するクセがついた。結局のところ、孤独な戦いを続けている。それでも誰かに相談する時間さえない。

周りは家庭を持ってるけど自分はどうか

同世代の友人たちは、みんな結婚して子どももいて、住宅ローンの話なんかしている。自分はというと、未だ独身で、休日はコンビニ弁当を食べながら野球中継を見るだけ。別に結婚に憧れがあるわけでもないけど、ふとした瞬間に「俺の人生、これでいいのか?」と我に返ることがある。寂しいと認めるのも、なんか負けた気がして。

同級生のSNSを見ると胃が痛くなる

昔の同級生がSNSで「家族旅行」や「子どもの運動会」の写真をアップしているのを見ると、正直、ちょっとしんどい。こっちは平日も休日も区別なく働いていて、笑顔なんてほとんどない。誰かと比べても仕方ないとは思っているけど、やっぱりどこかで「取り残された」気持ちになる。画面の向こうの世界が、やけに遠く見える。

祝われない誕生日がもう何年目か

誕生日も、ただの平日になって久しい。ケーキを買う気にもならず、誰かからの「おめでとう」もない。LINEの通知もゼロ。気づいたら日が変わっていた、なんて年もある。子どもの頃は特別だった日が、今では「また一つ歳をとっただけ」に成り下がっている。自分自身すら祝う気力がない。

でも不思議と辞めたいとは思わない

これだけ愚痴っぽく生きていても、「もう辞めよう」とはなぜか思わない。嫌だ嫌だと言いながら、なんとか続けている。これはもう惰性なのか、意地なのか、それとも責任感なのか。でも確かに、ほんの時々、「あ、やっててよかったかも」と思える瞬間がある。そんな一瞬が、10年を支えてきたのかもしれない。

やりがいはないけど、責任はある

毎日の仕事に「やりがい」を感じているかと聞かれたら、たぶん答えは「ない」。でも、「やらなきゃいけない」とは強く思っている。依頼者に迷惑をかけたくない、後悔させたくない。その想いだけで体を動かしていることもある。自分が折れたら、誰が支えるのか。そう考えると、辞めるわけにはいかない。

あの時の依頼者の「ありがとう」だけで

ある日、相続登記の依頼を終えた後、高齢の女性から手紙をもらった。「あなたのおかげで、安心して眠れそうです」その一文が胸に残っている。たったそれだけ。でも、あの一言のために何日も頑張れた気がした。10年の中で数えるほどしかない、そういう瞬間だけが、今の自分を保ってくれている。

10年目だからこそ見える景色もある

10年やって、正直うまくいったことよりも、うまくいかなかったことの方が多い。でも、そういう積み重ねの中で、「無理をしなくても大丈夫なライン」や、「人を見抜く勘」なんかは身についた気がする。新人の頃のような情熱はないけれど、違う角度から現実を見られるようになった。それはちょっとした強みかもしれない。

失ったものと引き換えに得た視点

この10年で、時間や恋愛や健康、いろんなものを失ってきた。でもその代わりに、「人の痛み」や「小さな喜び」に敏感になった気がする。傷ついたぶんだけ、人に優しくなれるというのは、少しだけ本当かもしれない。完璧ではなくても、誰かの力になれる自分でいたいと思うようになった。

今だからこそ届く言葉があると信じたい

若いころは、何を言っても「薄っぺらい」と言われた。でも今なら、自分の失敗や愚痴も、誰かにとっては「リアルなアドバイス」になるかもしれない。華やかな成功談じゃなくても、泥臭い毎日が、誰かの支えになれば。それだけで、この10年が報われる気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。