経験があるのに不安が消えない日
経験年数と安心感は比例しない
司法書士として20年以上やってきても、朝起きた瞬間に胃が重くなる日がある。「今日は何か起こりそうだな」と妙に勘が働くときに限って、予感は当たる。登記の内容に問題があったり、依頼者との意思疎通がうまくいかなかったり。経験を積めば積むほど、慣れるどころかむしろ緊張感が増している気がする。初期の頃は「分からないから怖い」だったが、今は「分かってるからこそ怖い」。責任の重さを実感すればするほど、「慣れ」はむしろ敵になるのかもしれない。
慣れているはずの仕事でも手が震える朝がある
不動産登記も商業登記も、手順は頭に入っているし、実務も何百件とこなしてきた。それでも、ふとした瞬間に「今回は大丈夫だろうか」と不安がよぎる。特に、依頼者が身内や知人の紹介だったりすると、妙なプレッシャーがかかる。信用を裏切れないという気持ちが強くなりすぎて、かえって手元が怪しくなる。元野球部のクセで、試合前に手汗をかいていたあの感じがよみがえる。あの頃は「初球ストライク」が全てだったが、今は「一通の書類ミス」が命取りになる。
不安の正体は「失敗できない」責任感
この仕事には「ミスが許されない」という独特の空気がある。特に登記申請書を出すとき、法務局の窓口に提出する一瞬の緊張感は、何年経っても慣れない。実際、ひとつの誤字や添付漏れが致命的なトラブルにつながることもあるからだ。経験者だからこそ、「これはヤバいやつだ」と先読みできてしまうのがまた怖い。だから、「失敗しちゃいけない」という思いがプレッシャーを増幅させ、結果的に不安の正体となる。
積み重ねてきた分だけ怖くなるものもある
新人の頃は、失敗しても「まだ新人だから」と自分を許せた。だが、10年、15年と経つにつれ、自分の肩書きや立場が許さなくなる。これまでうまくやってきたという「実績」が、逆に自分を縛る鎖になる。たとえば、地元の金融機関からの紹介で商業登記を任されたときなど、「あの司法書士に頼めば大丈夫」という無言の期待が透けて見える。だからこそ、書類の確認にも異常に時間をかけてしまう。「経験があるから安心」と言われるけれど、その実、「経験があるからこそ怖い」が本音だ。
「もう大丈夫」と思えない理由
日々の業務を通じて、自分なりの処理フローも確立しているし、法改正にも目を光らせてはいる。それでも、「完全に油断しても平気」と思える日は一日たりともない。むしろ、年々怖さが増している気さえする。原因は、自分の責任の重みが常に背中にのしかかっているから。自分一人でやっている事務所だから、何かあったら全ての責任を自分が背負うことになる。誰にも相談できないまま、不安が積み重なっていく。
依頼者の顔を見るたびに背筋が伸びる
依頼者が「先生」と言ってくれるたびに、背中に重たい鎧を着せられる気分になる。その言葉には期待と信頼がこもっていて、それが嬉しい反面、裏切ってはいけないという重圧にもなる。たとえば、相続登記の相談に来た年配の方が「あなたに全部お任せします」と言ったとき、頼られた嬉しさよりも、「自分は果たしてその信頼に応えられるのか」という不安のほうが大きかった。あの瞬間の沈黙を、今でも忘れられない。
成功の積み重ねがプレッシャーに変わる
「うまくいって当然」という雰囲気は、成功を重ねるほど強くなる。特に地元で長くやっていると、ちょっとしたうわさ話が広まりやすく、どこかでヘマをしたら「あの人も大したことなかったね」と言われるのが目に見えている。誰も責めてこなくても、自分が一番自分にプレッシャーをかけている。成功が称賛にならず、呪縛になっている感覚。正直、たまに全部を投げ出して、遠くの町で一からやり直したいと思うこともある。
事務所の扉を開けるのが重く感じる日
朝、玄関の鍵を開ける手が止まる日がある。外は晴れているのに、心の中だけ曇っている感じ。仕事が嫌いなわけじゃないし、誰かとトラブルがあったわけでもない。なのに、ドアノブを握る手に力が入らない。こういう日は、気持ちがどこかに行ってしまっている。仕事を始めればなんとかなる。でも始めるまでがしんどい。これはもう、経験では乗り越えられない種類の壁なのかもしれない。
誰にも言えない孤独と不安の正体
事務所にひとりきりで座っていると、たまに「自分は何のために頑張ってるんだろう」と思ってしまう瞬間がある。目の前の書類をさばきながら、心の中が空洞みたいに感じる。不安を吐き出す相手がいないと、どんどん自分の中に籠もってしまう。事務員もいるにはいるが、本音で弱音を吐ける相手ではない。頼れる上司も同僚もいない。自分が頼られる側である限り、弱さを見せる場所がないのだ。
事務員の前では「頼れるボス」でいなきゃならない
事務員の前では、常に落ち着いていて、判断も的確で、「先生」らしくあろうと努めている。でも、本当はミスしたくないから過剰に確認してるだけだったり、迷ってるときもある。だけどその姿を見せてしまえば、不安が事務所全体に伝播する気がして、つい強がってしまう。信頼されているのはありがたいけど、その分演じる負担もある。たまに「普通の同僚」として、フラットに雑談できる関係が羨ましくなる。
本当は誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしい
弱音を吐けない日々が続くと、ふと「誰かにただ、大丈夫って言ってほしい」と思うことがある。それは、解決策じゃなくて、共感の言葉がほしいという気持ちだ。元野球部の頃は、エラーしても誰かが「切り替えていこうぜ」と声をかけてくれた。でもこの仕事では、そんな声をかけてくれる人はなかなかいない。孤独に押しつぶされそうなとき、過去のチームプレーの記憶だけが救いになる。